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はけ口

前回のブログをFacebookにアップすると、

一人の女性から『セックスは男性の性のはけ口の感じがする』というコメントをもらいました。

はけ口。

もう、これ、男尊女卑の始まりの産物だなあと思い出し。。。。

私が、バギナスチームバス(膣にハーブの蒸気を当てて膣を癒す方法)を

マヤ文明で学んだ時、歴史を少し学びました。

土偶時代を見ると、だいたい、土偶は女性の豊満な体が形が原型で

ポン・デ・リングみたいな、まるまるした感じ。

母なる大地なんて言うけど、この世の物は全て、大地からしか生まれない。

だから、母なる大地は素晴らしいんだって言う言葉をアメリカンインディアンの洗礼の言葉でもあるほど。

男性と女性、どっちが上?どっちが優れている?と言う話ではなく

単純に女性の体の持つ素晴らしさを謳っただけなのに。。。。

調和の女性性から競争の男性性へとシフトした時に、

【男性に女性と子供は支配される】

という図式が出来上がったことを学んだ。

そんなの昭和よって思うかもしれないけど、

その考えはびっちりと知らぬ間に、蔓延している気がする。

『俺がお前を幸せにしてやる』

というロマッチンク的な言葉しかり

『俺に黙ってついてこい』

というちょっと頼り甲斐のある番長的な言葉に感じてしまう言葉しかり

『俺のいうことを黙って聞いてりゃいいんだ』

というパワハラの発言しかり

『私を喜ばせるサプライズを待っているわ!』

という女性の男性に対する大きな期待という名のプレッシャーにしかり。

競争社会における、物質社会。

上下関係を作った方が、ものは売れる。

だから、調和で今のままで十分という気持ちよりも、

「足りない、あの物が手にはいれば、満たされる。」という気持ちに煽る方が

売れる図式を作ったのには、頭がいいなあと感心する。

さて、そのはけ口というお話。

先日のクライアントさんのお話をシェアです。

『私、旦那さんとの夫婦の営みがとても嫌なんです』

『それはどうして?』

『物のように扱われている気がして』

『具体的に、何か言われたのですか?』

『いえ、そういうわけではないんですけど』

『じゃあ、そのものみたいに扱われているという感覚って

 何から来ているんでしょうね。』

『うーん、なんとなくなんですけど』

『ちょっと体に聞いてみましょうか』

そして筋肉反射テストを使って、『いつ』それを感じるのかを聞いてみた。

『性交中にものと感じる?』ーーーーNO

『性交前?』ーーーーーーーーーーーNO

『性交後?』ーーーーーーーーーーーYES

『性交後10分?』ーーーーーーーーNO

『性交直後?』ーーーーーーーーーーYES

『性交後、特に直後に”物”と感じる感覚があるみたいですね。』

『確かにそうなんですよね。』

『。。。。。。。。。。』

『っていうか、性交ってなんですの?』

『え?性交って、あの性交ですよ』

『いや、だからそもそも、性交に終わりってあるんですかね?』

『え?終わりはあるでしょう。男性が射精したら終わりですよ』

その彼女の言葉が、筋肉反射テストにて大きく反応。

『性交って、男性が射精して完成だって思っています?』

『はい。それが常識かと』

『でも、だったら射精って言葉で良くないですか?

 性交っていうのは、性が交差しているとか性が交わっているってことだから、、、、

 一緒にいるだけで、手をつないでても性交だろうし、一緒に隣で寝てても性交かも。

 ただ、射精をしたことで、物に感じるって思うのですから、

 射精をゴールにしているっていうことが嫌なのかなあ』

『あ、そうです、そうです。別に射精に行かなくてもいいのに。

 私は単純に二人の時間を楽しみたいのに、

 旦那さん自身が射精しないと申し訳ないっていう感じだし、

 射精できないと焦るし。

 だから、私自身が彼にとって、シャセイをするための道具に感じてしまうのかも』

な、る、ほ、ど。

『旦那さん、アダルトビデオ、見ます?もしくは見ていました?』

『はい、おそらく』

『そうですか。

 あの、アダルトビデオって、男性がより早く効果的に射精をすることを最終ゴールに作られたものなので、それが性行為のお手本になっちゃうと、どうしてもゴールが射精になりますよね。

そうなると、女性の気持ちが置いてけぼりだし、

まあ、アダルトビデオの代わり、つまり「物」に感じるのは、理解ができることです。

それによって、

多くの男性が、きっと(射精をして終わるはずだ)っていう飼い慣らしの洗脳をされているだろうから、きっと男性のプレッシャーもすごいでしょうね。』

『あのーどうしましょう』

『どうしたいですか?』

『物ではなく人として扱ってほしいです。』

『じゃあ、人として扱ってもらうために、あなたができることって何ですか?』

『私が、彼を人として扱うことかなあ。』

想像もしなかった、彼女のあまりの高尚な答えに私はとても興味深く聞き入った。

『たぶん、私って今までそのアダルトビデオに登場する女性のように

 男性の目を見ることもなく、自分の体を差し出してたと思います。

 男性が私を楽しませてくれるだろうっていうか

 男性が女性の体を知っていて、私を喜ばせてよってどこかで思っていました。

 まあ、それが慎ましいっていうか、女性らしいっていうか、

 そんな風に思っていました。

 だけど、多分、私もこの行為に参加をしないといけないっていうか。

 私も参加して二人で楽しまないといけないですね。』

ほほぅ。。。

先にも述べたように、競争社会は上下関係ができる。

だから、どちらかがリーダーシップをとり、流れを考え、責任を取る。

もう片方は、従うのみ。

そんな競争社会の図式が

男女間の営みでも、無意識のうちに当てはめられている。

その一方で、調和の図式は、二人で織りなす。

中島みゆきの「糸」がBGMで私の頭の中ではずっと流れていました。

性交って、英語ではセックスっていう。

でも、セックスのセクってセクションのセクだから、別けるってこと。

だから、セックスは性別という意味もある。

性交 と 性別(セックス)

なんか、資本主義の上下関係宗教を作り出したアメリカの性に対する意識が

日本の性の意識に犯されている感じがするなあ。

クライアントさんから本当に私は興味深く色々な考えや気づきをもらっています。

モノクロから虹色へ

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