top of page

やってあげてるから、一緒にやるへの移行

さて、出産予定日の今日。

なんの予兆もないなあと思っていたら、

お昼寝から目が覚めると、

もう骨盤がこれでもかっていうぐらいに引っ張られて押されて広がる感覚。

あまりの強い感覚に

下っ腹も痛いし、これ、陣痛かなあって思いながら、

ドューラーのアシュリーとミッドワイフのポーラに連絡。

話しながら、落ち着いていく気持ちと

いや、この子宮に感じるマイナーな収縮は、

もしかしたら、うんこをしたいだけかもしれない。

そういうと、

うんこをしたいという気持ちも陣痛の始まりの一部だから

ちょっとpay attention しておいてね。と。

今晩には来るかなあなんて

思いながらのこのポストの投稿です。

この陣痛が怖いというのを克服する過程で

たくさんの気づきや人生の方向転換が見えてきています。

出産前のラストスパートで気づきが出てくるなんて

クライアントさんたちを通じて経験していましたが

私の見事に気づきのラッシュです。

私が、アシュリーとの話で

あああ!そうかと思い気づきを得たのも束の間

親友の

『一人目の時は訳がわからなかったけど、二人目では私が産みたい!って思ったの』

という言葉を聞いて、

どこかで私、できるかなあ、そんな強い自分がいるかなあと

不安が忍び寄ってきました。

こういうことって気づきの後によくあることで、

ああ!って気づいたけど、

不安が戻ってきちゃう。

そういう時は、潜在意識に何か引っ掛かりがあるのだろうと

『やる気を持つ!』

そんな中学生の運動会のスローガン的なゴールを潜在意識が決めたときには

いささか、苦笑しましたが、

それができない原因が、世代間の信じ込みという

家系から来ていることがわかりました。

考えてみれば、

私の母親は、幼少期に第二次世界大戦を経験している人です。

そして、母が大人になったときには高度経済成長真っ只中。

男性は、外でお金を稼ぎ仕事一本。

女性は、家を一人で守り子育ても一人です。

そんなのが当たり前の世界。

物質的に豊かになっても、

育った環境は、男性が家を留守にして、お国のために働く時代。

そんなギャップの環境の中、

子育てをしてくれました。

子供の頃は、男子と手を繋ぐこと、隣の席に座ることも許されなかったのが、

大人になれば、女性の社会進出の始まりの時代でもあり、

怒涛の時代変化の中、家庭を守って生き抜いてきた女性です。

それでも、女性が歯を食いしばって、

自分を犠牲にして、弱音を吐かず、男性を頼らず、家庭を守るという

戦時中の感覚が同じ世代間で広まる中で

私を育ててくれました。

私は、母が自分のために何かを始めたのは、私が成人してからで

それまでは、いつも内職をし家計を助け、背中をトンカチで叩くほど肩が凝った状態でいる姿を常に見ていました。

母の笑った顔は、私が何か賞を取る時ぐらいで

母が他で笑った顔を見た事の記憶は、残念ながらすぐには思い出せません。

本当の母がどういう風に母親として過ごしてきたのかは、分かりませんが、

私にとっては、母は子供の犠牲となり、家庭の犠牲となり、子供が巣立つまでは

我慢して、家庭のことをやる役割だと

どこかで捉えていたんだと思います。

長女が生まれてから

私の意識は、その「母」という役割をどこかで常に気にしていました。

それでも、旦那さんのサポートや、仲間のサポートで、

お仕事をすることはできていましたが、

常にどこかで後ろめたさを感じていました。

私がやっていることって母親として正しいのだろうか???と。

すべて、私がやることは、子供のためであるべきである。

そんな信念が、気づかないうちに、それでもシットリと私の意識の中にくっつきながら

この2年を過ごしてきた気がします。

妊娠中のつわりも、

妊娠中の食べ物も、

お腹が大きくなる不快感も、

出産の痛みも、

出産後の大変さも、

子供が大きくなってからのしつけも

すべてが子供のためである。

それが立派な母親像である。

そんな風に意識したことはなかったんですけど、

潜在意識がそれを指摘したときに、

確かに、この陣痛の苦しみや痛みは、赤ちゃんのために私が歯を食いしばって頑張ることって思っていました。

でも、親友が『お産を楽しんで!』という言葉をくれたときに

子供のために乗り越える痛みなのに、私が楽しむってどういうことだろう???

って思ったんです。

で、ハタと気づいたのが、

あああー子供がいる人生って私の人生なのに、

傍観者であり、観客という立場をとっていた。

つまり、誰かのために「やってあげてる」私という立ち位置を

知らないうちにとっていたんだ。

と。

そうではなくて、

「子供の成長に積極的に参加して、私の感覚で一緒に楽しむ私。」

という立場に切り替わったら、私の人生ってどうなるんだろう???

そう考えたとき、

やる気を持って、出産できるじゃん!と思ったわけです。

ああ、

私は、どこかで子供を持ったときに自分の人生を放棄することが正しいと

思っていたんだなと。

だから、自分がしたいことをすると

どこかで後ろめたさがひょっこり顔を出していたんだ。

そうじゃなかった。

私も子供の成長に参加したら、

お産だって、やってあげなきゃ、ではなく、母さんも楽しむでえ!となるやん。

今までセッションでたくさんの女性が、

お母さんからの呪縛というか、固執的な感覚に悩んでいる人がいるのを見てきた。

私も、そうなるところだったのかなあ。

そのセッションが終わった翌日

なんだか娘の感じが違う。

もっともっとママ一緒にやろうっていう感じがする。

私の膝に乗って、私の腕をとって、私の目を見つめて

顔を撫でてくれる。

髪の毛をとかしてくれる。

顔にオムツかぶれ用のクリームを塗ってくれる。

一緒にやろう。

そう連発する。

あなたの世界はとても美しい。

外から保護者として眺める傍観者ではなく、

あなたのためにやってあげるなんていう犠牲的な立場ではなく、

一緒にその美しさを共に見ていく参加者でありたいと思う。

次女が生まれてくる前に、

私はすでに子供たちから、たくさんの学びを得ている。

恐怖を持つことは悪くない。

そこに目を向けて、インテグレイティッド・ヒーリングで

光を当てたら

こんなに素敵な世界が待っていたから。

ありがとう。

あなたのことを尊敬するわ。

大好きよ。

あなたに出会えて本当に良かった。

モノクロから虹色へ

Featured Posts
Recent Posts
Archive
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page