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ワークショップを終えて2

アメリカの大学に行っていた時、論文を書くと女性の教師に

『あなたはフェミニストだからね』

とコメントをもらったことがあった。

彼女の言う「フェミニスト」という言葉を、

その時すごく違和感に感じたのを覚えている。

私は男性と戦いたいわけではない。

私は、別に成長段階の中で男性に何か嫌なことをされたわけでもない。

やめて欲しいと思ったことは何度もあるが、

だからと言ってフェミニストになるほどのことはない。

むしろ、なんで男性ってこういう風にしか怒りを出せないんだろうと興味深かったことしかない。

たまに、変質者がいて自分の股間を見せてくる人もいたが、

頭のおかしい人っていう感じで終わっていた。

ただ、今思えば、男性と戦う・競争する・優劣を取る以外の共存方法を

しらなかったようにも思う。

学校の中で、男の子に守られて、男の子に頼って時間を過ごすなんていうことは

学んだこともなければ、体験したこともない。

「男子 対 女子」なんて構造はいくらでもあった。

掃除をしない男子

合唱を一生懸命しない男子

運動会の練習に参加しない男子

そんな感じだろうか。

実際に、「頼るってなに?」っていう感じだった。

頼るとは、

水たまりを通った車が跳ねた水を、彼女につかないようにすることなのか?

頼るとは、

やんちゃな人に囲まれて「助けてー」と叫んだら、誰かが助けに来てくれることなのだろうか?

頼るとは、

足をくじいた時に、誰かがおんぶしてくれることなのだろうか?

残念ながら、水たまりの水が飛んで来たこともなければ、やんちゃな人に囲まれないように賢く生きて来たし、足をくじいたらケンケンしながら保健室に行ったもんね。

よくヤンキーの先輩が、「こいつ、俺の女」と言って、彼女の肩に腕を回し、

ソバージュをかけた女性が肩にクッタリと首をもたげていたのを見たことがある。

それが頼るということなのか。

そんな昔の回想がぐるぐると私の中をうごめいていた。

女っていう生き物ってなんなんだろう。

どう男性と織りなしていくために、神様が作ったのだろう???

20代で大失恋をするまで、

私は、いつも彼女って何をする人なんだろうって思っていた。

考えるから、難しいのよ。

でも、大抵自分でなんでもできたし、男女の関係がカラダ以外にどう関わってくるのか

本当にハテナでいっぱいだった。

そして、

大失恋をした後、私のハートは大きくガッチリと心を閉ざした。

そして、数年が過ぎ、私はゆっくりともう一度

女性ってどう言う生き物で、どんな風に男性と繋がっていくことなのかを

学び始めた。

閉じた心をゆっくりと開くために。

そして、学びながら、アンドリューに出会い、女性ってこんな感じなんだなあって

感覚がわかってきた。

守りたいと思う男性の中に、いられる安心感を感じたのは、私にとってギフトだった。

ただ、私がそれを心地よく100%受け取っていたかと言ったら、それは嘘になる。

で、女性ってなんなの?と思うことが節々から滲み出て

それが、喧嘩の種になることもしょっちゅうだった。

守りたいと言う気持ちで発言する彼に、

うるさいなあっと言う私。

守りたいと言う気持ちで行動する彼に、

細かいなあと思う私。

守りたいという気持ちでアドバイスする彼に、

だったら自分でやってよという私。

彼の守りたい想いが受け取れない。

捻じ曲げて受け取ってしまう。

どうしてだろう。。。

Queen's code という本が本来の女性のあり方を示しているということで

貪るように一気に読んだが、よくわからなかった。

賢いばあさんが、男性を手玉に取っているような話し方をしているようにしか

当時の私には見えなかった。

それでも、もっと理解したい私は

作者のワークショップを受け、作者のオーディオブックを聞いて

男性と女性の違いについて学んだが

実際のところ、女性とはこういう生き物ですよという、違いを学んだだけで、

私が、女性として、どうあったら心地良いのかが分からなかった。

そんな中、友人の投稿で私はハッとした。

++++++++++++++++++++++++++

私は、女性が男性と平等である振りをするなんて馬鹿げていると思う。

女性は、はるかにすぐているし、ずっといつもそうだった。

なんであっても女性に与えると、女性は、それをより素晴らしいものに作るのだ。

もしも、あなたが精子を女性に与えれば、彼女はそれを赤ちゃんに作る。

もしも、あなたが家(ハウス)を女性に与えれば、彼女はそれを家庭(ホーム)に変える。

もしも、あなたが食料を彼女に与えれば、彼女はそれを食事に変える。

もしも、あなたが彼女に笑顔を与えれば、彼女はあなたに心を与える。

女性は、与えられたものを何倍にもし、広げるのだ。

だから、もしもあなたが彼女にどうしようもないものを与えれば、

あなた自身は、彼女から沢山の困難を受け取ることを覚悟しないといけない。

ウィリアム ゴールディング

英国の小説家

1911−1993

++++++++++++++++++++++++++++++

(*友人が投稿した写真)

ストンとこれらの言葉が落ちた。

自分がこんなにも豊かなパワーに変える力を持つ存在だとまっすぐに信じることができたら、とても女性としていることが心地よいのではないだろうか?

しかも何かを達成することで得る男性的なエネルギーではなく、

もう既に持っていることをまっすぐに信じることができたら。

ただ女性として存在するだけで、何も達成しなくても十分な自分だと心の奥底から

生まれ持った権利として信じることができたら。

そしてその権利を誰にも侵されることなく保つ力強さを持ったとしたら。

私たち女性は、この一つのことを何倍にも、想像以上のものにする力があるんだ。

1匹の精子を、人間にしてしまうほどのパワー。

一軒の家を、家庭にする豊かなパワー。

食料を、食事に、もしくは、薬に変えるパワー。

そのパワーが発揮される時というのは、

男性が

精子を運んできてくれたり、

一軒の家を構えてくれたり、

食料を狩りに行って採ってきてくれたり、

それらがもらえた時に、発揮される。

もうここで愛のエネルギー循環ができている。

もらうことで与えることができ、

与えることで、もらえることができる。

つまりお互いに与え合い、もらいあってる。

それを阻むのはなんだろう。。。。

どこからこの循環が、競争、優劣へと歪んでしまうことになったんだろう。。。

そう考えてふと思い出しのが

私が昨年、子宮のワークショップをした時に、

「子宮の声というのを聞く」行程を行なったことだった。

その時に、子宮が『悲しい』『悔しい』『蝕まれている』

そんな声がたくさん涙とともに出てきた。

それを癒していく行程で、みるみる内に参加者の女性一人一人が

美しく表情が変わっていくのを見て、

私は、すごく感動をした。

愛の空間を心地よく感じた。

それと同時に、こんなことも思った。

子宮がその感情をためていたということは、

この豊かなものに変えるパワーよりも、その悲しみや悔しさなどが

こだましてしまうパワーになってしまってたのかもしれない。

そしたら、その悲しさや悔しさ、寂しさから

自分を守るために戦う必要が出てくる。

悲しさや悔しさ、寂しさから自分を豊かなものに変えるパワーがあるなんて

信じられなくなってしまう。

そして、子宮が本来持つパワーである増幅するエネルギーが

その「自分を信じられない」という気持ちを増幅してしまうことに使われる。

『自分を信じることができない。』

これって、疫病のように今、蔓延している。

子宮は、ダイヤモンドのクリスタルと似ている。

ダイヤモンドのクリスタルは、

ポジティブも拡声するが、ネガティブも同じぐらい拡声する。

いつもダイヤモンドのお水を飲む時には、自分がポジティブな状態であるように

注意するように伝えるほど。

ワークショップに行く前に、読んだ、女性はダイヤモンドである。。。。という説明文(その時のブログはこちら)と、ハマった感じがした。

そして、自分を輝くダイヤとして扱うのではなく、

その悲しみや悔しさなどで、自分を生かしきれず、燃えかすとなった石炭のように

扱ってしまうから、本来の女性としているだけでもつエネルギーが放てず、

男性と織りなすことができないんだ。。。。

ダイヤであることを忘れてしまった石炭は、

周りも石炭であることを求め、

石炭でいいのよとねじ伏せることをしてきたのかもしれない。

もしくは、ダイヤでいる人を崇めてみたり、ダイヤでいる人を妬んでみたり。

そのダイヤであることを理解し、実践して生きている人に会ったことがほとんどなかったから、私は女性とはどういう生き物なのかにたどり着くのに

とても時間がかかったような気がする。

自分がダイヤであることを100%取り戻しにいく旅が

今回のワークショップだったと感じている。

ワークショップを終えて今、

一つの物事を素晴らしい豊かなものに変えることができるパワーを持つ女性として生きるよりも、

どこかで、まだ戦い、優劣の中で生き抜き、正しさを主張するところに向かって

生きてたのだと気付いた。

それが抜けて、今は、

自分がもっともっとクリアにその豊かに変えるエネルギーを所有している人間なのだと、かつてないほど感じている。

だからと言って、私が完璧になったのではない。

だからと言って、私はこれからなんの弊害もなく順風満帆に生きていきますというのでもない。

ただ、自分がその歪んだエネルギーの元となったところに戻り

その最後のとげ抜きをして、自分のパワーを取り戻しに行ったワークショップだったと感じる。

まだまだ続く

モノクロから虹色へ

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