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この人、思っていた人と違う。


ある日突然、

この間まで良い人だったのに、急に意地悪になったり、

むっちゃ意地悪な人が良い人になったり、

ずっと良い人ってあまり見た事がなくて、

『この人思っていた人と違う』

とちょっとした失望感を持ったりする事ってあります。

人間は一貫性を求めて、安全で予測可能でありたいと思うからなんでしょうけど、

『この人思っていた人と違う』

って言う言葉って、

いつでも、人はどうにでも変化出来るという可能性を壊してしまう感じがします。

結局その人の本質なんて、外側の人間には分からないという事です。

私はずっと誰かの為に役に立ちたいと思っていました。

いや、違うか。

目の前にいる人が不機嫌だったら、悲しんでいたら、悩んでいたら、

どうにかしないとって思っていました。

笑って、良かった〜と言って『サヨナラ』が出来る事が

人間関係における成功だとすら思っていました。

そんな私の所には沢山、色々な人が頼って色々とお話をしてくれます。

元気になって帰って行く人もいれば、

不満のまま帰って行く人もいます。

何も問題が解決せず、不満のまま帰って行く人を見ると、

自分が何も役に立てなかった様でモヤモヤ感が残っていました。

でも、最近、不満のままでいたい人がいるのだという事に気付きました。

悲しいままでいたい人

怒ったままでいたい人

苦しいままでいたい人

ずっと惨めな気持ちでいたい人

何を隠そうこの私が、不満のままでいたい人でしたから。

8年位前に皮膚が猛烈に痒くて惨めな時、

誰かが『その痒い皮膚をお友達だと思えば良いんだよ』というアドバイスに

「うるせーよ」

って思っていましたし、

『この水で良くなった人がいるみたいだよ』

と言うと

『へんな宗教に勧誘しやがって』

と思っていました。

今思えば、

『私って可哀想』という所から、変わりたくなかったんですよ。

そして、皮膚がとにかく酷くなった時

自分がもうこの状態にうんざりだ!と『私ってかわいそう』から脱却しようと

自分で決意した時でした。

そして、受けたインテグレイティッドヒーリング(IH)のセッション。

私の『私って可哀想』の根源は、

昔の彼に対する怒りや恨みつらみや罵詈雑言などその他諸々のヘドロみたいな感情。

このヘドロみたいな感情を無かった事にして,良い人ぶること。

素晴らしい人間の状態であろうとした私。

でもその裏側では、

『この皮膚が治っちゃったら、あなたの事を許さなければイケナイじゃない!

 そしたら、わたしのこの傷ついた気持ちはなかったことになる。

 そんなの絶対に許さない!

 この皮膚が悪いと言う事は、あなたがどれだけ私を傷つけたかの証よ!!!

 だから、皮膚が治っては困るの。だから、掻きむしって掻きむしって

 どれだけ彼が私の事を傷つけたのか証明するのよ。』

なんて出て来た。

すごい鬼の形相で、自分で見ても引く位の恐ろしい顔つきでした。

結局、可哀想でいないと、自分が傷ついた事がなかったことになってしまう。

でも、エンジェル像でありたかった私の自己像は、ボロボロ。

あまりにも醜くて認めたくない。

その感情の醜さを押し込めていたら、

皮膚になってフィジカルな層で醜さとして出て来た。

なにぃ〜!

『この人思っていた人と違う』っていう状況が自分に起きたパターン。

私は、聖人君主だと思っていたけど、鬼だった。

過去に起こった事を水にサラリと流して、

『新しい人生を歩んでいるわ』と言いたい自分でありたかった。

でも、不満はずっと燻っていて。

だから、変われなかった。

悔しいとのたうち回り、

苦しいと泣きわめき、

ぶっ殺すと怒りまくる

そんな自分は、思っていた理想の自分像と違うから。

『思っていた自分と違う』から認めたくなかった。

でも、

アイドルだって排便するし

キリストだって大酒飲みだったみたいだし、

坊さんだってハンバーガー食べるし。

良い人が意地悪な人になる事があるように、どんな自分だってアリだと思う。

『この人、思っていた人と違った』

おおいに結構。

それが自分に出来たら、どんな人間(自分も含む)にあっても愛の目で相手と接する事が出来るから。

モノクロから虹色へ

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