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”忠”の方向性

日本の長旅が終わって、疲れました。

何が疲れたって、楽しい時間と同じ位、体力的にも精神的にも疲れました。

多分、私の中で、アンドリューが失礼な人だと思われたくないという気持ちが強かったのもあり、

重箱の隅をつつく様な目で彼を初めの方は監視していました。

畳の上にスリッパで上がるな

とか

人が話している時にあくびをするな

とか

”お願い”まで日本語で言うなら ”します”も付けて

とか

椅子に腰をかけるなら、王様みたいに座るな

とか。

浴衣が,右左逆!死人の着方になってる!!!

とか。

日本で会った一人の大切なお友達が

『中国の人は横入りとかしたり、並んだりしないから失礼な人って思われるけど、

 中国も日本も両方とも同じ精神があって、

 単に中国人は”忠”の精神が家族に対して向けられるけど、

 日本人は周りの社会に対して向けられる』

って言っていたのを聞いて、なるほどな〜ってどこか納得をしたんだな。

私のクライアントさんでも、中国の方もいて

本当に親に対しての義務感がギュウギュウでしんどそうな人がほとんどだから。

私ももれなく生粋の日本人ですから、周りの和を乱す様な行動はあかんで、という和の精神が

DNAに組み込まれているわけです。

だから『忠の精神が自分』であるように見えるアメリカ人のDNAをもつ旦那さんが

周りに忠が出来ない事が、ハラハラするわけです。

で、途中で、パンク。

もう、アンドリューの母親役です。

これするな、あれするな!

何やってんだ。

さっきも言ったじゃん。

覚えておいてよ。

余計な事しないでよ。

私の言う通りにして!!!

そして旅の途中である日、

『疲れた!もう、疲れた!母親ちゃうねんから!!!!

 って言っているそばから、トイレ用のスリッパでこっちにくるなー!!!!』

彼にしてみれば

いろんな部屋でそれぞれの靴が出てくる日本は凄いぜって感動をしているけど

私にとってみれば、トイレのスリッパで部屋に入られるとぞっとする

そんなギャップが出て来て、初めの3回位だったら笑えたけど、

もう、途中から笑えん。

今まで頼りだった旦那さんが、面倒を見ないと行けない息子になる感覚。

そうなると、もう触られるのも嫌。

そりゃそうだ、息子と母親がふれあうなんて近親相姦なんだから。

その逆も然り。

これこれ、知ってる。あかんで、これこれ。

と言う事で、ある晩、ベッドに座ってちょっと話があると言うと

『オレもだ』と言う。

大切にしているものを確認しよう。

『僕はいず美と過ごす時間を大切にしている。でも君は他の物を大切にしている様に見える。

 それは、なんだ?』と。

『私が大切にしていたのは、私たちが楽しいかと言うよりも

 周りの人に迷惑をかけていないかと言う事な気がする。

 でも、それを自分さえ楽しければいいやとは言えない。

 それを大切にする日本人を素晴らしいと思うから。』

『分かった。両方、大切に出来る方法を探そうか』

ああ、相手が大切にしているもの、自分が大切にしているものの確認作業って大切だなぁ

と感じた瞬間でした。

『忠』

すれ違っている時、

今、何が意識の中心にあるのか。

自分が大切にしている事が大事にされないと、

一方的にガミガミしたり、クサクサしたり、メソメソしたりしがちになる。

忠を確認し合って、中庸をみつける。

私の大好きな父とアンドリューの間には、いつも焼き芋があります。

モノクロから虹色へ

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