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母親の影響

とても手が痛い。

初めは、私が使っている食器用洗剤に界面活性剤が入っていることを気づかず

汚染水が出ないという文句で自然のものだろうと、たかをくくって使っていた。

すると洗剤が手のひらに残っていたようで

無性に痒くなって知らないうちに白い液が出るまで引っ掻いてしまっていた。

そこからの悪化の一途。

通常は

その原因となったものを取り除くことで治るか、

それを修復する食物を取ることで治るのだが

なかなか長引いている。

しかも、かゆみが出る日と、かゆみが出ない日がある。

なんだろう。。。。

いつもは娘と寝落ちをしてしまうのだが

あまりのかゆみに目が覚めた夜中に、私は一人でセッションをすることにした。

まずは、その原因となっているものであった

ウィルスが出て来た。

免疫が弱っているのだなと免疫を高めるセッションで終わった。

ただ、セッションが終わる時に、

『私は自由にエネルギーを受け取ります』

という問いかけが出て来た。

なんだろう。。。

そうやって、筋肉反射テストを使いながら、どんどんと自分に問いかけていくと

母親が出て来た。

私自身、母親のことはとうの昔にヒーリングを終えたと思っていた。

こうやって母親のことを書くと、

母親が悪いどうしようもない人に思われるのがとっても嫌なのだが、

ここで書くのは

母親がこれだけダメな悪い人なんです!ということではなく、

母親の性格の一部が、私に負の影響を与えていたということを伝えたいだけである。

私は母のことを愛している。

ただ、Like ではない部分があるというだけだ。

そんなの、どの人間関係でもあることだと思う。

さて、私に母の何が影響を与えていたかというと、

彼女の『大したことがない』という口癖だった。

『そんなの大したことがない』

私がどんなに彼女のことを思って渡したものも

『大したことがない』という受け取り方をする。

すごく覚えているのが、

私が大人になってから、彼女と一緒に新聞の広告にあったバッグを見て

母親がこれが欲しいのよね〜と言った。

私はそこそこ稼いでいる身だったので、

じゃあ、私が誕生日プレゼントに買うよ!

そう言って、それを購入した。

数日後にそれが届いて、彼女は早速それを開けた途端に、

『こんなもんか。大したことがなかったわね。』

と言った。

彼女の望んだものなら、きっと必ず喜んでくれるだろうと私は期待していたんだと思う。

『それでも、ありがとうね。買ってくれて』

その一言もなかったと思う。

そんな経験の連続で、私自身、大したことがないと、自分を過小評価していた。

私がやることはそんなに大したことがない。

私はそんなに大したことがない人間である。

この考えって底なし沼に入っていく。

常に大したことはない。。。

だから、頑張っても頑張っても大したことがないと言う終わりのないスパイラル。

母が私のことを抜群に褒めたことがあったか?と聞かれると、多分ない。

何かの試験に受かったとしても、

何かのオーディションに合格したとしても、

何かの賞を獲ったとしても、

何かを成し遂げたとしても

『まあ、上には上がいるからね』

そんな感じ。

自分がすることは、何をやっても大したことがないのだ。

だから、ヒーリングの世界に入った時から自分を愛することをし始めたはずなのに、

セッションでそんな思いが私の潜在意識であるDNAにまで染み付いてたのに気づいた夜中に私は心が打ち砕かれそうになり、母親を激しくジャッジし、彼女を激しく忌み嫌った。

あえて、私は彼女への嫌悪感をいっぱいそこで出して、ノートに書き殴った。

もう一度言うが、私は彼女のことを愛している。

ただ、ここで自分が持っているすべてのジャッジを洗いざらい出さないと、

この「大したことがない」と言うゴーストに、また飲まれる気がしたのだ。

何万キロも離れた土地にいても、彼女の声や考えはしっかりと私の中に根ざしていた。

子育てをどんなにやっても、私がしてることは大したことがない。

仕事で雑誌に載ろうが、多くの人から評価をもらおうが、大したことがない。

彼女の立場を考えて、彼女の歴史的背景、時代背景、生まれ育った環境、

全てを考えたら、どうしてそんな言葉が出てくるかは理解ができる。

『昭和の母なんてそんな感じよ。悪いところは指摘するけど、決して褒めることはないもんよ』

そんな声すら聞こえてくる。

ただ、ここで彼女のことをあえて考慮するのをやめた。

自分の悲しくて、自分の虚しくて、

一番欲しかった言葉を一番欲しかった相手からもらえなくて苦しんでいた私の気持ちに

ただただ寄り添って、夜中にフガフガ怒ってた。

泣き疲れたら、どうでもよくなるように。

殴り疲れたら、どうでもよくなるように。

ずっとずっと怒りを感じ続けた。

後日、食器を洗うアンドリューの前のキッチンカウンターに座って

私は、彼にその怒りのことを伝えた。

すると

『僕が、mother's shadow workshop (男性のための母からのネガティブな影響に向き合うワークショップ)に参加した時に一番にファシリテーターに言われたのが

 ここは全く違う場所になる。

 相手のことを考慮するのを一切やめて、自分の気持ちに忠実になりなさい。

 そうじゃないと、そのシャドーは一生君をつきまとうだろうってね。

 だから、ジャッジした自分を褒めてあげて良いと思うよ。

 一番欲しい相手からもらえなかったのは、とっても辛かったな。』

そういう彼に私は、すごく救われた。

自分が欲しいものをくれる旦那さんと一緒になって良かったなあと心から思った。

それと同時に、さて、この『大したことがない』という呪文。

泣けてきて泣けてきて仕方がなかった。

なぜか。。。

「自分の魂を母親に所有させている感覚」がすごくいやで泣けてきたのだ。

私がしたいこと、達成したいこと、やりたいこと、人とどう関わっていきたいか、

それらの【私の魂が本当にしたい私のあり方】が

母からの『あなたは大したことない』という言葉で

ブレーキをかけていたことに気づいて泣けてきた。

もちろん、あなたは一番自由に生きているじゃないって言われそうだけど、

それでも、メンタルでは未だに彼女の言葉の奴隷だったなあと思う。

もちろん、母親がそれを意図してなんていない。

実際に、私自身だって

この手が荒れるまで、

大人になってから母親といい関係を築いてきたと思っていたぐらいだ。

ただ、私がその言葉を今も私を支配し、私の人生にコントロールをかけているのであれば、

それは母親の責任ではなく、私の責任だなあと。

散々、なじったからそう思えるようになった。

セッションが終わったあと、不思議と手のひらのかゆみが消えていた。

きっと私の娘も私に対して思うことは出てくるだろう。

ただ少なくとも、私の受け継いだ負の感覚を娘に渡すことだけは、

私のところで阻止しようと思う。

そのためにも、私の魂は私が責任を持って所有すること。

それをすごく感じたセッションだった。

モノクロから虹色へ

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