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ありがとうの反対


日本から帰って来た時

私の顔はMAXに腫上がっていました。

腫上がったときは、日本で色んな人に会う度にサングラスをかけたまま会いました。

カラダがドンドンと疲れて、ベッドで寝る事2週間。

その間、ベッドから出れずベッドの中で言葉遊びをしていました。(ベッドの中でも喋り続ける私)

こんなカオ、ダサイ。嫌だ、醜い、惨めだ。

そんな言葉が止めども無く出てくるので、これは、陰を陽にする的な感覚で

ポジティブな言葉を言ってみます。

『元気、明るい、勇気、希望』

どれを言っても、カラダが疲れる。

ポジティブな言葉って力がみなぎるんちゃうんかい!と想いながら

他の言葉を探してみる。

ふと頭に思い浮かんだ言葉。

『ありがとう』

この言葉を言うと疲れない。

でも、ありがとうなんて思えるわけない。

痛くて痒くてしんどくて醜くて苦しくて、ありがとう?

ふざけんなって想う。けど、、、ありがとうの言葉だけはカラダにストレスが出ない。

なんなんだ?

そんな風に感じながら眠りにウトウト入っていった日本からの帰国後の2週間。

「ありがとう」という言葉とカラダの関係。

スペインから戻り、眠り続けた翌日。18時間位は寝ていたと思う。

そんな中、『ありがとう』という言葉をまた思い出していた。

私の知っているキネシオロジーで「ありがとう」という言葉は、

大腸のエネルギーとつながっている。

ありがとうの欠如が起こると、

うんこは硬くなったり緩くなったりして便秘や下痢になる。

じゃあ、ありがとうを100万回言えば良いのか?と言うとそう言うわけではなく、

ありがとうを抑圧する思考癖というのが存在する。

そこにメスを入れて行く必要があるのだと感じる。

この大腸のエネルギーにおいて、ありがとうがポジティブに働くとしたら、

その逆のネガティブに働くのは、実は『罪悪感』である。

ありがとうの反対語は、「当然の事と思う」とか『あたりまえ』

というのが、一般のようだが

エネルギー的には、ありがとうの逆に位置するのは『罪悪感』となるみたい。

子宮のクラスで、ある一人の生徒さんがこんな話をしてくれた

『いずみちゃん、女性だけが罪悪感を使うんだって。

 だから、私がここまで犠牲になって大変なんだから、

 あなたも犠牲になってよねって思って人に物事を頼むんだよ。

 そう言うときは、”ありがとう!”ではなくて、

 ”ごめんねぇ〜”って言う言葉になるの。』

へえええ〜と思ったし、なるほど!って思った。

「ごめんねぇ」ではなく、「ありがとう!」とスカッと言える私でありたい!と。

でも現実の私は、ありがとうではなく、ごめんねぇの罪悪感のクソまみれだ。

スペインと言う土地に行って、自分の普段コントロールが出来ている場所から離れて

自分の癖とモロに対面する事になった。

犠牲をする事が愛であり、

『良いよ、良いよ』と言いながら自分のしたい事は気付かぬうちに後回しで

そのあげくに、

『私がここまでやれば、あなたは満足なんでしょ』という怒りを溜めて、

ドンドンと自暴自棄になって行く。

なんつーこった。

これも全て、自分が自己愛を持って生きる事への罪悪感であり

多少の犠牲を払っていないとイケナイと言う、どこから来たのか分からない

どうでもいい信念によってだと気付いた。

早速自分に、インテグレイティッドヒーリング(IH)をして修正をする。

ここに気付いたら、IHの修正後の加速度は速い

ここから見る見るうちに、ヒモが解かれて行く。

つづく

モノクロから虹色へ

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