怒りをあらわにしない事の弊害
毎週火曜日に参加をしているグループミーティングがあります。
そこで、何をするかというと
みんなが今週あった出来事をそれぞれ持ち寄って
その自分の中の不快についてワークをするという事。
それが、悲しみであったり
それが、自分を制限している信じ込みであったり
それが、人間関係の辛さであったり
それが、家族関係のことであったり
それが、自信がない事であったり
それが、妻との関係であったり。
人が生きていれば、なんでやねんって思うことの連続で
それをなんでよ!っていうのではなく、
自分の成長に変えていくっていう場所に参加をしています。
今回は、その中にもう一緒の部屋にいるのがしんどいぐらい怒りを携えている女性がいました。
きっと皆さんも経験したり、見たりしたことないですか?
電車の中で、すごく怒っている人。
そして、その人と同じ車両にいると居心地が悪くて他の車両に行きたくなっちゃう感じ。
まさしく、そんな女性
でした。
結構私自身がいろんなワークをしてきましたし、
どんな感情がきてもそんなに、うろたえないですし
むしろ、しんどいなあ、それが出てきて良かったなあって思うほうですが
今回ばかりは居心地の悪さマックスでした。
あーワークする時に一緒のグループ嫌だなあって思ったほど。
滅多にないけど、もう嫌さマックスでした。
でも、そういう時ほど、なぜかその人と一緒のワークになる。
そして、彼女のワークが始まりました。
グループの中に、強いファシリテーターがいたことも後から考えれば、神の采配♡と思いますが
私は、居心地の悪さをマックスに感じながら、ソファに座って彼女の怒りを聞いていました。
「君は誰に対して怒っているんだ?」
そうファシリテーターが聞くと
「スピリットよ!神よ!そう、彼らに対して怒っているのよ!」と怒鳴り始めました。
「じゃあ、神に対して怒りを見せるのはどうだい。言いたいことを言って見るのはどうかい?」
そうファシリテーターが言った後、彼女は沢山神に訴えました。
「私はナルシストの母親に育てられたことで
ただでさえ辛いのに!辛い幼少期だった!
神はいるのか!あんな母親のところに私を送らないで!
そして、
私はこんなにも好きなことを仕事にしているのに、どうして金が入ってこない!
私は、お金がこんなにも必要なのに、今日もスピードチケットを切られた!なぜだ!
なぜ神は私に痛い目を合わせるんだ!
しかも、
私のことを愛するパートナーはどこだ!どこにいるんだ!」
そう泣きながら、大声を出しながら、彼女は目を真っ赤にして怒っていました。
そして、「こんなに頑張っているのに。こんなに自分ができることをしているのに」
そう彼女が言った時、
私は、心が強烈に痛くなりました。
そして、
「ああ、これ、私のワークだ」
「彼女の怒りは、私の中にいる怒りだ」
って思って、彼女のワークを静かに私は眺めながら心の中はヒリヒリ痛かったです。
頑張って報われることもあった。
頑張ることで
母親が嬉しそうだった。
父親が応援してくれた。
先生が褒めてくれた。
仲間が認めてくれた。
そして、
自分が大好きなことに突進できている。
でも
こんなに頑張っているのに
は、人間には通用しないんだと、今の私は痛烈に感じました。
私が何に頑張っていたか
「こんなに頑張っているのに、子供がご飯を食べてくれない」
が最近の訴えですけど、
「こんなに頑張って私は彼を支えたのに、彼に裏切られた」
とか
「こんな頑張って親身になったけど、友達が離れていった」
とか。
で、その度に私はすごく怒っていた。
こんなに頑張っているのに、どうして?って。
そして、その度に、
もっと頑張ればきっと好きな人も親友も
先生や母親みたいに私を必要とするはず!と思ったのかなあ
って思うと同時に、
私、ものすごい、怒ってるなあ
この怒りを自分で認めたくなかったんだろうな。
でも、すごく怒っていて、それを健康的な方法で表現すらできなかったなあ。
こうやって取り乱すことしか、私はできなかったかもしれない。
いや、こうやって取り乱すことすらできなかった。
もし、これができて、自分の感情を爆発させていたらどんなに楽だったか。
私の中に、電車の一車両全員を他の車両に移すぐらい、
私の中には「こんなに頑張っているのに」という怒りがあった。
ずっとその怒りを抑圧して
ずっとその怒りに気付けずにいて
ずっとその怒りが身体中を駆け巡って、免疫疾患として体を壊したなあと。
でも、気づいて欲しかった。
こんなに頑張っているよ。
あなたのために、この頑張りが、あなたへの最大の愛情表現だと信じているから。
そう思いながら、同時に、このあなたのために頑張っているよって、重いねえ
と、思いつつ。
手編みのマフラーや手作りのお弁当を好きでもない人から押し付けがましく貰うぐらい重い。
今、子供に対して、私は同じことをやろうとしているんだ、と思った時
背中がゾッとしました。
あなたのことをこれだけ思って、頑張っている母親の元、
過保護、過干渉、過指示で苦しんで
アル中になった大人も
不登校になった子供も
何をしたいかわからないという青少年も
外に出られなくなった中年の男性も
子宮に疾患を抱えた頑張る女性も
産後うつになる母親も
セッションを通じて見てきたのに、
私がその元凶になろうとしているなんて。
子供が食べないぐらい、どっちゅーことはない。
驚くほど、大声で歌を歌い、
驚くほど、家中を飛び回り
驚くほど、走り回り
驚くほど、身体中にまとわりついてくる。
お腹が空いたと言って、作ったものを食べてくれずに
栄養にならないものばかり食べられると本当に不安になるけど
でも、頑張って歯を食いしばって「あなたのために作っているのに!」ということの
重さと馬鹿らしさに気づいたら
育児書で「頑張りすぎないでください」という意味が本当によくわかった。
不毛である。
頑張ることが、不毛。
そもそも
人間関係に対して、頑張るってなんやねん。
それって私が安心するように、私の頑張りに報いなさいという
人をコントロールするにすぎないじゃないか!
と思った時、
背中がゾッとするほど。
あの女性が見せてくれた怒りを1歳と3歳の子供に自分がむけているのだとしたら
頑張るって、なんの役にも立たないなって。
でも、私はこんなにも怒っていたんだ。
こんなにも怒るほど、一生懸命だったんだ。
この怒るエネルギーを愛に使うとしたら、
もう、子供達を自分の不安を解消するために動かすのはやめて
自分が楽な方に、自分が居心地の良い方に行けるように頑張ろう。
そう考えてふと現実に戻ると、彼女の中で怒りを全部出したことで
ようやく本来の自分に戻れている美しい瞳で未来を考えれる状況に落ち着いていました。
怒りは、私は醜くて下品なことだとジャッジしていました。
でも、彼女がその怒りを見せてくれたことで、
私の中にある怒りが触発されて、出てこれた。
そしたら、私のあんなに赤くてただれていた手のあかぎれが急に無くなっていきました。
やっぱり私の感情の停滞がこうやって体に影響を出していたんだと
改めて痛感体感。
どんな感情もウェルカム。
All emotions are welcome .
そこから、子供たちがより可愛くて、6000倍ぐらい彼女たちの素敵さが
私の目に写り、本当に可愛くて仕方がない感情でいっぱいです。
ご飯も納豆海苔巻きとか用意して、
インスタで美味しそうな幼児食をピックアップして
いろんな料理をやってみようかという気持ちにすら変化。
今日はカレーと豚汁。
明日、ベビーシッターさんがきてくれるから
彼女にも食べてもらおうっと。
モノクロから虹色へ
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