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頭打ち


キッチンカウンターで泣いてた私。

どうしたの?と聞いてきたアンドリューに私は

『もうわからない、なんで泣いているのかも』

夜中の授乳が続き、寝不足というのも1年が経った。

顔も老けた。

口角って寝不足で下がるものなのねという感じがひしひしと口の内側から伝わってくる。

写真を見ても、どこから首でどこから顎やねん。

しかも、この顎を何重顎って呼ぶんだ!?

毎日が手探り状態。

離乳食も何がいいんだか、悪いんだか、よくわからんし、

お味噌汁が赤ちゃんにはしょっぱすぎるのかもわからんし、

ピューレ状にしたほうがいいのか、

そのままの形状であげるBLWがいいのかも分からんし

3食なんて食べない私が3食何を作っていいのかもわからんし、

十分な栄養が取れているのかもわからんし

彼女の昼寝は十分なのかもよくわからんし

抱っこしながら寝かせていいのかもわからないし

一人部屋に寝かせたほうが、娘がゆっくり眠れるのかどうかも分からんし

彼女の発達に十分な刺激を与えているのかもよくわからんし

毎日私が出歩くために、彼女のスケジュールが安定していないことも彼女の精神安定的にいいのかもわからん。

なんかこれでいいのかなあ?と。

1歳を無事に迎えて、ホッとしたのもつかの間

歩き始めて興味が出始めて、コミュニケーションが取れ始めた。

一歳になったら、楽になるよ。

そう言われてきた意味がわかると同時に

おっぱいとオムツ交換と寝させるだけでは済まなくなってきた。

私がいうことも理解しているようで

ボールを取ってきてといえば、ボールをちゃんと取ってくる。

右手を頂戴といえば、右手をくれる。

ママ、ママ、ママ、と決まって私がキッチンに立つと娘はいい始めて

私は、ママという声に応えたい愛情と、包丁を持っているから危ないという神経とが

うまくマッチしない。

コーヒーに古いミルクを入れて分離した、あんな感じの不味さが心に広がる。

私の愛情って、彼女に伝わっているのかなぁ

私の愛って、十分なのかなあ

よぅわからん。

そんな風に『よぅ分からん』ことが、ずっと蓄積されていく。

自分の事ならいいけど、人間の命を預かっているから失敗は出来ないという

変なプレッシャーもある。

ただ、一緒に8時に寝落ちするので、ゆっくりと振り返る時間もままならない。

やばいなあ、私。

こういうやばい時って、やばいエネルギーが、やばい状態を引き寄せる。

先日行った赤ちゃんクラスで、私の歯に朝食で食べたブルーベリーの皮が

はさまったままになってた。

気づいたのは、赤ちゃんクラスが終わって車に乗り込んで

フゥと車のバックミラーで自分の顔を見たとき。

もう泣きたくなった。

余裕がない。

歯の間に入っているブルーベリーを朝、トイレで見たじゃないか!

取らなくっちゃと思った次の瞬間に、ママ〜と声が聞こえて、そのまま忘れてしまった。

次々と私が笑顔で話しかけた母親たちの顔が脳裏に浮かび消えていく。

あまりの恥ずかしさと情けなさに頬が引きつった。

それでも泣くのを我慢して車を発進させた。

『大丈夫大丈夫。誰も私の歯なんて見てないって』

と念仏のように、言い聞かせるように、唱えながら。

そんなのが重なって、

ある晩に娘が寝た後にキッチンカウンターで泣くという状況に陥ったのだ。

いろんなことがありすぎて、なんで泣いているのか分からない。

やってることに確証がないことと、

余裕がないことの連続で不安の波の中で溺れかけていた。

子育てに正解はないなんて、よく言うけど、

こんなに分からないまま進んでいることって、

車の運転をよく分からないまま、誰かを引きませんようにと願って

運転しているような感じだ。

きょうかーん。

ドジでのろまな亀でも、教官がいるだけ、ええやん。

考えてみれば末っ子の私は、

お兄ちゃんお姉ちゃんの真似をしていれば怒られずに済んだ。

トロイ私に、なんでも誰かがやってくれてた。

書道の先生も『いずみちゃん、私が書いた紙を下に敷いて写しなさい』って。

塗り絵も『色を指定したところをそのまま塗ればいいのよ』って。

ピアノの先生も隣りで弾いてくれて、それを真似すればよかった。

写生大会も、だいたい誰か絵が上手い人が書いてくれて、

私はパレットを洗って最後に名前を書けばよかった。

家庭科の裁縫も母がやってくれた。

高校生の時の浴衣作りは、家庭科の先生がやってくれた気がする。

誰かの真似をしていれば、なんとなくうまく行ってた。

できないときは、誰かがやってくれた。

チックショー

ここでそのツケが回ってきたか。

私の娘を誰かが代わってやってくれるわけがないし、させたくもない。

今は、1歳になって歩くことが楽しくて仕方がない娘を

私が髪の毛がボサボサの状態で、

ブルーベリーが挟まった歯を見せて笑いながら追いかけ回して

これでいいのかなあと案じている。

なんか、ここで考え方のシフトが必要そうだなあ。

このこれでいいのかなあという不安が睡眠不足と相まって

『私は十分な母親ではない』という自己否定が始まった。

こうなると、ネガティブな考えのオンパレードが始まる。

『私は、愛されるのに十分じゃない人間だ』

とか

『私は、全然出来ない人間だ』

とか

『私は、考えが甘い人間だ』

とか。

もうドラマチックに悲劇のヒロインの一人芝居が始まり、

本気でその自分が作り上げた考えに悩み始める。

アンドリューにそれを泣きながら言ったら、一言

『面白いドラマだねえ』

ふん、何さ。

男の人にはわからないのよ。

と、また悲劇のヒロインごっこに一人ふけてオイオイ泣く夜。

続く

モノクロから虹色へ

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