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産後直後のわたしのカラダ

『24時間はいずみの元を離れないで』とアンドリューに言い残して

朝5時に帰っていたポーラ達。

長い一日だった。そう言いながら私達は眠りにつきました。

それでも、神経細胞は休まらず、アドレナリンが噴出しているかの様に

赤ちゃんが少し音を出す度に、私達は一斉に飛び起きて

2人の間に寝ている赤ちゃんを覗き込むという瞬間が何度も続きました。

あの日は、寝たのかどうかも覚えていないぐらい。

それでも、ようようと陽が窓から入り込んで来て、私達は起きる事にしました。

『おトイレ、いきたい』

と尿を催した私。

私も赤ちゃんも、2人とも上半身真っ裸のおムツのみの状態。

「よっこらしょういち」

と呑気に自分にかけ声をかけて起き上がり、立ち上がろうとするが、

なかなか起き上がれない。腕で何とか支えても起き上がれない。

それを見たアンドリューが手を差し伸ばし、

彼にカラダを支えてもらって、ようやく起き上がれた始末。

『あれ?なんかカラダがいつもと違う』

起き上がると

出血が多かったせいか、頭が天井に向かった瞬間に、星が飛び、体全体がふらつく。

さて、立ち上がるか、とアンドリューの手を借りて足をベッドからおろした瞬間に

様々なカラダの異変に気付き、パニック。

まっすぐ姿勢が立てにゃーい!

歩くための足の筋肉がにゃーい!

なんとか両足を床につけたものの、

カラダを稲を刈るかの様に前屈みにして、両手を膝につくのが精一杯。

その状態で何とか足を引きずりながらトイレに向かう。

自分のカラダがまっすぐ立たない事、足を動かせない事、めまいが止まらない事

それを見てアンドリューが手を出して誘導してくれるけど

(あーこんなゆっくり歩いてたらおしっこもれちゃう、、、、よおおおおおおおお)

この『よおおおおお』の所で、じゃああああーーーーと、おしっこが漏れた。

人類の進化の図、前から3番目の猿人の格好の私。

『アンドリュー、、、、、!!!!

 うそーん。おしっこもれたーーーー!!!!』

そう伝えたいのに、その声ですら、かすれて出ない。

それは、前日に大声で『うおおおおおお〜』と叫び続けた結果なのだと、

その時に気付いた。

出産ってこんなにカラダがなるまでの「大仕事」なんだ。。。。

私は出産でウーン!といきんだ事で

骨盤底筋群がバカになってしまったんじゃないか??と思うほど、力が入らない。

”人は、骨盤底筋群に力が入らない事でカラダってまっすぐに立たないのだ”

と、驚きつつ、

おしっこを漏らして旦那さんにそれを報告する現実を目の前にして

もっとクラクラして来た私。

どこにでも自分の意志で動けていた私が、

こんなにもカラダが自分の思い通りに使えない事はかなりのショック。

気付いてみれば、

腕もかなり力を入れて22時間の陣痛を乗り越えていたんだろう。

何も掴めない。

歯ブラシですら持てないぐらい。

ダメだ。

そんなグッタリした腕を眺めると、黄土色に変色してた。

人生でこんな土色のを見た事がなかった。

おむつには、定期的に変えないと漏れてくるほどの悪露。

出産て、こんな満身創痍になるんだ。。。。

オムツを替えてもらって、ベッドで途方に暮れていた私に、

アンドリューは産後専用のデリバリーの食事を温めて

スプーンで私の口に運んでくれた。

スプーンも掴めない私に3食、お水とご飯を口に運んでくれるアンドリュー。

彼が一階に行き、私の隣りに小さな赤ちゃんが寝ている。

22時間たべれなかったせいか、お腹はもうぺったんこであり、

今まで妊娠してお腹が大きかったという形跡はない。

ただ、出産していたんだと知るのは、お腹に残った一本の茶色い妊娠線のみである。

久しぶりに食べるご飯にお腹が満たされて眠くなった。

どれぐらい寝ただろうか。

あ、おっぱいをあげる時間だ。

2時間置きにおっぱいをあげるように言われていたのを思い出した。

出産直後に赤ちゃんは自分でお腹を這いずり上がって、おっぱいを自動的に飲めたから、余裕で飲めるだろうと私は、彼女の口元に慣れない手つきで乳首を持っていく。

でも飲めない。そして、飲ませる事が出来ない。

赤ちゃんが死んじゃう。

そんな風にアンドリューも私も思って、ポーラに連絡をした。

そこからのポーラのサポートは見事だった。

次々と女性が私達の家を訪れた。

1人は、他のママの母乳を持って来て、赤ちゃんにスポイトで飲ませてくれた。

彼女は飲まず吐き出してたけど。

そして、また別の女性から私の携帯に

「おっぱいが必要だったら持っていくわ」とメッセージが。

そして、次におっぱいの専門家が。

そこで、彼女が教えてくれた。

単純におっぱいをあげる様の枕だけではなく、

バスタオルを巻いたものを腕の下に置いてカラダを支えリラックスする状態を取る事を。

私のカラダがリラックスをすると、赤ちゃんはゆっくりとおっぱいを吸い始めた。

本当にバスタオルを置いてカラダを支えるという小さな事。

でも、その小さな事が私には大切だった。

それを女性から学ぶ事。

女性から声をかけてもらう事。

女性からサポートをもらう事。

ポーラを通じて一日目からそんなサポートが知らない人から沢山来る事で始まった。

昔は「全部1人で何とかしたい」って思っていた。

人様に面倒をかけるなんてって。

でも、こんなに人からのサポートが必要で、それが心地よくて、ありがたくて、

泣けて来てしまう初日。

自分で何でも出来ると思っていたけど、 母になるという事と、人様の力をお借りするという事が 同時に始まった。

こうやって、 人の助けを借りながら、人と関わりながら 社会とつながっていく事が、村で子供を育てるというコンセプトなのだろうか。

私は、人に支えられて生きるとこんなにも心が穏やかになるのだと。

今までにないほどのサポートを

面識もないけど、

母親になったというだけで、すでに共感とニーズの必要性を感じて

手を差し伸べてくれる人がいる環境に私は改めて新しい素晴らしい世界を見た。

そして、私達は2日目の夜を迎えた。

モノクロから虹色へ

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