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傷口にハエの幼虫がうじゃうじゃいた話

9 時間前
読了時間: 5分

ある日、私は一人の息子が、年老いた母親を必死に説得している場面に遭遇しました。


「ママ、頼むから病院に行ってくれよ。お願いだから、お医者さんに診てもらってくれよ」


息子は何度もそう繰り返していました。


けれど母親は、息子の言葉に耳を傾けようとはしません。


「どうして私はいつもこんな目に遭わなきゃいけないの? どうして私ばっかり。世の中には嫌な人たちばかりいて、私はいつもその犠牲になるのよ!」


彼女は大声で怒りをあらわにしていました。


すると息子が、悲痛な声でこう言ったのです。


「ママ、足の傷を見てよ。もうハエが卵を産みつけて、幼虫がうじゃうじゃしているじゃないか。お願いだから病院に行って、きれいに処置してもらおうよ」


私はその言葉を聞いて、思わず息をのみました。


傷口にハエの幼虫がいる?


そんなことが本当にあるのだろうか。


確かに、その女性の足はひどくただれていました。傷は悪化し、周囲には異臭まで漂っていました。


息子は続けます。


「このまま放っておいたら、もっとひどくなる。感染が広がって、足を失うことになるかもしれないんだよ。頼むから病院に行ってくれよ」


しかし、母親の返事は変わりませんでした。


「どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないの? どうしていつも私ばっかり、こんなことをさせら

れるの?」


彼女の言葉は、目の前の足の傷ではなく、これまで自分が受けてきた仕打ちや、周囲の人たちへの不信感に向けられていました。


すると息子が、とうとうこう言ったのです。

「ママはいつも誰かを責めるか、自分を責めるか、その二つしか話していないじゃないか。

今、目の前で起きていることを見てよ。

自分の身体がどうなってもいいっていうの?」


そして母親の手を取り、

「ママ、お願いだから。ママのことを助けさせてくれよ」


そう懇願していました。


私はその光景を見ながら、ただただ唖然としていました。


同じ場所にいて、同じ出来事に直面しているのに、二人の見ている世界があまりにも違っていたからです。


息子が見ているのは、今、目の前で起きている現実。


母親の足が危険な状態にあり、一刻も早く病院に行かなければならないということ。


一方、母親が見ているのは、これまで自分が経験してきた嫌な出来事や、人への不信感を通した世界のように見えました。


同じ現実を前にしているのに、こんなにも違う世界が見えるものなのか。


私はそのことに衝撃を受けたのです。




「お医者さんが嫌いだから、自宅出産を選ぶっていうのはやめてね」


この出来事を見て、私は自分が出産を控えていた頃のことを思い出しました。


当時、私は自宅出産を希望していました。


そのとき、ある助産師さんからこんなことを言われたのです。


「お医者さんが嫌いだから、自宅出産を選ぶ、という選択の仕方はやめてね」


その言葉は、今でも私の心に残っています。


私は過去に、ステロイドを常用していたことで、失明しかけた経験がありました。


その経験から、医療や医師に対して強い不信感を抱いていた時期があったのです。


だからこそ、助産師さんのその言葉には、とても大切な意味があったのだと思います。


今振り返ると、彼女が伝えたかったのは、きっとこういうことだったのではないでしょうか。


誰かを恨む気持ちから、自分の人生の大切な決断をしないでほしい。


何かから逃げるためではなく、自分にとって何が最善なのかを考えて選んでほしい。


自分は守られ、愛されているという安心感の中から、堂々と自分の望む出産を選んでほしい。


そんなメッセージだったのではないかと思うのです。



何かが嫌だからではなく、私はこれがいいから


幸い、私はそれまでにヒーリングを通して、自分の中にあった医療への不信感や、過去の経験から生ま

れた感情と向き合うことができていました。


もちろん、過去に起きたことが消えるわけではありません。


でも、その経験への怒りや恐れだけで、今の選択をしなくてもよくなっていたのです。


だから私は、医師が嫌いだから自宅出産を選ぶのではなく、さまざまな選択肢を知り、必要な安全面も考えたうえで、


「私はこの方法で赤ちゃんを迎えたい」


という気持ちから、自分の望む出産を選ぶことができました。


同じ自宅出産という選択でも、

「病院が嫌だから、ここには行きたくない」

という気持ちから選ぶのと、


「いろいろな方法があるけれど、私はこれがいい」

という気持ちから選ぶのとでは、私にとってはまったく違うものでした。


そして、これは出産に限った話ではないと思います。


仕事を選ぶときも、人間関係を選ぶときも、住む場所を選ぶときも。


私たちは知らず知らずのうちに、過去の嫌だった経験や、誰かへの怒り、恐れを出発点にして選択していることがあります。


もちろん、嫌なものから離れることが必要なときもあります。


でも、その先で自分が本当に望んでいるものは何なのか。


そこまで見つめることができたら、選択の仕方は変わっていくのではないでしょうか。


「あの人が嫌だから」ではなく、「私はこれが好きだから」。


「傷つきたくないから」だけではなく、「私はこう生きたいから」。


過去に何があったとしても、その経験に今の人生の選択を決めさせなくていい。


いろいろな選択肢がある中で、自分にとって大切なものを見つめ、自分の意志で選んでいく。


私は、それこそが「自分の人生を生きる」ということなのだと思います。


過去の傷を癒すことは、過去をなかったことにすることではありません。


過去に経験した痛みや恐れに、今の自分の選択を支配させなくてもよくなること。


誰かが嫌だから、何かが怖いからという理由だけではなく、


「私はこれが好き」「私はこう生きたい」


という、自分自身の望みから選べるようになること。


そして、その選択を自分で信頼できること。


今を、自分自身の力を十分に発揮できる、パワフルな状態から生きていくために。


過去の傷と向き合い、癒していくことがどれほど大切なのか。


あの日の母親と息子の姿を見て、私は改めてそのことを深く感じたのでした。


モノクロから虹色へ


 
 
 

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