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許す事


人生には色々な事があると感じている。

自分がいやな思いになる事も沢山あるし、誰かをいやな思いにさせる事もある。

今思い出すと自分でもなんでこんなことをしちゃったんだろうと思うように

自分の過去を振り返って、誇りに思えない事が沢山ある。

あんな事を

しなければ、よかった

言わなければ、よかった

やらなければ、よかった

と思う事が沢山だ。

多分この世の中で、誰にも傷つけられず傷つける事もなく生きている人なんて

誰一人としていないと思う。

ただ、そんな中わたしは友人の一人からとても大事な気付きをもらった。

その友人とは、すぐに過去のことを忘れる。

毎回会う度に、彼女は私の事を新しい今日の私として会ってくれる。

彼女との間でも『言わなければよかった』『こんな事をされてイヤだった』

と思う事も過去に何度かあった。

その過去のイヤな感覚は、された側でも与えた側でも

少なからずどちらの立場であってもイヤな感覚は残る”はず”である。

ただ、彼女はいつもそれを全て忘れてしまったかの様に私に接するのだ。

そうすると、少し私はホッとする。

ただ、やっぱりそのままでいるのは自分が嘘をついている気がして彼女に聞いてみた。

『ねえねえ、この間の電話の切り方イヤな感じがしたのに

 なんでそれを覚えていないの?

 私、今日、あなたに会うのがちょっと抵抗あったのよね。』

そう言うと、水色の目で彼女がまっすぐに私を見て言いました。

『あのね、doing での間違いで感情は高ぶるわ。

 でも、あなたのbeingに会いに来ているから、

 過去のdoing のせいで

 あなたのbeingと繋がれない事って、人間でいる意味ってあるかしら?』

ほほぉ。

『彼女って、少し変わっている』と、私は常々感じている。

公園に行って、全く知らないおじさんに声をかけて、

『あなたとつながりたいので、3分間目を見つめ合いましょう』

って言ったりして、

知らないおっさんが涙を流しているのを私は奇妙な感じで木陰から見ていたこともある。

その後で、

『ねえ、このおじさんがストーカーになったらどうするの?』

と聞くと、

『人生で起こる事は、いつでも私の成長の為に起こるから』

そう言う彼女の刈り上げ頭をみながら、すごいなあと思っていた。

過去のdoing のせいで、あなたのbeing とつながれないのは人間でいる意味があるのかしら?

か。。。。

赦すという行程は、なにも大きなトラウマを被ったときだけではないのかもしれない。

小さな日常生活の家族や友達との間で起こったいざこざに対して、

doingばかりを責めてしまう事をしていないだろうか?

doing にとらわれて、その人の本質を見る事を止めてしまっていないだろうか?

そしてdoingのせいで、

その人と結局うまくいかなくなって関係性が終わってしまう事はないだろうか?

そんな事を考えていたら、クリーンアップしなければいけない事がある事を思い出した。

続く。

モノクロから虹色へ

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