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どこかでいつも探してる

先日、ピラティスのマスタートレーナーたちのグループレッスンでの一コマ。


「私の生徒さんは、〇〇さんの生徒さんに比べたら

 全然自分の感じてることを話してくれないんですよ」


と、ある一人のインストラクターがシェアしてくれた。



(*オンラインレッスン中。)



確かに、〇〇さんは、ほんわかした雰囲気で、本人が自分の感じたことを

正直に真っ直ぐに話す姿勢がいつもあるので

そういう人が周りに寄ってくるのだろうと思う。


ただ、そのインストラクターのシェアが私には

後からすごく心に刺さるものがあって。



というのも、


人は、心の奥では、

自分の心の声を聞いてくれる人を探してると思うんです。


自分が安心して自分の小さな変化を聞いてくれる人を。


それが、昔は、母親だったんだと思う。


「ママ、これ見て」

「ママ、これやったよ」


そして、いつの間にか自己中心の世界から10歳ぐらいを境に

外の社会の中に自分がいると感じて

ホルモンの変化の波に飲まれながら、自分の心の世界を話すよりも

外の世界を気にする方に大半の意識を引っ張られるようになってしまう。


そして、自分の心の世界の表現を忘れて、

外の世界である周りに合わせることが当たり前になって、

その先に心の世界が全くの未知になって、

最終的にそれをすることが変に感じたり気持ち悪くなったりする。



だから心を閉ざしているわけじゃなくて、

心の開け方がわからなくなって、閉じっぱなしになっちゃったっていう。


そして、自然と口から出てくる言葉は「正しさ」になってくる。


だって外の世界ではルールと秩序で社会が成り立って、回ってるから。




でも、人は外の世界に合わせながらもいつも探してると思います。



どこに自分の心の声をシェアできるタイミングと聞いてくれる人がいるんだろうって。



誰かにアドバイスを受ける秩序の場所ではなく


母親が


「わーがんばったね」「それは辛かったね」「そんなふうに感じ取ったんだね」


とするように、


自分の在り方を全面に信頼し、喜んでくれる場所が。



私は、そのインストラクターさんの心の熱さや温かさや優しさや繊細さを知ってるから

なおさら、彼女が、クライアントさんたちに感じてほしいって願うようになった気持ちを知れて

私は、嬉しかったんです。


自分の感覚を話せる場所が、いろんなところにあったら

世界はどんなに優しい場所になるだろうかと。


その場所は、なんであってもいい気がしてます。

ピラティスであっても、

マッサージであっても、

ダンスであっても、

なあんでも。





ちなみに、このインストラクターさんは、

サンディエゴでの私のプライベートレッスンを10日間終えて戻ってから

美容師さんに「よく笑うようになりましたね」と言われてたらしいんです。



人の笑顔は、何かがあったから笑うのではなく


心が表現できる自分を取り戻したら、笑うように自然になってるんじゃないかなって


私は思うんです。


そんな彼女に今回のブログへの掲載をしても大丈夫かを聞いてみたらこんなメッセージが。


そうですよね。私。 そういうのを私が一番怖がってましたよね。

自分からシェアする事も、また逆にされる事も。


いざ自分を感じてみる事やましてや人にその想いをシェアするって考えなんてなかったもん。


今はその両方に対して恐れがなくなってるように感じていて、

そこがオープンになれる関係で関われるって、心の扉が全開で風通しがよくて

きっと心地よいと想像します。


そんな存在になっていく事をいつのまにか自分が望んでいるのをいずみさんに言われて気づきました。 今まではその役目は私には重すぎると感じていたはずなのに。



彼女の「心の扉が全開で風通しがいい」

この言葉がそうなんだよねーと激しく同感な私。


そんな世界が広がったら、と想像をすると泣けてきます。



そうだそうだ、そんなことを話した今回のYouTube。

ぜひ、目を通してみてくださいまし。



そして、私もこのインストラクターさんと同じように、

自分の感じることを話せる場所を提供していきたいなあって思っています。









モノクロから虹色へ





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