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ワークショップを終えて4

私は、1日の終わりにYouTubeで日本の番組を見るのが好きだ。

常に英語で話している中で、1日の最後は、やっぱり日本語を聞くとホッとする。

その中でプレバトという番組は両親が大好きで見ているので

電話をした時にその話ができるように見ている番組の一つだ。

今回は、お相撲さんの俳句査定というのをやっていた。

娘を寝かしつけた後、映像を見るのではなく、イヤホンで暗闇の中、

カラダをボールでゴロゴロとほぐしいたわりながら番組を聴く。

ラジオの視聴者のような気分がまた心地がいい。

疲労感をどうにか癒そうと、ボールに乗りながら

聞いていると

1位を取った人に対して、一人の力士の人の

『無視しようぜ、無視』

という言葉がけが聞こえた。

そして、一位を取った方を「素晴らしい」というのではなく、

他の力士がその言葉にならって、一位の人を無視をしている雰囲気がイヤホンから伝わって来た。

冗談で言っているのだろうが、

私は冗談にしては、この言葉が普通に選択として出てくることに、

違和感を覚え、体が一瞬固まった。

アメリカに来て、負けたとしても、

一位の人を讃えるという姿をよく見て来た。

自分がレースに勝った時、嫌味を言われるのではなく、

『あなたのダンスは素晴らしかったわ』

とか

『あなたのスピーチに心を打たれたわ』

という言葉をよく耳にした。

成長する段階で、『自慢してはいけない。はしたない。』

という言葉はよく聞いて来た。

でも、よくできた自分を褒めてあげることは大切では、ないだろうか?

なんだか、この番組を続けて聴く気にはなれなくなり、私はイヤホンを抜いた。

誰かの気に触ることをすると、

誰かが嫌な気分になることをすると、

非難される。

非難されるだけではない、そこから制裁・罰が加えられる。

非難と制裁が、セットになってる。

その重さに呼吸が止まりそうになった。

体がとにかく重くなった。

その時、私の疲弊感はここに起因をしているかもしれない。

そう感じ、私はインテグレイティッド・ヒーリングのセッションをすることにした。

前回のブログで書いた通り、クイーンとしてトランスフォームできたのだから、

ヒーリングのセッションなんてこれ以上いらないと思っていたが、

全くもって間違いだった。

私のヒーリングは、終わっていなかった。

道半ばで終えたヒーリングだと、

ヒーリングクライシスとしてこんな風に症状として出るのかと身を以て体験した。

どんなに寝ても、一週間以上たっても、私のカラダは回復しなかったのだから、

気づくべきだったなあと思いつつ

私は、インテグレイティッド・ヒーリングのセットアップをした。

お題は、『疲労感』

そして、カラダが伝えて来たのは、

クイーンの要素を取り戻したはいいけど、ここからどう世間に馴染んでいくかということだった。

そこで出て来たのは『恐怖症』だった。

恐怖症とは、高所恐怖症とかと同じで、とにかく心理的にパニックになることだ。

何に対しての恐怖症だろうか????

そうカラダにスキャンしていくと、

この相撲の内容が出て来た。

『非難されることに対する恐怖症』が出て来た。

訳も分からず非難され、その責任を問われ、そして、覚えのない罰を受ける。

自分が自分らしく生きていくことを決意したものの、

それをすることで、嫌な思いをした人がいた場合、

その人たちに非難され、罰を受けるという仕組みに私は恐怖を覚えていたというのだ。

非難されることは、仕方がないことかもしれない。

私自身の言動で、誰かが嫌な思いをすることがあるだろう。

ただ、その相手が嫌な思いをした時に、私自身が罰を受けるという仕組みが

私を私らしくあることから遠ざけているのだ。

罰とは?

いじめにしてもしかり。

誰かが感じる。「お前の存在が私の胸糞を悪くする。」

制裁を与える。全員からのシカト

幼児虐待にしてもしかり。

お前の存在が私の自由を奪う。

制裁を加える。

家庭内別居についてもしかり。

あなたが私の思い通りに動かない、その態度が気にくわない。

制裁を加える。

モンスターペアレンツにしてもしかり。

先生の仕事ぶりが私の期待に応えていない。

制裁を加える。

誰かが嫌な気分になった時、非難をされる。

そして、その人から罰を与えられる。

非難されて、罰を加えられるのが怖いから、

私たちは正しくあろうとする。

もしくは、右に倣えをする。

正しくあることは、愛とは共存できない。

正しくあることや、罰を加えられないことに夢中になって、

自分のあるがままだったり、自分の中にある愛を見失う。

それを理解してきたワークショップだったのに、

誰かが自分の言動に対して、嫌な思いをするという非難、批判、が罰となって返ってくるかもしれないと、こんなに恐怖となって疲労感として出ていたのか。。。。

もう、

この「非難」について新しい形で関わっていくことを学ぶ時期なのかもしれない。

ヒーリングのセッションを終えようとした時、

私のカラダは、また別のセッションが必要だと唱えた。

でも、もう疲れてしまって、今度すると潜在意識に約束し、

私はぐったりとベッドに潜り込んだ。

スヤスヤ眠る娘にカラダをぴったりとくっつけると、安心した。

なんでも受け止めて愛してると言ってくれる娘に触れながら

安心感の中眠りに落ちていった。

続く

モノクロから虹色へ

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