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ピラティスの試験を受けて、等身大の自分を見せることの怖さを感じた私

等身大の自分を見せる事に躊躇する。


なんで躊躇するんだろう。


誰かに馬鹿にされるから?

誰かに下に見られるから?


いや、私の場合は、

自分にガッカリするから。



出来ない自分に対する惨めさ


失敗した自分に対する失望感


期待に応えられなかった自分に対するガッカリ感


本当はすごいところもあるんだ!と弁護したいけど、説得力に欠ける無力感



この感情を感じるのが嫌だから

等身大の私を隠したくなる時がある。


出来なくても出来ている顔をする。


大丈夫じゃなくても、大丈夫な顔をする。


悔しくても、相手のことを喜ぶ顔をする。


納得がいかなくても、理解したふりをする。



そんな風にして生きてきた時代から

少しずつ等身大の自分を愛してきた30代。


今、もうそんな気持ちになることはないと思っていた。



ところがどっこい、


まだまだ隠したい私は根強く残っていた。




私は金曜日の朝、コンピュータの画面の前で

ピラティスの試験を受けることになった。



上級者用のマスターインテンシブプログラムを受講する資格を得るために。



是非とも参加したい私は申し込みをした。


すると、アドミンから「試験を受けて合格した人だけね」という連絡。



試験か。。。



試験に受かれば私はワークショップに出れる。


そして私は金曜日の朝、画面上のカメラの前で

45分間のピラティスを見せるという試験を受ける流れとなった



オーディションで

落とされる事の自分への絶望感は

20年経った今でも細胞レベルで覚えている。


この落ちた時の、言葉にならないこのガッカリ感は、結構キツイ。


自分ができない奴と見られることも

自分が自分自身に失望することも

仲間が受かって自分が落ちる惨めさも。


自分の存在を誇りに思えない時は

消えていなくなりたくなるぐらいその感覚から身を遠ざけたくなる。



そんな感覚が沸々と体の細胞を目覚めさせてく。



「あなたの体のことで知っておくことは?」


そう聞かれたとき、

「何もありません」


と言いそうになった。


仙腸関節に長年の痛みがるのに。


でも。。。


だって、試験ってそういうものでしょ?


試験って、

自分のベストの面だけを見せて、

いい評価をもらって、

合格することでしょ?


「このエクササイズ、出来るかしら?」


と言われたとき


「はい、できます」


と考える前に言いそうになった。



だって、


甲子園だって、

お相撲さんだって、

柔道家だって、

バレリーナだって、

駅伝だって、

アイススケートだって、


本人たちが持つ怪我の痛みを乗り越えてやることに、美徳があるじゃない?



この試験に合格をしたら

私は先生に認められて、ワークショップに参加ができる。


だから、何が何でも、いいピラティスを見せて、合格するぞー!!えいえいおー!


って、今までの私は思っていた。



でも、私の口から出てきた言葉は、


「私が、今、伝えるべきことは、

 私は、先生に認めてもらうために、

 出来てるように見せるパフォーマンスをしてしまう傾向があります。


 でも、実際の体は上級者の動きは動けません。いや、無理をすればできると思います。

 ただ、それは体のつながりの上で成り立つ動きではないので、私は、終わった後に体を痛めます。」


と。


そんな風に私がいったので、45分の試験は、とてもベーシックなものだった。


先日のワークショップで見たインストラクターの動きとは比べ物にならない位のベーシックな動き。


終わった後

「では、試験の結果はまた後日メイルで連絡をするわね」


そういって終わった。



その結果はまだ届いていない。


できない自分を見せたことも、出来ない自分を認めて相手に伝えたことも、

とても悔しかった。

恥ずかしかった。

自分が情けなくも感じた。


こんなもんじゃなかったのに。


そんな捨て台詞まで

口から漏れた。



でも、今の時点の私はここなのだ。


夜、アンドリューと歩きに出かけた。


冷たい夜の空気がほっぺたを凍らせるなか


私は、

「アンドリュー、自分のことを自分で出来ませんっていうのって、なんか今日、悔しかったっけ」


と話した。


暗闇の中で、沈黙があった後、


アンドリューは

「その中で君が学んだことは何かあった?」

と質問した。



「そうだね、彼女に出来ないって言えたから、先生の指導の凄さをより感じたよ。

 あのカメラで、あれだけ体を見て、指示を与えられるってすごいなって思った。


 体がね、試験の後なのに、すごく軽くなったなの。


 より一層 彼女から学びたくなったなあ。」



吐く息の白さが消えていくのを目で追いながら

私は心の中で

(どんな結果が出てもいいいや)


と思い始めていた。



そしてその二日後の日曜日の夕方。

彼女から届いた一通のメイル。


どんな結果が出てもいいと思ってるくせに


恐る恐る、片目を開けながら読んだ。


そこには、


”このインテンシブのクラスに、あなたを許可したことをここに嬉しくお伝えします。


この初めてのプログラムのクラスの一員として、あなたとこのプログラムを始めれることを嬉しく思います。そして、あなたのピラティスへの心からの献身的な態度、オープンマインド、そして自分を成長させたいという熱意が私がこのクラスで一緒に働きたい仲間であり先生です。


このプログラムを通じて、あなたのことをもっと知ることができることが楽しみです。”



と書いてあった。



「wow」

と口から漏れた。


とても嬉しかった。

でも、昔のように、両手を天に上げていやっほーい!と喜ぶ感覚ではなかった。


自分の実力を180%出してきた昔と、違った。


Doing Good をして得た時の勝利感ではなかった。


Feeliing Good を最優先にした私の今回の試験と合格通知。


ジェットコースターのような感情の起伏ではなく、

もっと穏やかに、自分が自分のままで認められ、尊重され、成長を促してくれる感覚だ。


アドレナリンが出る興奮よりも

腹の底がチリチリと熱く炭が燃え続ける感覚。



本当の私のままで、

無理をせずに、

頑張った自分を出さなくても、

成長をしていける。




また、次の私のピラティスの章の扉が開いた日曜日。






モノクロから虹色へ







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