top of page

ワークショップを終えて

3日間全く電波の届かなかった山を降りながら

『一体何が私に起きたんだろうか』

そう何度も何度もつぶやき繰り返した。

Physical、 Emotional、 Mental、 Spiritual 

それらの全ての側面が疲弊していた。

運転するのが、やっとなくらい。

街が近づいてくると、体に緊張が走るのがわかる。

少し落ち着こうと、近くの珈琲屋さんに寄って、チャイラテを頼もうと足を入れた。

いつもなら落ち着ける場所なはずなのに

いろんな人の話し声、バックグラウンドにかかる音楽、

カチャカチャというパソコンを叩く音

それらの全ての音が耳に障って、目眩がしそうだった。

山にこもっていた時間は、自分の内側の声がクリアに聞こえた。

自分の心と繋がっていることの心地よさ、安住感、

そして、心がオープンなことの充足感を感じていた。

その内側の声が、一瞬にしてかき消されるような圧迫感を感じた。

聞こえてくる音からこの世界は、

こんなにもI am not good enough という気持ちにさせられるのかと

驚きすら覚えた。

家に到着をすると、家の中がグチャグチャだった。

そこら中におもちゃが散乱し、

キッチンはいろんな野菜があっちゃこっちゃに散らばり、

鍋の中は焦げていた。

シンクには洗い物が山積みになり、

テーブルの上には食べかけの食器がそのままになっていた。

なんの料理を食べさせたん??っていうぐらい、謎の食べ物が食器に残っていた。

その散乱ぶりから、この3日間のアンドリューの奮闘がとても感じられた。

『アンドリュー、本当によく頑張ってくれたんだなあ』

と、そのグチャグチャなキッチンに立ちながら、感謝でいっぱいになった。

一つずつ、物を片付けていると

アンドリューがその物音に気付いたのか、一階に降りてきた。

『どうだった?』

そう聞く声は、カエルのようにガラガラごえになっていた。

どれだけ娘に付き合って遊んでくれたのだろうか、、、

それを思うだけで、喉仏が熱くなる。

何も言えず、私は彼に抱きついた。

腹がベコベコするぐらい、私は泣けてきた。

悲しい涙でも

嬉しい涙でも

辛かった涙でも

それらのなんでもなく、

ただただ心がガッパリ開いてて、何に対しても涙がホロホロ出てくるのだった。

この3日間で、何かが変わった。

何が変わったのだろうか。。。。

一つ言えるのは、ずっと探していた「答え」を感じたことだ。

私は幼い頃からずっと

「女性ってなんなんだろう???」

って思っていた。

今まで一度も女性というものが、

どういうものなのかを教えてもらえたことがなかった。

母、姉、女性の先生方、女友達、先輩と挙げればきりがないが、

その人たちが生理についてや、妊娠、料理や、女は愛嬌、母は家族の太陽という観念について話してくれることはあった。

ただ、実際それがどうして女性じゃないといけないのか?

遺伝的に決められたものなのか?

それとも、歴史的に決められた役割なのか?

でも、「女性であるということ」が何を意味するのか、

私にとってはミステリーで、

女性というものはなんなんだろう??といつも思っていた。

お花の冠をかぶっていれば、女性性が発揮されるのか?

男性にちやほや愛されれば女性なのか?

女性という生き物に生まれながら、

女性という生き物がなんなのかよく分からなかった。

どうして神様は、男性と女性を作ったのだろう?

どうあったら、女性は男性とエネルギーを尊重し、

そのエネルギーを回しあいながら生きていくんだろう?

その答えを求めて、たくさんの勉強をしてきた。

だから、女性というものがどういうものかは理解し、

そこそこ、軌道修正もできてきたと思う。

ただ、

あと少しの、まだ見つかっていないカケラを探している感じだった。

それを今回のワークショップで、知識ではなく

体感という形で私は、ずっと探していた答えを手に入れた感じがした。

続く

モノクロから虹色へ

Featured Posts
Recent Posts
Archive
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page