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忘れられない母の日


初めての母の日を迎えた私は、

自分の腕に高熱でうなされている赤ちゃんを抱いてオロオロしていた。

小さなカラダが、

どんどんとカチカチに熱くなっていくのを感じた週末。

一晩中、この小さい体を抱きしめながら朝を迎えた母の日。

『熱は理由があって出ているのだ』

そう思い、ただただひたすら熱が下がるのを待つだけだった。

熱い熱い小さい体を一日中抱っこして、一日中寄り添った。

不安と私がしっかりせんでどうする?!という気丈な気持ちとが交互する

週末の丸二日。

いよいよ彼女の体がとてつもなく熱くなり

体温計が40度を越した時、私は内心パニックになり、

信頼している友人に電話をした。

『どうしよう』

すると友人は教えてくれた。

『脇に濡れたタオルを入れてあげて。』

すぐにタオルを濡らして脇に当てる。

すぐに熱くなってしまうタオルに怯えながら、唇をキュッと噛み締めた。

『ありがとう、やってみるよ!』

そういった言葉を伝えて、電話を切ろうとすると

『いず美、頑張れ!』

そう聞いた途端、きつく固めた唇が震えて声が上ずった。

『うん、頑張る』

張っていた気が緩んで、涙声になってしまった。

電話を切ってから、

不安で赤ちゃんのカラダを抱きしめながらワンワン泣いた。

『一緒に頑張ろうね。一緒に頑張ろうね』と何度も言いながら。

目の前の赤ちゃんをじっくりと見て、

『大丈夫』

そう感じる母親の私の勘は果たして正しいのだろうか。

どんどん熱くなっていく小さなカラダの体温を腕の中に感じながら

私は自分にたくさんの自問自答をした。

そうやって

「母の日」も、一晩中、彼女の熱いカラダを抱っこしながら過ぎていった。

翌朝、彼女の熱が下がっているのを感じた。

体温計で計らなくてもわかる。

明らかにこの2日間とは違うから。

たまたま翌日の月曜日が9ヶ月検診だったこともあり

アンドリューと小児科医に連れて行くと

ドクターは言った。

『カラダが熱を上げているのは理由があるのだから、そのままで結構。

 あえて下げる必要がないわ。下げるなら、目がいっちゃっている時よ。

 そうじゃなければ、たとえ40度出ていても本人がしっかりしているなら、

 そのままでいいの。』

それを聞いて、私たちはホッと胸をなでおろした。

早速、友人に報告をすると

『これからが赤ちゃんの旅の始まり。』

なんのことを言っているのか、初めはよくわからなかった。

すると、友人は続けて、こんなことを言ってくれた。

『お母さんの免疫が切れて、これから自分の力で生きていくことが始まった』と。

私にとって、その言葉は、「親離れ」の宣告だった。

一心同体だった赤ちゃんが私の体から分離して、

一人の人間として生きていくんか。。。

どんなに熱があって苦しそうでも、

彼女が自分で乗り越えれると信じて、待つことのしんどさ。

ただ、赤ちゃんを見てて思った。

こいつ強いなあ〜って。

熱で暑くて泣きながらも、自分でおっぱい探して

自分でカラダをなだめて、

私は彼女が求めるものを差し出すだけだった。

あとは黙って見てるだけで。

私がしたことは抱きしめて安心感を与えるだけ。

ただ、

親ってそうあれば良いって教えてくれてた感じだった。

なんでもやってあげるんじゃなくて、子供が自分で乗り越えるのを信じて待つ。

携帯に目をやるとたくさんのお友達から

『初めての母の日、おめでとう』

というメッセージが入っていた。

アンドリューと付き合ってから

愛というものは、変幻自在であることを学んだ。

かつて私にとって愛とは

誰か好きな人のためになんでもやってあげることだった。

でも愛は

瞬間ごとに、表現する形が変わるというのを知った。

そして今回、「見守る愛」というのを学んだ。

なんでもやってあげることが愛だと思っていたけど、

その真逆に位置する「何もしない」というのも愛なのだと。

この丸二日抱きしめ続けた熱いカラダを

私はきっと母の日が来るたびに思い出し一生忘れないだろうと思う。

モノクロから虹色へ

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