Noを受け入れる2


前回の続き

NOを受け入れるには?ということ。

それは、

Noに、”意味づけ”しないこと

よく私自身がIHの基礎クラスでもお話をしますが、

私たちはmeaning making machine(意味を作る機械) である場合が多いです。

つまり、

何かにつけて、すぐにその裏の意味をつけたがる。

今、バスが遅れているのは、何か私がネガティブなエネルギーがあるからじゃないか?

今、みんなが私から目を逸らしたのは、私に何か落ち度があるからじゃないか?

今、電話しても彼女が出てくれないのは、この間の私の発言が気分を害したのだろうか?

バスが遅れたのは、バスが遅れたのだ。

別にあなたに不幸があるわけじゃない。

目を逸らしたのは、目を逸らしたかったから。

あなたの落ち度とは関係ない

電話して彼女が出ないのは、電話しても出れない状況だから。

電話に出ないボイコットする人とそもそも付き合いたいか?

「やっぱり、あの時に飛行機が遅れたのは、このプロジェクトがうまくいかないことを

暗示していたのよ」

とかいう人がいた。

飛行機が遅れたことにプロジェクトがうまくいかないことの意味づけをするマシーン。

この石ころを家まで蹴って帰れたら、

今日のおやつは豪華と子供の時から意味づけしてた。

全く因果関係ないのに。

私だって

ゲンを担ぐし、

おまじないを小学生の頃にしてたし、

緊張でいっぱいの時には、人を三回書いて飲んでたし。

玄関先にたった瞬間に嫌な感じがして、見事それが的中したこともあった。

このオーディション、絶対に受かる夢をみて、見事受かったこともあった。

ただ、そういう感覚に引っ張られすぎて、全部に意味づけをして、

なんだか事実が見えにくくなる。

透明度が悪くなる。視界が悪いぜ。

特にノーに関して、

全く相関関係がない意味づけをどこからともなく引っ張り出してきて、

目の前の事実を見えなくさせることをよくする。

NOは、単純にNOでしかない。

NOがショックなのはわかるけど、

そのノーに、不必要な意味をたくさん付随するのをやめること。

それがノーを受け入れる条件。

やりがちなパターンの例:

ノーと言われて『私の何がイケなかったの?』と罪悪感にくっつけること。

ノーと言われて『私のことを信じられないの?』とか『バカにして!』とか『私って価値がないの?』と自己価値にくっつけること。

ノーと言おうとしても『相手を傷つけちゃったかな』と自分のノーを無かったことにすること。

ノーと言って『私ってわがままかしら?』と自分を責めること。

ノーと言われて『私を受け入れてくれないのね』と被害妄想に走ること。

ノーと言われて『私の何が正しくないって言うの?』と相手に怒り、鼻息を荒くすること。

Noの裏側に流れる意味づけマシーンのBGMがうるさい。

その代わり、単純にノーをノーとして受け入れたら、『はーい、NOなのね』で済む。

すると、何を表現してもいい世界になる。

ノーと言ってくれてありがとう!と言う気持ちにすらなる。

だって、イエスという人を見つける方向に切り替えられる。

NOをイエスに変えさせようという無駄な努力が必要となくなる。

そして自分の周りにはイエスでつながる人が増える。

つまり、