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疑う気持ち


マチルダのクラスの通訳の中で、

『恐怖を自分のモチベーションとして使うのよ』ッて言う内容があった。

聞いた感じでは、とてもインスパイアされる。

でも、本当に恐怖を目の前にした時には、

そんなインスピレーションはどこへ?と言う位恐怖でタジタジになってしまう。

この講習会中に、ある人から大きなオファーを頂いた。

去年から打診はされていたが、その時には考えとくと言う形で逃げ腰でいた。

でも、またその方からオファーを頂き、

今度は覚悟を決めて取り組むという流れになりつつあって右往左往している私。

ある人にとっては、ちっぽけなオファーでも

私にとっては、大きなオファー。

どんな風に人生が変わってしまうんだろうか。

そんなことが出来る私ではない。

そんな期待に応えられるに充分な才能を持っていない。

まだまだです、私は。

そう思って、そのオファーがモチベーションになんてならない。

ただただ、『怖い』という感情に包まれるのみ。

こういう経験をすると、いくら本を読んでも、いくらモチベーションスピーチを聞いても

いざ自分が恐怖を目の前にすると、そんなのツルツルうわっつべりをしていく。

だから、こうやってIHのセッションが必要なのだと思う。

潜在意識に働きかけて、恐怖と向き合う事をしてみる。

私の恐怖はなんだろう?

何に対して怖がっているのだろうか?

失敗する事の恐れ?

出来ない事へのおそれ?

それをマチルダに相談すると、『完璧主義だからよ』と。

ふと1つ事を思いだした。

英検3級の試験。

良く分からないかった。でもなぜかマークテストの一次試験は合格した。

当時、中学2年の春に英検3級が受かるって言うのは珍しかった。

誇らしかった。

でも、実際はまぐれだったってことを知っていた。

そして、2次試験。

結果は不合格だった。

でも一緒の塾に通っていた子は皆合格して私だけが落ちた。

夕飯の時に台所に立っている母親に英検に落ちたので次回もう一度受けるお金が必要だと言う事を伝えた。

『情けない』

そう母が言った様に記憶している。

怒った様な、私にがっかりした様な、そんな印象を受けた。

全身が硬直し、カオが引きつったのを覚えている。

2回目に2次試験に合格した時には、よくやった!とは思わなかった。

よくやった、、、なんて、負け犬の遠吠えのような気がして、合格しても喜びは無かった。

そこから色んな事に勝ち進んできたけど、

よくやった!というより、ホッとしたッて言う方が多かった。

キネシオロジーを始めてから、物事をする時には喜びやワクワクを元に!って

変化をしてきたけど、

こうやって、オファーを貰った時、私が母にした様に誰かの期待に応えれなくて、

またあの全身が硬直してしまう経験を二度と味わいたくなくて

逃げ腰になってしまっているのだと気付いた。

あの時に何を感じたのかは分からない。

母親が実際に怒っていたのか、落胆していたのかも分からない。

でも、私の中であの時の苦くてひやっとして、怖かった記憶は身体に鮮明に残っていた。

その時のプログラミングが残っているんだな〜と感じると、

ま、やってみるかって言う気になって来た。

疑いやすいときがある。

疑う事ってとてもココロが疲れる。

起こりもしない事にずっと警察の様に見張っているわけだから。

『いつか裏切られるかも。』

『この人の事を信用したら痛い目にあうかも』

『馬鹿にされたくない』

『いつ利用されるのかしら?』

『後から嫌な想いになりたくないから今のうちに警戒しておこう』

そんなココロの状態。

さて、どんな結果が出るか分からないけど、やってみるか。

だって、これが本当は私がずっとしたかった事だから。

そう言う風な気持ちになれたのだから

やっぱりIHって凄いと思う。

モノクロから虹色へ

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