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ジーザスはお兄ちゃん


9日間の通訳が終わりました。

3日間お休みをもらい、また今度はマスタークラスで通訳に戻ります。

昨日のクラスで、マチルダが

『誰か一人の人生を

 自分がたった5分間クレイジーになる事で変える事が出来るのだったら、

 私は何にでもなるわ。

 クレイジーと呼ばれようと、ワッキー(奇抜)だと呼ばれようとね』

自分の事をワッキーとかクレイジーって呼んでいるけど

結局は人生を単純に楽しんでいるだけで、

それがある人によっては奇抜に見えるのかもしれない。

ただ、逆のクレイジー側からの見方をしてみれば

なんでこんなに『普通』って言う感じでつまらない人生を送っているのかしら?って

思っているみたい。

最近キングコングの西野さんが

『ディズニーを越える』ッて言うのを見て

エンパワメントが出来ている〜!って見ていた。

そう、ディズニーにディズニーランドが作れるなら

他の誰だって出来るはず。

マチルダはクリスチャンなので、

『ジーザスの事どう思う?』って聞いたら、

『うーん、お兄ちゃんて感じ?』だって。

神様に対しては、畏敬の念があるんだけど

ジーザスはお兄ちゃん。

ジーザスがして来た事を一緒に違う時代にしているだけ、、、と。

確かに。

ジーザスも人にエンパワメントをしていたのだから

ジーザスに出来たのなら、他の誰だってジーザスみたいに人に力を与えられるはず。

もしかしたら、ある人にとっては、このセンテンスは語弊があるように

聞こえるかもしれないけど、

私には素晴らしいエンパワメントに聞こえた。

この世の中で誰かが何かになれたなら、

他の人だって出来る。

それを阻んでいるのは何か?

『失敗する恐怖』とか『馬鹿にされる恐怖』とか。

本当にそんなことで自分がしたいことをやめちゃっていいのかって。

私も密かながら、この人が出来たなら私も出来るって思っている人物がいる。

絵でも、ダンスでも、教師でも、医者でも、弁護士でも、幼稚園の先生でも、

母親でも、占い師でも、フラワーアーティストでも、競艇選手でも、販売員でも、

ヨガのインストラクターでも、

どんな職種であっても

誰かの人生のためになるのであれば、

誰かに馬鹿にされたって、ワッキーであったって

えへんと胸を張れるのではないだろうか。

今回の素敵な生徒さんのうちの一人。

私の中でとてもツボにハマっている人がいる。

講習会に来たての頃は、手や足に汗をかいちゃうと言って小動物のような感じだった。

でも、沢山のヒーリングをしていく中でドンドンと芯が出来て行って、

彼女らしさが見えて来て、話す度に、なんて興味深くて、面白い女性なんだろうって。

もしかしたら、天然て一般的には言うのかもしれない。

ただし、彼女の面白さはそんな言葉ではハマらない気がする。

そんな上から目線の感じではない。

もっと、人が持っていない才能が優しさと一緒に包まれている感じだ。

ある日、彼女がシェアしてくれた。

マチルダが”ワッキーって素晴らしいわ!”って言ってて

『私の名前にワッキーって入っているから、なんかやだなーって思っていたんですけど、

 そっかー!私であっていいんだって思ったんです。

 私、昔から人と違う事をしちゃうし、みんなに合わせなくっちゃって。。。。』

と言うのを聞いた時、感動して少し喉の奥が痛くなってしまった。

彼女がドンドンと自分らしさを取戻していく姿がとにかく美しい。

可愛らしくて、人と違っていて、そして、ユーモアがある上に

講習会一日目と比べてしっかりとした芯が出来て来た。

そんな彼女の変化をみていて

マチルダからIHはただの”癒し”ではないのだと感じる。

”癒されたその先に自分の魂が決めて来た事に従事する”

そこにつながるのがこのIHなのだと。

誰かの魂にタッチするのであれば、変人である方が何倍も楽しい。

悩むのであれば、どんな変人になろうかってこと。

モノクロから虹色へ

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