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人の体が存在する理由


毎回ヨガの講習会(YOGA PADMAさん)に

アーユルヴェーダの特別講師として呼んでもらって講習会を

させてもらっています。

実は私、こう見えても

アーユルヴェーダの学校に通って、一応バレディクトリアンと言う

首席の称号を卒業時にもらいました。

そして、アーユルヴェーダの理念から、

診断方法からマッサージ方法からマントラの儀式から

ヨガや臓器、そして栄養学までを学びました。

毎回テストがあるのですが、

インド人になれちゃったかもという勢いで覚えました。

小さいヘルメットをかぶされて

ぎゅうううううって顎のヒモを締められた様に頭がギュウギュウに

痛くなって、家の中や車の中で叫んだりしていました。

そんな風にして、卒業してとった称号。

終わった後にDr.が私に

『インド人やアメリカ人をおさえての首席だけど、

 多分、この内容は、アーシャ(インド人の生徒)の方が

 君よりももっと理解はしていると思う』

って言いました。

『なに、言っとんのじゃ?アーシャ、テストで70点だったし』

と当時の私は思っていましたが、

今なら凄く分かります。

あの頃の私は、まだ自分の中で人生がどんな風に本来は過ごされて行くのかを知りませんでした。

喜び、愛なんて『努力』の上に成り立つ物だと思っていました。

だから努力で100点の成績を取り続けました。

それがアーユルヴェーダを学ぶ事につながるのだと思って。

でも、アーシャの方がアーユルヴェーダの理念を

本当に理解していました。

人とどう向き合うか、

自分の周りのコミュニティをどう作って行くのか

愛を持って接するとはどういう事なのか、

本当の幸せとはなんなのか。。。。

今回、少しアーユルヴェーダの講義内容を変えようと思って

アーユルヴェーダの教科書を引っ張りだして読み始めました。

いや、4−5年前の私には分からなかったけど、

今の私だったらこの理念が、乾燥肌に入るヒアルロン酸並みに

ぐんぐんと入って来ます。

うぉおおおお。。。。

その中で

『ボディーマインドースピリットというけれども、

 人間のカラダというのは、人生のあらゆる領域に置いて

 快楽を感じる為の道具である』

という記述に、またもや『うぉおおおお』と唸ってしまいました。

今日一日、私は快楽の為にカラダを使っただろうか?

それとも

お金や名声やエゴを満たす為に使っただろうか?

私のカラダは愛を表現する為に使っただろうか?

愛を体験する為に使っただろうか?

5年前の私は、皮膚を治す事に必死で考えもしなかった。

でも今の私は、

毎日愛を感じる事にカラダを使っていると今は言える。

昔は愛がなくてそれを求める為に

カラダもココロも使っていた感じ。

今日は朝8時から夜7時まで

11時間ぶっ通しでクライアントさんや生徒さんを

次から次へとセッション/クラスをしました。

愛を一杯シェアした時間だったので

カラダが疲れていない。

人間とは本当にエネルギーで出来ているのだと思う。

今日一日、また愛を体験する為に時間を使ってみよう。

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