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完璧主義という死神



漢方をもらいキネシオロジーで処方されたサプリを飲み続けながら

Integrated Healiing のセッションで出てきた完璧主義という言葉を頼りに自分の内観を始めた私。


完璧主義か。

私は、何者になろうとしているのだろうか?


そして、セッションの中でセンテンスが出されたと言う。


それが

I now relieve myself from the chains of self-loathing. (自己嫌悪の連鎖から自分を今解き放ちます。)

だった。


Self Loathing と言うのは、日本語で訳すと自己嫌悪となるが

実際に使われている感覚では、もっと酷い意味だ。

自分への憎悪よりももっと酷い感じな気がする。


このセンテンスが出てきたのを知った時に、私は瞬時にわかった。


私が演じてきたのは「いい母親」だ。


と言っても演じれていない。

いい母親っていうのをそもそも知らないのだから。


でも、私は、何度も1日に自分に対してずっと

自分がどれだけダメな母親かを言い続けていた。


これもできていない。

あれもできていない。

こんな言い方はないでしょ。

あんな表情をしなければよかった。

この私の態度で、娘がトラウマになったらどうしよう。

あの私の言い方で、娘はちゃんと育つだろうか。


これで本当にいいのだろうか?

こんな私ではダメだ。

こんな私が母親でダメだ。


ずっとずっとそうやって言い続けてきた気がする。


心の中にある小さな小さな声。

スタバで流れるBGMぐらい聴いてないけど聞こえてくる声。

だから、意識的に自分で言っているわけではない。

ただ、コンスタントにずっとずっと私の耳裏から囁き続ける声があることに気づいた。


私以外の誰かになることをずっとしてきたのだと、理解した。

私の中での理想の母親になるために、自分をずっとずっと批判し続けてきたのだと。


私が出会った前回のブログでも書いた

18歳の摂食障害の少女は、その自分を批判する声を止めることができずに

薬物を沢山とってこの世を去った。


自分の中の「理想の私」という死神に

彼女は命を奪われたと私は思っている。


私もまた、一瞬、この痛みに耐えられるだろうかと自分を疑った瞬間があったことも否めない。


彼女が教えてくれた


Perfect and be adored (理想の人になって、称賛される)

OR            もしくは

Be real and be loved (自分のそのままを出して、そのままを愛される)

              か





先月のオンラインクラスは「罪悪感」について行った。


こんな私ではダメだと絶え間なく「成長」し続けようと「向上」し続けようとする気持ちが

まさか死神だったなんて誰が知るだろうか。



ある日友人の集まりで自分がダメな母親という気がすると伝えた時、


「自分でダメだと思う母親ってどんなんなの?」

と質問された。


「昨日、お風呂に一緒に入っていた時に、娘が私の顔に急に水をかけてきたの。

 一瞬にして、私、カッと頭に血が上って。

 私もフルで彼女の顔に水をかけ返したの。

 大人げないでしょ。そしたら怖かったんだと思う。すごく泣いてね。


 彼女としては、きっと遊びのつもりでやったんだろうけど、

 私としては、頭にきたの。

 

 その後、大人げない・情けないって自分を恥じたわ。」


そしたら、一人の女性が言った。


「何か自分でやっちゃったっていうことをした時に

 そのままでしておくことがトラウマを引き起こすんだって。

 そこでちゃんと謝るという姿勢を見せてあげるだけで、

 子供は理解して納得して、自分も謝れる人間になろうって思えるんだよ」


と。


自分が感情的になって、その度に謝るって、なんかDVの家庭みたい。

どうしよう、娘が私のせいでそんな男性に捕まったら。


とまた案じる気持ちが出てきた。


すると、別の男性が言った。


「あのさ、その時に理想の対応ってなんなの?

 やめてくれよ、心と行動がチグハグなのは。


 心の中はイラッとしているくせに、

 顔はニコニコしながら、やめましょうね、〇〇ちゃんっていう母親こそ、気味悪くないか?

 俺は、イズミが怒ったんだったら怒りを見せていいと思うけど。」


それを聞いて、身体中がホッとした。


そして思い出した。

以前、彼の犬に対して、娘が砂を遊びでかけたことがあった。

その瞬間、犬はキュインと泣き、彼は2歳の娘に対して大きな声をあげて「やめろ!」と言った。


2歳の娘はビクッとして、驚き、体を小さくさせた。バツが悪そうに。


大人の男性が2歳児に大声を上げるなんて、と思うだろうか?


いや、

私は、それでいいと思った。

いろんな人に怒られればいい。

それが、彼女がいろんな人を理解して、気持ちをわかっていく術だからと。


その後に彼が娘に言った。

「僕は、君が砂を、僕の大切な犬にかけて、怖かったんだ。

 I feel scared だから、もうやらないでくれ。大きな声を出してごめんよ。」


それを聞いて、なんと真っ直ぐなメッセージだろうかと。


それを思い出した。

そうか、私もそうあればいいんだ。

私も一人の人間で、その場を「親として」とか「大人として」うまくやろうとしなくていいんだ。



Be real


それが私が一番見せるべき姿。

弱いところも、感情的になるところも、謝ることも、自分を誇らしく思うところも。

全部を見せたら、きっと彼女も自分の全部を愛していくのではないか。


すうっと

肩の荷が降りて呼吸がしやすくなった。


顔の皮膚はまだ痛い。そして、目の中がしょっぱい。

きっと泣きたいほど、私は理想の母親を掲げ、その度に挫折し、自分を忌み嫌っていったのだろう。

もう少しデトックスする時間が必要そうだ。


でも、完璧主義という死神は少しずつ影を潜めていく気配がする。

きっと皮膚が治る時にはこの死神も私の周りから消えていくだろう。


娘よ。

ここまで本当によく育ってくれました。

ありがとう。



(*七五三の着替える場所にてパシャリ)




モノクロから虹色へ







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