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言葉を大切に使う3

前回の続き

その日、20名弱の男女が集まって、ワークをする中に私はいた。

「いずみ久しぶりだね!さあ今日はどんなワーク?」

「あのね、私、がっかりしたっていうアンドリューの言葉に反応をしているの。

 私が彼のがっかりしたっていう気持ちは

 彼の感情で、彼のものなのに、私は、彼ががっかりしないようにどうにかしなきゃって必死になってて。」

ファシリテーター役をしてくれた一人の女性がこう言った。

「いず美、目をつぶって。

 あなたが記憶に残ってる中で一番最初にあなたが誰かをガッカリさせた時って

 いつかしら思い出せる?」

「今ふと思い浮かんだのは、9歳の時。

私、理科が得意じゃなかった。

 でね、通信簿が来て、ほとんど4か5だった私に初めて3がついたの。

 理科だけが3でね。

 その成績を見た母親の雰囲気がすごく怖かったのを覚えてる。

 私にガッカリしてる様子だった。」

「そう。おっけ、では、次に覚えてる記憶はあるかしら?」

「うん。中学2年の時に英検3級を受けたの。

 あの当時ね、英検3級って3年生の一学期で取るのが通例だったのだけど、

 私の通っていた英語の塾の生徒で私を含めて4名ぐらいが中学2年生の一学期で

 全員一次を合格したの。

 でも、私、なんで合格したのかわからなかった。

 で、そんな状態だから、もちろん、二次試験に行って、わたしだけ落ちたの。

 それを伝えた時、母が台所で聞いたことがない声で怒ったんだ。」

「そのあとは?」

「うーん、その後は、

 がっかりされそうになったらすぐに動いて、がっかり封じをしてきたから

 そんな無防備な状態はないかも」

「では、今からその9歳の時の通信簿を持って母親に見せた時の感覚を思い出してくれるかしら?」

そう促す彼女の言葉を聞いた後、

スゥと深呼吸をすると

あの時のことが容易に想像できた。

夏が始まった7月末。

畳の上で正座して、洗濯物を畳んでいる母の姿。

その母をまっすぐに見れない私。

声もかけれないぐらい、私にガッカリしてるのを体全体でヒシヒシと感じた。

私は、畳の上に横たわりながら、息を潜めて母の様子を伺ってた。

背筋が凍りつくようなフリーズした感じ。

外は夕立が降りそうな重い灰色をしてた。

母が洗濯物を持って立ち去ると、一気に体の力が抜けて息ができるようになった。

そこから、はっきりと理科が苦手になった。

「得意ではない」から「苦手・嫌い」になったのだ。

理科のテスト前になると、テスト範囲の内容を何度もなんどもノートに書いた。

テストで忘れて、またダメな点数を取ったらどうしよう。

あのガッカリが待ってる。

そんな事をファシリテーターに伝えた。

すると、

『オウケイ。いずみ、その記憶をね、書き換えるわよ。』

そう言って、彼女は母親役を始めた。

『いず美、理科の点数が3だったのね?

 びっくりしたんじゃないかしら?

 どちらでも、あなたが一生懸命にお勉強をしてたのを私は見てたし

 この点数が、あなた自身を評価するものではないことを知っていてね。

 そしてね、どんな点数でも、私のあなたへの愛は変わりないわ。

 でね、お母さん提案があるんだけど、もっと理科を楽しく学べる方法を探してみない?

 学校で学ぶんですもの。

 きっと理科って面白いんだと思うわ。

 だって学校で学ぶ他の教科の国語も体育もいずみにとって楽しいでしょ?

一緒に理科も楽しめる方法を見つけましょうよ。」

9さいの感覚にどっぷり浸かっていたわたしは

驚いて、ホッとして泣けてきてしまった。

一緒に理科を楽しめる方法を見つけましょうだって?!

なになになにー

私はダメなやつじゃなかったんだーーー。

言葉がけ一つで

私はがっかりさせないように努力をするのではなく、

その教科を楽しむことに意識を集中することもできたんだ。

私は、自分の能力を疑うことも

母のガッカリに責任を取らないといけない強迫観念も

自分をダメな奴とレッテルを張ることも

しなかった。

こんな声がけって、してもらったことなーい!!!

母だけじゃない。

部活の先生にも

担任の先生にも

教育学部の授業でも

仕事場でも

上司からでも

仲間からでも

友人同士でも

先輩からでも

なーい!!!!

その代わり、

①褒められおだてられるか

②たしなめられるか

③怒られ非難され批判されるか

④とにかく頑張れと激励されるか

⑤もっとこうしたほうがいいとアドバイスされるか

その名も『叱咤激励。』『叱責』

それしかしらなかった。

悔しさをバネにする方法でしか自分を鼓舞できず

それ以外は「怠けてるんだ」なんていう強迫観念もなかっただろう。

ああ、こんな言葉の使い方が蔓延しているから

日本人のインテグレイティッドヒーリングのクライアントさんで

『自分に自信がないんです』

っていう悩みでくる方が多いんだ。

そして、自分のミスをかばうことに時間を使ってきてしまったから

『ありのままの自分でいたいんです。

 でも、その自分がどういう自分かなにが好きかもわからないんです』

ってさまようことが多いんだ。

(*9年前の私もそうだった)

もしも、普段の会話が、親子でも、学校でも、友達同士でも

こんな優しい言葉の使い方が普通であったら

きっと、

いつも安心して、自分を信頼して世界を信頼して

友達と優しく関わる言葉をかわしながら

お互いをサポートする仲間に巡り合って生きていただろう。

では、それをいえなかった母が悪かったのか?

そんなことは一切思わなかった。

私は、母からの愛情をたくさんもらってきたのを感じている。

ただ、きっと母もそんな言葉かけしてもらってなかったのだろう。

ここから、もしも私が私の周りに叱咤激励をやめて

愛を持った言葉を使い始めたら、

少しずつ愛が蔓延していくのではないだろうかという野望プロジェクトを持っている。

「誰もが」誰かのインナーチャイルドを癒す「母親」となれる世界に。

ただね、

一回そんな経験をしたからって、そうそう今までの叱咤激励が治るわけちゃいまんがな。

毎日筋トレのようにやっていくしかないっす。

えいえいおー

モノクロから虹色へ

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