残された唯一の選択
「あの人がトラウマから解消されるようにサポートしたいの」
この言葉は、ものすごく愛に見える。
相手の過去を理解しようとしている。
傷を見捨てないでいる。
簡単に見切りをつけない。
だから一見、とても優しい。
でも、その優しさの中に、相手を静かに裁いている視線が混ざることがある。
あなたのここが問題。
あなたの幼少期が原因。
あなたが癒されれば、私たちは幸せになれる。
だから、あなたはワークをするべき。
これ、本当に愛なのか。
ある木曜日のグループワークで、私はその問いを真正面から突きつけられた。
「彼が癒されれば、夫婦関係はよくなる」と彼女は言った
毎週木曜日、女性たちが集まるグループワークに通っていた時期がある。
その場に、旦那さんとの関係に悩んでいる女性がいた。彼女は涙ながらに話していた。
旦那さんは幼少期に、親との間でたくさんの問題を抱えていた。
母親から十分な愛情をもらえず、父親からは高圧的に接されてきたらしい。
彼女はこう考えていた。
彼が急にキレて怒鳴るのは、父親から受け継いだものかもしれない。
急に連絡が取れなくなるのは、私の愛を試しているのかもしれない。
お金に対して極端にケチなのは、親がお金持ちだったのに自分には使ってもらえなかったからかもしれない。
だから、彼には心理セラピーやインナーワークが必要だ。
彼が自分の傷を癒したら、彼自身も楽になる。
そうすれば、私たちの夫婦関係も良くなる。
彼女の話だけ聞けば、献身的な妻に見える。
大変な男性を見捨てない人。
相手の可能性を信じている人。
結婚式の「病める時も健やかなる時も」という誓いを、本気で守ろうとしている人。
少なくとも当時の私は、そう見ていた。
というより、私も完全に彼女側だった。
夫婦なら、一緒に乗り越えるものじゃないの。
愛って、相手の傷ごと抱きしめることじゃないの。
途中で見切りをつけるなんて、冷たくないの。
そう思っていた。
ドクターパッドは「Leave Or Stay」と言った
その場にいたドクターパッドという年配の女性が、彼女に静かに言った。
「あなたに残された答えは、Leave Or Stay のどちらかよ」
彼女は驚いていた。
「でも、夫婦だったら、一緒にそれを乗り越えていくのが普通じゃないですか?」
するとドクターパッドは、もっと強い言葉で返した。
「普通?あなたがしていることは、相手の尊厳を無視した行為よ」
その場が一瞬止まった。
彼女も驚いたし、聞いていた私も驚いた。
なぜなら、彼女は相手を助けようとしているように見えたから。
相手を理解しようとしているように見えたから。
むしろ、かなり彼のために我慢しているように見えたから。
でもドクターパッドは言った。
その人のバックグラウンドを全部含めて、それでも一緒にいたいなら、ステイすればいい。
その人のバックグラウンドを全部含めて、一緒にいたくないなら、去ればいい。
相手を変えようとするのは、おこがましい。
自分勝手で、相手の尊厳を無視している。
その言葉は、かなり痛かった。
だって、私の知っている愛の姿とは真逆だったから。
私は「変わってほしい」と願うことが愛だと思っていた。
「あなたはもっと良くなれる」と信じることが、深い愛だと思っていた。
でも、その裏にはこういう前提がある。
今のあなたでは足りない。
今のあなたのままでは、私は満足できない。
私が正しいと思う形に変わってくれたら、愛してあげられる。
これを相手から言われたらどうだろう。
「お前の過去は問題だらけだ。だからワークをしたほうがいい。お前さえ過去を癒して、今のお前を正したら、俺たちはうまくいく」
こんなことを言われたら、私はたぶん静かにブチ切れる。いや、グーパンチしかない。
もちろん、関係の中でお互いに内面を見つめ合うことはある。
「それ、ワーク案件かもね」と笑いながら話せる関係もある。
自分から変わりたいと思って、セラピーや内省を選ぶこともある。
でも、「あなたが変われば私たちはうまくいく」は別物だ。
それは愛の顔をしたコントロールになりやすい。
ステイとは、今の相手を引き受けること
ステイは、相手の未来の改善に賭けることではない。
「いつか怒鳴らなくなるはず」
「いつかお金の扱いが変わるはず」
「いつか連絡を無視しなくなるはず」
「いつか私を安心させてくれるはず」
この“いつか”を担保にして一緒にいると、今の自分がどんどん擦り減っていく。
ステイするなら、見るべきなのは未来の空想ではなく、今の現実だ。
今、その人は怒鳴る。
今、その人は急に消える。
今、その人はお金で不安にさせる。
今、その人といる自分は安心しているのか。
今、その人といる自分は、自分を好きでいられるのか。
そのうえで、「それでも私はこの人と一緒にいたい」と思うなら、それはステイ=関係を続行することだ。
相手の傷を見なかったことにするのではない。
相手の問題行動を美化するのでもない。
相手を“修理予定の人”として持ち続けるのをやめる、ということ。
ステイとは、相手を変えるプロジェクトから降りたうえで、そばにいる選択だ。
ここで大事なのは、安全の話を別にすることだ。
怒鳴り声、威圧、無視、金銭的な支配、恐怖を感じる関係があるなら、「愛とは何か」を考える前に、自分の安全を確保する必要がある。身近な人や専門機関に相談していい。危険がある関係では、相手の背景を理解することより、まず自分を守ることが優先される。
Leaveとは、相手を悪者にしないで去ること
Leaveする
ここで言いたいのは、相手を処罰することではない。手放す、去る、自分の人生からその関係を外す、ということ。
Leaveは、冷たい選択に見えることがある。
でも本当は、相手を変えようとし続けるより、よほど誠実な場合がある。
「あなたの癇癪が嫌い」
「私は怒鳴られる関係では安心できない」
「あなたの沈黙や音信不通に、私は耐えられない」
「私は私に合う人と生きたい」
そう言って去ることは、相手を否定することとは違う。
あなたはあなたとして生きてください。
でも私は、そのあなたとは一緒に生きません。
この線引きは、とても大人だと思う。
逆に、嫌いなところだらけなのに「変わってくれたら愛せる」と居座るほうが、残酷なこともある。
相手はずっと採点される。
こちらはずっと不満を溜める。
関係の中には、見えない上下関係が生まれる。
治す人と、治される人。
分かっている人と、分かっていない人。
待ってあげている人と、待たれている人。
それはもう、対等な関係ではない。
私も「良い彼女」をやめることにした
そのセッションを見たあと、私は当時付き合っていた人との関係を考え直した。
その人に対して、私はよくイライラしていた。
なんでこの人は自分で決められないんだろう。
なんでこの人の顔を見ると暗い気持ちになるんだろう。
なんで一緒にいるだけで、こんなに疲れるんだろう。
でも、付き合っているんだから、私の不満はわがままなのかもしれないと思っていた。
この人にも良いところはある。
私がもっと優しくなればいい。
私がもっと理解すればいい。
相手が変われば、きっとうまくいく。
子供が欲しくないと言ってる彼も気が変わるかもしれない。
そうやって、自分の違和感を押し込めていた。
でもドクターパッドの言葉を聞いて、急に分かった。
こんなにイライラしている私と一緒にいても、相手だって幸せじゃない。
私は「良い彼女」のふりをしながら、心の中では相手にダメ出しをしていた。
それは優しさではなかった。
愛でもなかった。
私は、私が本当に一緒にいたい人と一緒にいるべきだった。
そして相手も、自分を変えろと無言で責めてくる女と一緒にいる必要はなかった。
だから別れることにした。
もちろん、決めたからといってすぐに綺麗に終わるわけではない。
現実には、経済的なこと、住まいのこと、情のこと、周囲の目、孤独への不安が絡む。
人は、食べ物と安心がない状態では、正しい決断をしても動けないことがある。
マズローの欲求階層説でもよく語られるように、食事や住まい、安全といった土台が揺らぐと、自己実現や理想の愛を考える余裕は減っていく。
だから「嫌なら別れればいいじゃん」は、雑すぎる。
去るにも準備がいる。
ステイするにも覚悟がいる。
どちらも、口で言うほど簡単ではないことを体験していた。
そして、その女性はとても難しそうだった。
経済的自立がなかったからだ。
旦那さんの与えてくれるゴージャスな家、車、ロケーションから離れることと自分の我慢を天秤にかけているようだった。
どちらを選んでもいいけど、
一緒にいることを選ぶなら、
「相手を変えるなんて相手の尊厳を無視したことは金輪際言わないことね」と
ドクターパッドは言った。
「考えてみるわ」とその女性は言った。
相手を変えようとしない愛は、自分を諦めることではない
ここを間違えると危ない。
相手を変えようとしない愛とは、何でも我慢することではない。
自分の希望を全部捨てることでもない。
怒鳴られても、無視されても、傷ついても、相手の過去を理解して耐えることでもない。
むしろ逆だ。
相手を変えようとしないためには、自分の本音をはっきり見る必要がある。
私は何が嫌なのか。
私はどんな関係なら安心できるのか。
私は何を大切にして生きたいのか。
この人の今を見たとき、それでも一緒にいたいのか。
その答えがイエスなら、相手を修理しようとしないで隣にいる。
その答えがノーなら、相手を悪者にしすぎず、自分の人生に戻る。
どちらも、相手の尊厳を守る選択になり得る。
そして同時に、自分の尊厳を守る選択にもなる。
相手を変えようとしない愛とは、今の相手を見て、今の自分で選ぶことだ。
「いつか変わるかも」ではなく。
「私が変えてあげる」でもなく。
「この人は本当はこんな人じゃないはず」でもなく。
今、目の前にいるその人と、私はどう生きたいのか。
Stayか、Leaveか。
その問いは冷たいようで、実はとても優しい。
なぜなら、相手を勝手に作り替えないから。
そして、自分の人生も他人任せにしないから。
つまり、ワークするべきは相手ではなく自分だ。
相手の過去を正そうとするのではなく、
不幸だと感じる関係性に落ちてしまう・選んでしまう自分についてワークをする必要がある。
それに過去の私は気づいたことを今でも思い出す。
そして、自分のワークをしてよかったと心から思う今です。

モノクロから虹色へ



































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