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罰を与えるのではなく


(心の声を表現するというブルーのニューバランスというクリスタルボトル。

 喉のチャクラと繋がって自分の想いを声にすることを手助けるボトル。

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最近一つ悩んでいることがあった。

夜中に窒息死する夢をよく見る。

目がさめると、赤ちゃんの足が私の喉仏を圧迫しているのだ。

こうやって顔を踏んだり、蹴ったり、おっぱいをキックしたり、

仕方がないとはわかっていても、急な攻撃に面を食らうことがある

無邪気な行動とはいえ、痛みが半端ない。

『もうやめてよ〜!!!』

余裕がある時にはそう言えるが、私だって未熟な人間。

たまに、『おい!』と怒りが込み上げてくるときもある。

そんな風に彼女の無邪気なキックやパンチに耐えているのにもかかわらず、

週末に来客が来たら、私を無視して、来客にデロデロと甘え始めた。

ええええーこういう時って『お母さん!』って人見知りしないんですっけ?

というぐらい、彼女は私の友人の体によじ登ったり、抱っこをお願いしたり。

楽ですけど、ちょっと寂しい。。。

そんな中、ミッドワイフのポーラに会うことがあった。

『どう?いず美』

そう聞かれて、すぐさまこの私よりも他の人に甘える赤ちゃんについて話した。

『あああ、そうなのね。

 まあ、いろんな説があるけど、彼女を見る限り、

 あなたたちからの愛をちゃんと受け取っているから、

 外へ自信を持って元気に出ていけるのよ。

 あなたたちが信頼している人に対して、ちゃんと信頼を寄せている。

 もちろん、人と一緒にいるのは疲れるから、あなたのところに来た時に

 その疲労を出すかのように甘えて悪さをしたりするけどね。

 ちゃんと彼女は愛を受け取って、世界を信じているっていうことよ』

聴きながら、私の心がほどけていくのがわかった。

きっと人見知りの子を持つ母親には全く別の見解を伝えるんだろう。

ポーラはいつも絶対的にどんな行動を赤ちゃんがしようと、

全てオッケーっていう人だから。

結局、全ての子はパーフェクトだっていうのを知っていながら、

なぜか母親になると拡大鏡で文字を見るかのような視野になってしまう。

だからこそ、こういう風に言葉をかけてくれる大人の女性がいるって

必要だなあと感じた。

そして、「踏んづけられて痛い」の件に関しては、彼女が赤ちゃんを抱きながら言った。

『あのね、痛いっていう感情を伝えなさい。罰ではなくてね』

「え??」

『あのね、ほとんどの親が何か不快をもたらす行動を赤ちゃんがした時に

 ’罰’を与える傾向にあるのよ。

 こんなことしちゃ、ダメでしょ!って。

 そして、罰で子供をコントロールしようとするわ。

 そうじゃなくて、痛いよーって声をあげなさい。

 そしたら、きっとああ、これをすると痛いんだなって分かって、

 自分からやめようって思ってくれるわ。

 赤ちゃん、結構頭いいのよ。

 サーカスみたいに罰を与えなくても、ちゃんと分かっているんだから。

 ちょっと時間はかかるかもしれないけど、やってごらんなさい』

罰ではなく、痛みをシェアする。

すごくシンプルで、当たり前のようで、すごく深い言葉だと思った。

全ての人間関係に起因する気がする。

いじめも罰の一つ

嫌がらせも罰の一つ

ストーカーも罰の一つ

正義感を振りかざすことも罰の一つ

その代わりに自分の心をシェアする。

ああ、どれだけ自分の心をシェアするということがデフォルトになっていないのかを

痛感すると同時に、自分の心をシェアするだけで世の中がもっと優しくなる気がする。

モノクロから虹色へ

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