1人の女性の結末からの感想ー質問力と自己愛
- Izumi Takiguchi
- 9月11日
- 読了時間: 7分
先日、こんなメッセージをいただきました。
『Izumi sanの最新ブログ。
もう半端なく勉強になります。
これすぐに読めるIHのことを書いてる大事なノートにブログを書いておりました。
ガイドの仕方がやっぱりすごいのと、サクッと切り込むシャープな質問に私はゾクゾクしながら読んでました。
それでいて、彼女の出来ないっていう言葉を私の生活の中にも違う内容で起きてることに気がついたりして、内観している自分もいます。
シェアしたくて。メッセージでしたー』
とのメッセージ。(彼女はIHのプラクティショナーで活動をしている優しくて愛情深い女性で、
こうやって自分でどう素晴らしいセッションが出来るかを勉強しているんだなあっていうのが伝わってきて、嬉しかったです。私のこのセッション内容が、彼女の何かしらの参考になることを願うばかりです。メッセージをありがとう!)
しかもノートにまとめてくれたみたいでその写真も!

その時のブログはこちらです。
シャープな質問
ありがとうございます!
私も質問はとても大事だなあって感じています。
質問によって、その人の人生の可能性が小さくも大きくもなるからです。
人は考えたくない時に
そういうものだから、仕方がない。
あなたには分からない。
というスタンスをとりがちになります。
私もそうです。
言われたくない。
聞きたくない。
見たくない。
日光東照宮のサルです。(ちょっと違うか)
断定するんです。そういうものだからって。
ただ断定をしている限り前に進めない。
自分の人生がそのままの延長線上をたどります。
毎回思うんですけど、
インテグレイティッド・ヒーリング(略:IH)の素晴らしいところは
この質問力にあるんじゃないかなと感じています。
質問されるから、自分の人生が開かれる。
私自身、キネシオロジーに出会うまで、
自分に問いかけられることってほとんどなかったです。
〇〇しなさい
〇〇しといてね
〇〇のはずだから
〇〇っていうものだから
そう断定をした中で生きてきた気がします。
そういえば
質問された時に返答する筋肉が整っていないために
ある日、「あなたの週末どうだった?」って聞かれて
「I am fine, Thank you」って答えていた時の私を苦々しく思い出します。
定型分があって、そこをいかにしっかりと進めていくか、、、みたいな。
質問をされたときとは、
その型にハマったところがぶち壊される感覚があって
あれ?これが唯一の答えだと思っていたけど
違ったかも?他にもあるかも?!ってパカーンと開く感覚になる。
I Hってそれがガンガン入ってくるので
私自身、すごく質問によって自分の人生の質は変わったなって思います。
あ、世界でコーチングとして有名なトニーロビンズも言っています
"The quality of your questions determines the quality of your life"
(質問の質が、自分の人生の質を決定づける)
人が人生を変えるには、本当に質問力は大事だなって思います。
あと、もう一つ変容において大事なことがあって、
それは質問に対して、「質問を受け取る力」かなと。
彼女からいただいたメッセージを読んだ時に、
私だけの力じゃないんだよな〜っていうのを自分で感じていました。
これはたまたまこのブログに書かれている
クライアントさんの感度が良かったというか
ちゃんと私の声を自分の中に取り入れる事ができる人だったっていうのも
セッションが変容に向かっていった大きな要因だったと思います。
だから私の質問力だけではなく、
クライアントさんのスタンスが強かった部分も大きかったといいますか。
ブログを読んでくださった方は、
彼女のやりとりを読んだ時、
きっと「イタイ女性だな」って感じた方もいらっしゃると思います。
そう、イタイ女性の状態になっていました。
怒りや憎しみや悲しみや苦しさがまぜまぜになって
彼女がイタイ状態になっていたんです。
だって、相手が不幸になったら私は幸せって
なかなかドラマ以外で出てこない文言ですよね。
でも、彼女はそうなってしまった。
犠牲者意識は、辛いことがあったら誰でも陥りやすい場所だと思います。
だから私は悲しむとか怒るとか嘆くとか
別に大した問題じゃないと思っています。
でも、大した問題なのは、
根本的な自己愛のところだと思っていて。
きっとこの流れがうまくいかない人は
自分が犠牲者のままでいたいから話は発展したくない
人をずっと非難していたい
自分は悪くないと思いたい
「私のことをわかってくれない」というのが口癖
頭で理解したい
言葉で打つまかしたい
DOの方を優先する
きっとこれを世間で他責思考なんていうと思います。
私は自分を不幸にしておきたい人の思考回路だと思っています。
自分が幸せになってはいけないと心のどこかで思っている人です。
それが親からなのか、社会通念からなのか、環境から来たのかはその人次第なので定かではないですが。
もしもこのブログに登場した彼女が他責思考のパターンだったら
「きっとあなたこういう経験をしたことがないから、私のことなんて分からないのよ!」
と言ってセッションは終わってたんじゃないかなと思います。
だから確かにどんな質問をするかも大事だなと思いつつ
私はたまたまクライアントさんの自己愛に助けられたに過ぎないなとも感じています。
まあ、かつての私もかなり「あなたはわかってくれない」って泣いてた人間なので
その気持ちもわかります。
楽だから。被害者の方が。
そんな私でしたが、I Hに出会って、質問をすることができるようになったと同時に
質問をされる機会も日常的に増えて
私のスタンスが、
すごく変わったなって思ったことがあって。
I Hを始めて、2年した時、私は夫のアンドリューと出会いました。
そして、彼を通じてすごく心と向き合う男性に多く出会うことになりました。
その男性たちとお話をしていると
私は安心感を感じて、自分らしくいられて
共通の言語を話しているんだという気持ちになります。
今までの男性とはこういう話をしたことがあったかな?って思うぐらい。
でも、おそらくですけど、私がIHを通じて変わったんだと思います。
自分の心に何かがあるたびに
IHのセッションで、犠牲者マインドでいることを何度も何度も修正されましたから笑
それが決定的にわかった時があって、
数年前でしたかね。
ある日、とっても怒りが出た時があって
自分でも信じられないぐらいの怒りだったんです。
それをアンドリューにシェアした時に
「その相手って誰に似ている?」って質問されたんです。
「そんな人いないよ!あんな酷い人初めて見た!」
って怒った私。
「誰かっていうのは、例えば、家族、友人、仕事上の付き合いの人、自分とか」
という質問によって、
「…」
沈黙の後
「げ!そうだ。昔の私だ」
って気づいたんです。
そしたらスーってその方に対する怒りが消えて、
そうだよなー昔の私ってあんな感じだったな。
その時に、マチルダやその他の人によく助けられたよな。
今度は私がマチルダや他の方のように彼女に手を差し伸べる時なのかもしれないな。
ま、その人がそれを望むか知らんけど。
みたいな形で全くもって変化をしたんです。
その時(図星の時には特に!)
「私の気持ちなんて知らないでしょ!」
ってずっと怒ったままだったんだろうなと思います。
感情的な中でも
もしもこれが私が引き起こしている事態だとしたら?と考えることができる。
しかも自分を責めるの念からではなく
自分に責任を取る想いから。
(おー、私、やるじゃん)って思った瞬間でしたね。
そう考えると、誰かからの質問、問いかけってすごく大事ですよね。
自分が感情にはまっている時の質問は特に。
そして、思うんです。
きっと、
自分の人生の成長を願い、
何かの局面で声をかけ、
自分に対して質問してくれる人がいて
それを受け取って自分の中で内観する人が増えたら
この世の中の会話方法って大きく変わるんじゃないかって。
嘆きよりも、望みを話すようになるんじゃないかな
陥れるよりも、引き上がることを話すようになるんじゃないかな
疑うよりも、明らかにすることを話すようになるんじゃないかな
って。
それのあり方を私が学べたのは、I Hでした。
その姿勢を学べてのは、ピラティスでした。
Integrated Healing の講座のお申し込みを受け付けております。
ぜひ
自分の内側と向き合って
全く違う形で人とお話をすることができるようになりたい方、お越しください。
本当に自分の在り方を変えるであろうすごく面白い講座です!
詳細はこちらをご覧ください。
モノクロから虹色へ











































コメント