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あなたにはまだ無理と言われたら

先週のピラティスのセッションの時のこと。


私があるインストラクター仲間に、

「この!ピラティスのエクササイズをとっても学びたいんだ」と話をしました。


それは、私の中でも想像しただけで、未だにできないと体全体でわかるほどのエクササイズ。


私は、コンテンポラリーのピラティスを学んだので、

クラッシックピラティスを学び直した時から、知らないことだらけでした。


同じエクササイズだけど、体への使い方が違う。


それは、言ってみれば、

同じお金だけど、お金の使い方が違う。

そして、ええ!そんなお金の使い方があるの?って新しい経済学を学んでいるかんじ。


でね、

それが出来る、インストラクター仲間のAに教えて欲しいとお願いをしたわけです。


そしたら、

今日のレッスンで、私が毎回ピラティスのレッスンを受けている先生が

そのAさんから相談を受けて、


私に

「あのね、あのエクササイズを教えてもらうって言っても、あれをやるには、いろんなことを知る必要があるの。」


という言葉を冒頭から受け、


それを学びたいという私の願いは、却下された気持ちになったんです。


大好きなことを情熱を持って学びたいとお願いをした時

横から、「あああ、あなたはそこのレベルじゃないわ」と言われた感じ。


こんなに学びたいのに。



誰かが、自分の願いをジャッジするというのは、本当に何年もの間、何回もあったなあって。


相手のノーに対して、

はい、分かりました。


心の中の悲しみを隠して、そう言える時もあれば、


そう言われるのがもうウンザリで、


一人で隠れて他の方法を見つけてみたり

誰にも助けなんて求めることすら嫌になってしまったこともありました。


そうなると、もう世界は敵ばかりに見えてくるわけで。


誰も、自分がやりたいということを「応援」ではなく、「ダメだ」とか「違う」と言ってくる。


あるピラティスのインストラクターが資格訓練を教えることになった時

「すごいじゃん!本当によくがんばってたもんね。 

 これできっともっとピラティスを知る人が増えるね〜!」と

伝えると


彼女は

たくさんの嫌がらせのメイルが届いたと教えてくれた。


「あんたはまだその資格がない」


「あなたはまだそのレベルまで達していない。」


「あなたから学ぶ生徒はかわいそうだ」


「あなたにはその実力ができてからの方がいい」


たかだか、一人の人間がこれをやろう!と志した時、


おー!頑張れ!


ではなく


他のたかだか一人の人間が、その志をするのは甘い!と制してくる。



誰?



え?


理由は?



その当時、当事者からその話を聞いて、そう思って怒ってた。


でも怒っていたのは彼女のためというより、

私もそういう経験があったから怒っていたのかもしれない。



「お一人様」が流行るのは分かる。

「一人が楽」っていうのはわかる。


自分の希望をジャッジしてやめろと言ってくる人ばかりだったら、もう一人でいいやってなるもんね。


そして、きっと私も過去にそういう言葉を人に発したことがあるのだと思う。

いや、今もやってるよね、きっと。


旦那さんがすることに、それはダメ。今はダメ。

きっと子供にもやっちゃってっるのかなあ。


反省です。




さて、今回のピラティスのレッスン。


私は、リスクを負ってみることにしました。


いや、違うな。

というよりも、泣けてきてしまった。先に感情が吐出したという方が正しい。


横隔膜がベコベコなるほど泣けた。


みよ、この40すぎの女の泣き顔を!




横隔膜がこういう症状を出すということは、

すごくこの「助けを求めて、ダメと言われる」パターンに


諦めて

ガッカリして

一人でどうにかしようと孤独だったけど

でも頑張るんだって気持ちだけで突っ走ってきた


その全ての気持ちを抑圧してたということ。


そして、そのままインストラクターに伝えた。


「誤解されている気がするから、

 私の思いをもう一度、Aさんからではなく、私の口から伝えさせて欲しい」と。



彼女は、私をパソコンの前に呼び、

15分ぐらい話し合いました。


そして、彼女もまた、彼女にフィルターがあった。


上っ面だけ、形だけを奪うやり方だけを学んでくる生徒がいて

自分ががっかりし、その過去の生徒をわたしに投影してしまったと。



「私は、その形だけをやるピラティスで体を痛めた。

 だから、私がそのエクササイズを学びたいと言ったのは、形を学びたいんじゃない。


 そのエクササイズの真髄を学びたいの。

 そのエクササイズが自分の体の中でどう、スパークするのか。

 そして、そこに必要な行程を学びたいって思っている。


 表面だけを学ぶピラティスを私は一度たりとも望んだことはないの。」


と。

インストラクターは私に

「ごめんなさい。そして、私は、一度たりともあなたの情熱を止めようとしたことはないわ。」

と話してくれた。


60歳過ぎの彼女がそれを言ってくれて、私はほっとした。


その後のエクササイズでの私の動きは、今までよりも深く軽く体に浸透をしていく感じだった。


見た目はできていないかもしれない。

でも、私の中では、強く繋がるものを感じた。

そして、それがピラティスだと思う。




このレッスンを終えて、私は、もしも「やりたい」「学びたい」という人がいたら

絶対に味方でありたい。


その人の目をしっかり見て

「おっけ、その願いを叶えるために、どんな計画を立てようか。」と。



世界が味方でいっぱいになる日のために


大事な痛みだったと思う。


こうやって、地雷を踏んでも、話し合いお互いの行きたい方向を見つけ合い

そして、一緒に進んでいける仲間がいることが

私はとても大事にしていきたい人間関係だと感じています。





モノクロから虹色へ











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