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「甘やかす」と「甘えさせる」


ほぼ私が抱っこ紐で抱っこをして移動をした日本旅行。

毎日赤ちゃん用のジャングルジムで登ったり降りたりしていた時間がグンと減り

ずっとずっと抱っこされている時間ばかりだった。

数日毎に移動し、寝る場所、会う人、環境が入れ替わり立ち替わり

最後の一週間は、一緒にべったりしている時間は夜だけの毎日だった。

それでも、私は子供を連れて仕事ができることの幸せを感じていた。

クラスでもおっぱいを隠すことなく出しながら講義をし

それを咎めるわけでもなく、普通に過ぎていく空間。

もしかしたら、ギクリとした人がいたかもしれない。

でも、私はおっぱいをあげている時間て神聖だと思うから

神聖で私が安心している場所で、隠すことって何か変な気がして。

いつの日か、女性が女性であることをどこにいても神聖に思ってもらえて

安心できる空間がたくさん増えていくといいな。

さて、

日本に旅行する前は、自分で立ち上がって歩き出しそうだったのが

日本から戻ってみると、娘はなんだか足腰が衰えている感じだった。

歩くよりも、ハイハイに戻った感じ。

なんかその時に、教育学部で教授が言った一言をふと思い出した。

『甘やかすと甘えさせるは違います。

 甘えさせるのはいいですが、甘やかさないでください』

なんか、よくいっている意味がわからなかった。

もしかしたら、娘のこの件になるまでわからなかったかもしれない。

でも、今はわかる。

甘やかすとは、本人ができることを私が奪ってしまうこと。

本人が立ち上がって歩けるのに、私が抱っこして移動する。

自分でやってみよう!という本人の意思があるのに、私が出来ないだろうと思って先回りして行動する。

本人には難しいだろうと勝手に判断して、私が手出しをする。

そうすると、彼女は何も自分で出来なくなってしまう。

甘えさせるとは、本人が甘えたいと欲した時に甘える時間を作ること。

助けてといった時に、助けてあげるか判断する時間を取ること。

抱っこしてと行った時に、抱っこするために今やっていることの手を止めること。

ママ、と読んだ時に、一旦眼差しを向けること。

甘やかすは『奪う』行為で

甘えさせるは『与える』行為。

これって男女関係でも言える。

甘やかすは、共依存の行為。

私がいなければ、あなた何も出来ないでしょっていう。

もしくは、

私がいなきゃダメな、あなたになってちょうだいっていう。。。

もしくは、

あなたのせいでこうなったのよ。

甘えさせるは、愛の行為。

あなたが必要な時には、僕はいつでもここにいるよ。

あなたがサポートして欲しい時には、私はいつでもあなたのそばで支えるわ。

愛の行為をするには、自分が何が欲しいかをクリアに知っていないといけないね。

そうじゃなければ、いつでも「誰か、私のことを察してちょうだい」っていう

サイキックパーティーになっちゃう。

もしくは、エスパーまみになることを強いられる。

だから、自分が何を欲しているのかを知ることって

愛を他人と共有することの第一歩。

自分が欲していることを知るのはワガママではなく

愛を共有するために必要なこと。

多分、ワガママに感じる時は

相手への配慮が欠けている時なんだと思う。

だから、

娘が一人遊びをしている時は、放っておく。

(←これ、NYにいるひろみちゃんから教えてもらった)

そして、娘が腕を伸ばして『ママ』と呼んだら

私も両手を伸ばして抱きしめようと思う。

モノクロから虹色へ

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