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Attention とAffection は違う




最近、すごく考えさせられることがあった。


ある女の子が、自分の容姿に自信がないというのだ。


私からみて可愛い女の子なので、何を言ってんだろ?って思ったけど、

彼女からみて可愛いという女の子のお友達のインスタを見せてもらったら

言い方は失礼だけど


『美しい』


をメディアに乗せられて履き違えていることがよくわかった。


そこに載っていた『可愛い』女の子は13歳。


アイシャドウ

まつげ

口紅

をつけ、

プレイボーイの雑誌に載っているのか?という表情をしていた。


音声がついていたら『あああーん』という声が出てきそうだ。


『これを可愛い??!!』


疑問に思いながら帰宅する間も

私が13歳の時には、ボールを笑いながら追いかけていたなあと自分の未熟さに苦笑しながら


家に帰り、子供を寝かしつけ

お一人様時間のたった15分で私はYouTubeを見た。


やっぱり、1日の締めは日本語で終わると精神的にほっとするのだ。


そこのワイドショーで

週刊誌に、女性A子さんが男性タレントと浮気をして

安く扱われたという内容だった。


ヤムナボールに乗りゴロゴロしながらそれをみて


(あああ、きっとこの女性は自分が冷蔵庫のように自分をその男性タレントに

 プレゼンテーションしたことを気づいていないのだ。)


と思った。


これもきっと、メディアの男性が喜ぶ女性像のでっち上げの副作用だ。


浮気をされた女性は

自分を安く扱われた!と怒って、罰するが如く週刊誌に内容を出している。


その男性たちは仕事を奪われ、罰は与えられたのだろうが、

多分根本的なところは解決していないのだろう。


罰を与えたところで、自分の傷は癒されない。

罰を与えたところで、自分の価値が自動的に戻ってくるわけじゃない。

罰を与えたところで、罰を与えた自分を嫌いになりさえも私だったらしそうだ。



根本とは、

なぜその安く扱われた女性が男性と本当に繋がって愛するように扱われなかった理由を

理解していないということだ。


女性は、男性から注目を浴びると

自分はイケている女なのだと勘違いする。


私は、愛されるべき女性なのだと勘違いをする。


この勘違いとは、


愛される(affection)ことと、注目を浴びる(attention)ことを履き違えている事だ。


しかも、それは、雲泥の差だ。


そこをメディアはごっちゃにしていてメッセージを伝えている。


注目を浴びる女性というのは、

髪の毛がサラサラで(脂質が体に多いからサラサラ)

身体がくびれていて(死語:ボンキュッボン)

目がトロンとしていて(アハーンみたいな)

性的に魅力的な女性をいう。


男性の目は釘付けになるし、もちろん

声をかけてもらえるだろう。


だから、

髪の毛さらさらのCMは出るし

ダイエットでくびれを作るっていうCMも多いし

豊胸手術だって盛んだし、

唇をテカテカさせるリップは売れるし

まつげエクステだって流行る。


それをバッチリした女性に男性はなびかれる。

でも、結婚の声はかからない。

逆に一度、事が済んだらタイプだ。


つまり、冷蔵庫と同じ扱いを受けていることを理解していない。


中に入っているものを、取り出したらおしまい。


冷蔵庫がどんな気持ちでいるのか、嬉しいのか、喜んでいるのか、サポートが必要なのか、

そんな事一切考える必要がない。

扉(足)を開いて中にあるものに手を入れたら用は済むのだから。


子宮のクラスでも話をするが

女性は、

観音扉の冷蔵庫となるか、観音扉の神社となるかで

男性からの扱われ方がことごとく変わってくる。


冷蔵庫になると、


4WD車

アパホテル

多目的トイレ


という扱いになる。


もう一度言うが、男性にとって

冷蔵庫の気持ちなんて聞く必要がないから。


神社となると、

そうはいかない。


手を清め、口をすすぎ、石畳を一歩ずつ歩き、お金を持参して、

目の前に来ていることはわかっているのに、鐘まで鳴らして知らせるぶりだ。


神社の中に入って、神様の会うのに、太鼓を鳴らしたり笛を吹いたり舞を踊る人すら雇う

力の入れようだ。


いつきたら、何をしたら、会えるのか?そんなことすらお伺いを立てる。


そこまでして、ようやく扉が開くのか開かないのかも分からない神社(女性)に会いに行くのが

affection(愛される)のである。


ただ、ありのままの私を見て!と言わんばかりの

何も手入れしていない神社は人が寄らないも理解する必要があるが。


もしくは、

誰も入れない神社というのも、人はよってこない。



AttentionかAffectionか。


これを学んだ8年前の自分をふと思い出した。

私が女性というものは、、、というものを学んだ時代を。


秋が来ると毎年思い出す。

アンドリューに出会う前の私は、アテンションもアフェクションももらえない女性の姿をした

男だったなあと。



来年ぐらいから、子宮のクラスを徐々に始めていきたいなあと考えている次第です。


モノクロから虹色へ





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