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自宅出産か、病院出産か。。。。


出産にまつわる色々な本を読んで、浮かび上がった疑問。

『家で産むべきか、病院で産むべきか。。。???』(←シェイクスピア風)

初めの5ヶ月位までは、何の疑問もなく、そのまま病院で産むッて言う気持ちでいた。

自宅出産の話は聞いていたけど、なんかヒッピーぽいし、

今99%が病院出産の今、私も病院出産でどんな風なのか経験しても良いんじゃないか?

なんて思っていたからだ。

ただ、出産についての女性のカラダの機能について調べれば調べるほど

女性のカラダの本能的な機能を全部味わい尽くすには、

自宅出産が一番適切だ

という結論をよく見る。

例えば、子宮がフルに開く為には、一番大切なのは『安心感』だと

色々な自然分娩の本が口を揃えて言う(書いている)。

出産にまつわるホルモンを司っているのは、大脳の古い部分であり、

そこの部分は”安心”という感覚がある事によってフルに活動するのだ。

そこにつながる事によって、

自分の感覚という物に鋭敏になって来る。

それができると、女性は、赤ちゃんが今、どんな状態で骨盤にハマっていて、

どの瞬間にあかちゃんと息を合わせて外に出てくる事をサポートするかが感覚として分かる。

そうすると、膣がフルに開いて、ホルモンと言う名の神が私達のカラダを導いているのだと言う感覚に襲われる。

そこにつながると、頭では絶対に行けない素晴らしい領域に到達出来る、、、、

というのだ。

ふむふむ、

これはわたしが子宮のクラスでお伝えしているfeeling goodで女性の身体は機能すると言っていたのと同じ理論ではないか!!と興奮すら覚える。

ただ、安心を感じられないと、大脳の新しい部分がキックインする。

安心感とは、誰もいないトイレで1人で自分のタイミングでうんこをする時に感じる感覚である。

そこで、知らない人が出入りをしたり、話をしていたり、話しかけられたり、

質問をされたりすると、古い部分の”感じる”という部分から、

大脳の新しい部分で”考える”という所にもってかれるので、

子宮がフルに起動しないのだという。

ふむふむ、これは、子宮のクラスでお伝えしているdoing goodに走ると

女性性が失われるとお伝えしているのと同じ理論ではないか!!とまた興奮する。

陣痛が来ているのに、子宮がフルに起動しない場合は、

安心感を感じていないが故であり、

それが一番避けなければ行けない所である。

それを無理矢理、陣痛が弱いとか、子宮口の開きが遅いからと陣痛促進剤を打つと

本来、体の予定調和が狂って、その無理矢理さに赤ちゃんの心拍が下がり、

最終的には帝王切開か鉗子分娩、吸引分娩に至るケースが多い。

そんな風に色んな本が同じ内容を書いていた。

ふむ。

そう考えると、やっぱり病院で、その日にたまたま働いている看護師さんが何名か出たり入ったりする状況って私にとって、私がうんこをしている最中に、

あら、失礼って言って、色々な人がドアを開けては閉めて、、、と言う状況と似ているのだろうか???

それだと、安心して、クソも出来ないという結果になる。

やっぱり、自然分娩をするには、自宅出産になるのかなあ。

と迷っていた。

するとアンドリューの保険が変わった事で、

私自身も今まで会っていた婦人科医を離れて、

新しい保険が効く婦人科医に切り替わることになった。

その新しい病院に行った初めての日、

新しい環境で新しい看護師が色々と質問をしてきた。

アンドリューが

『自宅出産も視野に入れているんだ』

そういうと、一瞬にして顔色が変わり

『万が一の事があったらどうするのですか?』

ということを何度も言い始め

『もしも自宅出産だったら、私たちは責任が取れませんから』

とも言っていた。

その一瞬の雰囲気の変化に、

私は、『医者がいないと私は出産できないのかもしれない』

と、恐怖に見舞われた。

その後一日中、私自身がメソメソ、得体の知れない恐怖に囲まれて、

ずっと泣いていた。

情緒が不安定だった感じがする。

アンドリューは、その看護師に対して、

『産婦人科は赤ちゃんを産むビジネスだから』と呆れていた。

そして、

『何かがあった時に助けるのが、医者ちゃうんか!!』とキレたり、

『医者の介入がないと産めない私』という感覚に怯えたりする私に

『Welcome fear』と言っていた。

ウェルカム、恐怖、、、か。。。。

少し、気持ちが収まった翌日

私は自分でどうしてその婦人科の看護師の言葉に強く恐怖の反応をしたのだろうか???

と、自分と向き合ってみた。

What if 。。。。?もし何かがあったらどうするの??

それって、

自分は何かがあった時に何も対処が出来ないという恐怖ベースの考えなのだろう。

恐怖は恐怖を呼ぶ。それが意識的であれ、無意識的であれ。

そして、力を持っているかのように見える人の判断にひれ伏してしまう。

それって、出産に限った事ではなく、日常茶飯事にある。

自分の内側に、恐怖を感じた瞬間に、誰か強い口調でいう人の意見に自分が考えもせず、聞いてしまう事。(戦争、セクハラ、恐喝、全てがこれに入るだろう)

私が出産を通じてしたいことは、神様が作った人間の体の仕組みを十分に堪能したいということだ。そして、私が中心となって、それをサポートする人に囲まれたい。

それを実現するのであれば、

病院であれ自宅であれ、どこでもよかったと言って良いかもしれない。

場所ではなく、自分の身体がフルに本能的に働くところを探したいと思って

オプションを探している最中だった。

だから、病院ももしかしたら、ありかもしれないとその時まで思っていたが、

看護師の姿勢から、私はこの恐怖の中で産むのは、自分の目的に反するとハッキリしたのだ。

こんな恐怖を持っている人の環境で、

他人のペースに乗って自分の本来の体の働きを見失うのは、私のしたい事ではない。

散々、ステロイドを使用して、左目が白内障になったあの時。

ステロイドの注射の副作用で内臓が思うように動かなくなって、100メートルも歩けなくなったあの時。

自分の本来の体の働きを疑い、医者の勧めるステロイドに走って自分の力を失ったのは

あのときでもう十分に体験したから。

だから、出産だけではなく、自分の人生においても、わたしは自分のことを信じたいし、そのわたしをサポートする人に囲まれたいと思っている。

だから、今ならアンドリューがいうwelcome fearの意味が分かる。

Fear を見ると、ちゃんと自分が何をしたいかが明確に分かるから。

そこで、ある一人の看護師の態度から、病院は恐怖ベースで出産を行うのか?という仮説を元に、色々な人に話を聞いてみた。

すると、

病院出産で、満足だったという人は、本当に稀である。結構聞いた中で、自分のペースでお産ができたという人は一人しかいなかった。

他は、

痛かった、

怒鳴られた、

無理やりお腹を上から押された、

適当に扱われた、

色々質問された、

動きたいのにベッドに縛られて、動かせてもらえなかった、

毎回データーを計られて、こっちのペースを考えてくれなかった、

働いている人が機械的だった、

などなど。

でも最終的に『元気な赤ちゃんが生まれたから、いいか』という着地点で納得をして

前に進んでいる女性の強い姿には本当にすごいなあと、ただただ思うばかりだ。

では、自然分娩をした人にも話を聞いてみたい。

99%が病院出産をしている現在で自宅出産の人を探すのは難しいと思っていたら

ちょうど、家の近くにバースセンターという自然分娩をサポートする施設があり、

そこでエクスポを開催していたのでアンドリューと行ってみた。

自宅出産の自然分娩、どうだった??

そこに参加していた人たちに、ショップやクラスで顔をあわせるたびに聞いてみた。

興味深いことに、100%の確率で

『素晴らしい体験だったわ。中毒になりそうなぐらいよ。

 あなたも是非自宅出産をして!』

という返答が、返ってくる。

『嫌な経験なかったの??』

と聞くと

『????』と首を傾げた後

『ないわ。あの経験は女性だったらする価値があるわよ。。。。

 とっても美しいプロセスで、神とつながった感覚だったわ。』

と。

それが一人ではなく、全員だ。

病院出産と、自宅出産の体験者のこの違いが興味深い。

ただ、わたしは病院と自宅のどちらが良い悪いという短絡的な、

そんなどうでもいい結論を出したいのではなく、

わたしの中で一つ、クリアなところに達することが出来た。

『わたしは、愛の中で自分が生む力を信じて、出産をしたい。』

もうわたしの力を疑って誰かに預けたり、誰かに頼ったりしない。

そのわたしの意思をサポートしてくれる人と場所と環境を探そう。

今週から、ドクターと助産婦とDoulaのインタビューの毎日です。

モノクロから虹色へ

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