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胃の痛みの後日談

前回のブログの後日談だが

実は、母親にその話をしてみた。



そう、あの子育てをしている間につまらないって思ってしまうと言うことについてだ。


もう認めざるを得ない。

って言うか一緒にいてつまらないのに

あんたのためにいてあげてるって、友達であっても彼氏であっても願い下げではないだろうか。


だから、本当はさ、言ってはいけないと思っていたけど、

こんなことを感じてはいけないと思っていたけど、

それを認めずに、ずっと隠している方が、結局は、嫌な関係だと今振り返ると思う。


あの日からもうすぐ2週間が経とうとしている。

私の中でカチリと変わったあの日から。


まずはスケジュール手帳に書いた。


子供たちと過ごす日

仕事をする日

旦那さんとの時間

家族との時間

自分との時間


混在する1日もある。

午前中にセッションもあれば、今行っている企画についての準備もありながら

午後がフルに子供たちというように。


でも、自分の未来がちゃんと区分けしているのを知っていると

ああ、この時間を本当に思う存分味わおう!と思える。


昨日なんて、朝起きたときに私は眠くて仕方がなかった。

娘が夜中ぶっ通しでおっぱいを吸っていたから。


そんなゾンビ状態の体で、その日の予定は私が一日動物園に連れて行く日だった。

でも、この日は子供たちと!と決めたから、一日1歳児と3歳児の二人を連れて歩き回って楽しんだ。

そして夕方にはドクターのオフィスで3歳児チェックをした。


そんな中でも

イラッとなる瞬間が何回かあった。

例えば、納豆を座って食べてって言うのに、たちながら食べて髪の毛についた瞬間に

「マジかよ!」と、目くじらを立てたくなる私。


でも、その瞬間に頭の中で

「そんな大したことじゃないやん。って言うか、臭くておもろいやん」と一歩下がって


目イルカ(←目くじらに対抗して自分で作った造語)を立てる。



そして、『ちょっとーーーー臭いんですけどおおおおー!』と笑って言うと

子供がキャッキャし始めた。


これこれこれ!!!


その後ムッチャ二人のやりとりが可愛くて、ずっと笑いながら見ていた。


そして、思った。

別に納豆ぐらいで死ぬわけじゃあるまい、何を私は今まで何をやってたんだろう。。。と。


本当にいただいたアドバイスの

『今しかない。この小さい時は、今しかない』


これを私はすごく味わえるようになった。

胃が痛くなる前は、呪縛だったのに、今はありがたき言葉。



人間は、【意味づけをするマシーン】だと私はキネシオロジーのクラスでよく伝える。


同じことだけど、どう意味付けするかで世界は本当に変わってくる。

どれだけカラフルに意味付けできるか。


それが一人ではできひんねん。

だから、潜在意識のワークをしたり、他の人の考え方を参考にしてみたりすることって

大事だなあと改めて思った次第。




さて、話は母との会話に戻りますが、


胃が痛くなった日を境に

毎晩8時には就寝し、朝7時に起きる日が何日か続いた。

もちろん、夜間授乳をしているから11時間ぐっすり寝ているわけではないが

それでも、私の体は確実に少しずつ体力を戻していった。


気力はめっちゃある。

でも、体の方はゆっくりと回復をしている様子で

何日かかけて、ゆっくりとご飯を固形物に変えていった。


(胃にとって負担じゃないものをキネシオロジーで選びながら食べれるので

本当にキネシがあって助かったーと思うわけです。)


そんな中、母親から突然の電話。


なんだか気になって、子供達が寝ているベッドをそっと出て

私は夜中1時に日本に電話をかけた。


そして母親に胃の痛みの原因の話をした。


『なんかさ、胃が痛くなってさ、お医者さんには何の問題もないって言われたんだけどさ、

 結局、私はさ、毎日の生活をこなすことに必死で、自分の時間なくてさ、

 こんなことを言ったらかわいそうなんだけど、

 子供といる時間をつまらないって思うことが多かったのよ。』


そしたら、間髪入れずに『わかるぅ』と母はいった。


そして、続いて母は、

『全くさ、子供が一人で電車に乗ったときに、あたしゃ、思ったよ。

 あああーようやく解放された!ようやく子育てから私は自由の身になった!ってね。』


と。


それを聞いている私。


えっ、ちょっと複雑なんですけど。

それ、私のことですよね、、、、みたいな 笑



でも、自分がそこの黒い部分の感情を認めて

もっともっと一緒にいて楽しいって言う親子関係に変化できたから

その母親の言葉も共感に9割になった。

1割、寂しいぜって感じだけどさ。



世の中のお母さんが私のブログを読んだら

もしかしたら、ダメな母親とか、嫌は母親とか、酷い母親とか言われちゃうのかな。


でもね、自分の母親が共感してくれただけで

複雑だけど、なんだかホッとしたんです。



アンドリューも言うんです。

何を感じてもいいって。


それを感じないでいることの方が不健康だって。


本当にそう。

中途半端な関わりだけは、私の性に合わないってわかるための感情だから。


私は、子供と100%愛を持った眼差しで過ごしたいんです。


携帯電話をいっつも使っている彼氏の横に四六時中いるよりも、

仕事の合間の30分のランチ休憩に携帯電話を横に置いて二人で目を見合って話す彼氏の方が

私は一緒にいて楽しいから。



つまらないと思ってしまった自分を振り返るとギュインと心が痛くなる。

でも、それを認めることで自分っていう人間がさらにリッチに時間を過ごせるように変われた自分に

すごいぞ!とも感じる。



これでいい。


見ないようにしている分だけ、自分の人生は質を失う。


つまらないって感じたからって、愛がないわけじゃない。


どんなネガティブな感情も、その裏には成長と変化しかないのだから。


私のあり方でやり方で。


(*子供の小さいバイクをぶんどって、私が遊んでいます。この背後に子供が後ろから追いかけてきています)

モノクロから虹色へ

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