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言葉を大切に使う


ある少年の事件が日本中を震撼させた。

まだ幼い13歳の少年が、殺人をした。

テレビを見ながら口々に「なんて酷い事」と色んな人が言った。

あたかも他人事のように。そしてテレビを見てその事件に関与してるともしらずに。

その事件を担当した一人の老刑事はどうしてこんな幼い少年がこんな酷い事件を起こしたのか心を痛めながらも不思議に思った。

少年と話してると彼は

「そんなことも知らないのかよ?」

とうつむきながらもなんども言った。

「警察だったらわかるだろ。」

「大人なんだから知ってるだろ」

そう言って具体的なことは言わなかった。

次に彼の母親と面談した。

憔悴しきった彼女は長い髪を後ろで一つに束ねていた。

もう何日も髪に櫛を通していない状態が伝わってきた。

「今この事件を知ってどう思いますか?」そう聞くと彼女は言った。

「長男だったのもあって私は彼を厳しく育てました。

 そして頑張って息子が入った有名な学校の父兄の方と仲良くしていこうとしましたが、

 ある日差し入れに手作りのクッキーをもっていったんです。

 そしたら、そこで

 「こんなもの誰が食べるのよ。ここではもっと品のあるものをみなさん持ってくるのよ。そんな事も知らないのかしら?」

  と一人の父兄が私のクッキーを捨てながら笑って話しているのを聞きました。

 そして息子がいい成績を取ればこんな風には言われないだろうと

 私は彼に出来ない科目があると「こんなのも出来ないの?」

 と言って余計に厳しく勉強を強いてきました。

 それは勉強だけにとどまらず全ての面においてです。」

痛々しかった。

そして、老刑事はその学校の父兄の元へと足を運んだ。

しかしその家は不在だった。そこに一人の女性が通りかかった。

「私、隣の家のものですが…」そう言ったので事情を聞いてみた。

何か知ってることはないかと。

「実は私もあのときにその場にいました。クッキーを捨てながらそれを言ったここの奥さんがその日の朝旦那さんに怒鳴られていたのをゴミ出して通りすがった時に聞いたんです。

かなり大きな声だったので。

「お前、今日俺が大事なミーティングがあるのに、クリーニング出してないってどういう事だよ!そんな事すらできねえのか!」って。

 彼女泣いてました。だから、きっとその八つ当たりだったのではないかと思って。」

老刑事は、この流れにある一定の法則を見て興味深さを感じた。

翌日その家の旦那の後を追って会社へとついて行ってみた。

すると会社で彼は上司に

「毎回毎回何度言わせるんだよ。俺は本当に情けないよ。取引先にまずは連絡をしろって言っただろ。それぐらい知らねーのか。そんなことも知らずに、よくもまあ会社に来れたもんだよ」

そうため息をつかれていた。

その旦那は俯いてうなだれていた。

その上司は休憩中に、職場のテレビの前でお笑い番組を見ていた。

一人の芸人が相方の頭を叩きながらつっこんでいた。

「お前そんなことも知らんのかーい!」

テレビの中はドット笑っていた。

そしてその上司も、『ほんとだぜ』と言いながら食後のお茶をすすっていた。

老刑事は、とても心が重くなった。

老刑事が家に帰ると妻と久しぶりに帰省してる子供が孫を連れて、

昼間にあの会社で見た同じお笑い番組の再放送を見ていた。

「そんなことも知らんのかーい」

その番組に付け加えた誘い笑いの音声が流れたと同時に

そこにいた家族全員がつられて、笑っていた。

ハッとして老刑事は、リモコンを取り、テレビを消した。

全員が彼を振り向いて「どうしたの?」という顔をした。

「お前ら、こんなもんで笑って、

結局お前らみんなが少年Aを殺人犯にしたんだぞ」

「お父さん何を言ってるの?」

「そんなことも分からんのか!」

カッとなって出た己の言葉に老刑事はゾクッとした。

(俺もだ…俺もあの少年を殺人犯にした一人だ)

以上の内容は、全部フィクションです。

私が作った作り話。

ただ、we are one っていうのを、人を批判したくなった時に、いつも私は考えます。

私も批判したい相手の要素を持っているのではないか?

もしくは、

批判したい相手がそういう行動をとるように貢献してしまっているところはないか?と。

私たちは知らないうちに、相手をshame(恥な思い)にさせる言葉を使っているんだと

最近ある出来事で気づきました。

そんなことも出来ないの?

そんなことも知らないの?

どうして分からないの?

出来るように教えたり

しってもらうように説明したり

わかってもらうように、理解を促したりするよりも、こういう言葉を使ってしまう。

めんどくさいから。

自分でやれよと一人ぼっちにさせる。

その一人ぼっちな事を笑いのネタにする。

使えねーなんて笑ったりする。

めんどくせー奴と切り捨てる。

わかってくれないなら、もういいよと見捨てる。

育てることよりも切り捨てることをする。

そして

そう言われないように

世の中は出来ないことを

出来るようにさせることに重点を置く。

それが本当は出来るようになりたいかは置いといて。

羞恥心をしないように、時間と気持ちを使う。

喜びのために、体と心を使うのではなく。

言葉はパワフルだ。

言われたことは、他の人に言うようになる。

もしも、犯罪をなくしたければ

おそらく、一人一人が自分が放つ言葉に責任を持つ必要がある。

きっとそれはそんなの難しい事ではない。

愛のある言葉を受け取ることを経験したらそこから愛の言葉を他の人に使うようになるから。言葉の音の伝達は速いはずだから。

自分が発することばがどこかで殺人に関わる可能性があるのならば、

きっとどこかで人を救う可能性も同じぐらいあるはずだから。

はて、では言葉を大切に使うってどういう事だろう。

その内容をシェアしたかったのですが、長くなったのでここまで。

ちょっと暗くて重たい話になっちゃいましたが、

次回からは愛のある方向へと展開していきます。

もし、ドヨーンとしてしまったら、お水を飲んで深呼吸してくださいませ。

続く

モノクロから虹色へ

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