傷口にハエの幼虫がうじゃうじゃいた話
ある日、私は一人の息子が、年老いた母親を必死に説得している場面に遭遇しました。
「ママ、頼むから病院に行ってくれよ。お願いだから、お医者さんに診てもらってくれよ」
息子は何度もそう繰り返していました。
けれど母親は、息子の言葉に耳を傾けようとはしません。
「どうして私はいつもこんな目に遭わなきゃいけないの? どうして私ばっかり。世の中には嫌な人たちばかりいて、私はいつもその犠牲になるのよ!」
彼女は大声で怒りをあらわにしていました。
すると息子が、悲痛な声でこう言ったのです。
「ママ、足の傷を見てよ。もうハエが卵を産みつけて、幼虫がうじゃうじゃしているじゃないか。お願いだから病院に行って、きれいに処置してもらおうよ」
私はその言葉を聞いて、思わず息をのみました。
傷口にハエの幼虫がいる?
そんなことが本当にあるのだろうか。
確かに、その女性の足はひどくただれていました。傷は悪化し、周囲には異臭まで漂っていました。
息子は続けます。
「このまま放っておいたら、もっとひどくなる。感染が広がって、足を失うことになるかもしれないんだよ。頼むから病院に行ってくれよ」
しかし、母親の返事は変わりませんでした。
「どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないの? どうしていつも私ばっかり、こんなことをさせら
れるの?」
彼女の言葉は、目の前の足の傷ではなく、これまで自分が受けてきた仕打ちや、周囲の人たちへの不信感に向けられていました。
すると息子が、とうとうこう言ったのです。
「ママはいつも誰かを責めるか、自分を責めるか、その二つしか話していないじゃないか。
今、目の前で起きていることを見てよ。
自分の身体がどうなってもいいっていうの?」
そして母親の手を取り、
「ママ、お願いだから。ママのことを助けさせてくれよ」
そう懇願していました。
私はその光景を見ながら、ただただ唖然としていました。
同じ場所にいて、同じ出来事に直面しているのに、二人の見ている世界があまりにも違っていたからです。
息子が見ているのは、今、目の前で起きている現実。
母親の足が危険な状態にあり、一刻も早く病院に行かなければならないということ。
一方、母親が見ているのは、これまで自分が経験してきた嫌な出来事や、人への不信感を通した世界のように見えました。
同じ現実を前にしているのに、こんなにも違う世界が見えるものなのか。
私はそのことに衝撃を受けたのです。
「お医者さんが嫌いだから、自宅出産を選ぶっていうのはやめてね」
この出来事を見て、私は自分が出産を控えていた頃のことを思い出しました。
当時、私は自宅出産を希望していました。
そのとき、ある助産師さんからこんなことを言われたのです。
「お医者さんが嫌いだから、自宅出産を選ぶ、という選択の仕方はやめてね」
その言葉は、今でも私の心に残っています。
私は過去に、ステロイドを常用していたことで、失明しかけた経験がありました。
その経験から、医療や医師に対して強い不信感を抱いていた時期があったのです。
だからこそ、助産師さんのその言葉には、とても大切な意味があったのだと思います。
今振り返ると、彼女が伝えたかったのは、きっとこういうことだったのではないでしょうか。
誰かを恨む気持ちから、自分の人生の大切な決断をしないでほしい。
何かから逃げるためではなく、自分にとって何が最善なのかを考えて選んでほしい。
自分は守られ、愛されているという安心感の中から、堂々と自分の望む出産を選んでほしい。
そんなメッセージだったのではないかと思うのです。
何かが嫌だからではなく、私はこれがいいから
幸い、私はそれまでにヒーリングを通して、自分の中にあった医療への不信感や、過去の経験から生ま
れた感情と向き合うことができていました。
もちろん、過去に起きたことが消えるわけではありません。
でも、その経験への怒りや恐れだけで、今の選択をしなくてもよくなっていたのです。
だから私は、医師が嫌いだから自宅出産を選ぶのではなく、さまざまな選択肢を知り、必要な安全面も考えたうえで、
「私はこの方法で赤ちゃんを迎えたい」
という気持ちから、自分の望む出産を選ぶことができました。
同じ自宅出産という選択でも、
「病院が嫌だから、ここには行きたくない」
という気持ちから選ぶのと、
「いろいろな方法があるけれど、私はこれがいい」
という気持ちから選ぶのとでは、私にとってはまったく違うものでした。
そして、これは出産に限った話ではないと思います。
仕事を選ぶときも、人間関係を選ぶときも、住む場所を選ぶときも。
私たちは知らず知らずのうちに、過去の嫌だった経験や、誰かへの怒り、恐れを出発点にして選択していることがあります。
もちろん、嫌なものから離れることが必要なときもあります。
でも、その先で自分が本当に望んでいるものは何なのか。
そこまで見つめることができたら、選択の仕方は変わっていくのではないでしょうか。
「あの人が嫌だから」ではなく、「私はこれが好きだから」。
「傷つきたくないから」だけではなく、「私はこう生きたいから」。
過去に何があったとしても、その経験に今の人生の選択を決めさせなくていい。
いろいろな選択肢がある中で、自分にとって大切なものを見つめ、自分の意志で選んでいく。
私は、それこそが「自分の人生を生きる」ということなのだと思います。
過去の傷を癒すことは、過去をなかったことにすることではありません。
過去に経験した痛みや恐れに、今の自分の選択を支配させなくてもよくなること。
誰かが嫌だから、何かが怖いからという理由だけではなく、
「私はこれが好き」「私はこう生きたい」
という、自分自身の望みから選べるようになること。
そして、その選択を自分で信頼できること。
今を、自分自身の力を十分に発揮できる、パワフルな状態から生きていくために。
過去の傷と向き合い、癒していくことがどれほど大切なのか。
あの日の母親と息子の姿を見て、私は改めてそのことを深く感じたのでした。
モノクロから虹色へ



































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