長期の夏休みで気づいた 子育ての悩みがどうでもよくなる心の余裕
- 11 分前
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日本に2ヶ月滞在してきた。
そのうちの1ヶ月は、家族とただひたすら旅行をして、遊んで、食べて、移動して、
また遊ぶという時間だった。
こんなに長く家を離れたのは、人生で初めてかもしれない。
よく「ヨーロッパの人は夏休みを数週間、時には1ヶ月以上取る」と聞いて、
そんなことが自分の人生に起きるとは思っていなかった。
けれど本当にやってみたら、体より先に、心のほうが変わった。
一番大きかったのは、今まであんなに悩んでいたことが、急にどうでもよくなる感覚だった。
特に子育てのこと。
子どもにちゃんと向き合えているのか。怒りすぎていないか。
もっと栄養のあるごはんを作るべきではないか。
習い事をさせたほうがいいのか。
動画を見せすぎていないか。
普段なら頭の中でぐるぐる回る小さな問いが、旅の途中では驚くほど静かになった。

満たされていると、悩みの音量が下がる
旅先では、毎日が特別だった。
朝起きて、今日はどこへ行こうかと話す。
お店でおにぎりやパンを買う。
電車に乗る。
汗をかきながら歩く。
子どもがソフトクリームを食べる。
大人もつられて食べる。
夕方には疲れて、みんなで温泉に入ったり、畳の上で寝転んだりする。
特別な観光名所に行った日もあったけれど、今思い出すのは、もっと小さな場面ばかり。
駅のホームで子どもが眠そうにしていたこと。
旅館の部屋でなぜか全員で大笑いしたこと。
川に入る予定ではなかったのに、結局びしょびしょになったこと。
そういう時間の中にいると、自分の中の欠乏感が薄れていく。
普段の私は、どこかでずっと「足りない」と思っていたんだなと気づいた。
時間が足りない。
休みが足りない。
家事をする体力が足りない。
子どもに向ける心の余裕が足りない。
足りない状態で子育てをしていると、すべてが採点対象になってたんだと思う。
朝に遅刻しそうなら減点。
ごはんが適当なら減点。
寝る前に絵本を読めなかったら減点。
子どもが不機嫌だと、自分の関わり方が悪かったのではないかと考える。
でも、旅の間は違ったんだなあ。
自分が満たされていると、子どもの機嫌に振り回されすぎない。
予定が崩れても、まあいいかと思える。
ごはんが外食続きでも、楽しければいいと思える。
心に余白があると、子育ての悩みは消えるというより、小さく見える。
それはとても大きな発見だった。
ちゃんとした親でいようとしすぎていた
旅行中だから、もちろん普段より甘くなる。
寝る時間は少し遅くなる。
食事も完璧ではない。
甘いものも、いつもより多い。
以前の私なら、どこかで罪悪感を持っていたと思う。
「こんなに自由でいいのかな」
「生活リズムが乱れるかもしれない」
「帰ってから大変になるかもしれない」
けれど、旅の中ではそれほど気にならなかった。
むしろ、楽しそうな子どもの顔を見て、これでいいのだと思えた。
もちろん、何でも好き放題にするという話ではない。
危ないことは止めるし、人に迷惑をかけたら注意する。
疲れすぎて荒れてきたら、予定を切り上げる。
でも、細かいことまで全部「ちゃんと」しようとしなくても、家族の時間はちゃんと成り立っていた。

子育てで苦しくなるとき、
もしかしたら、私は子どもを見ているようで、
実は「親としての自分」を見張っていたのかもしれない。
ちゃんとできているか。
間違っていないか。
でも、子どもにとって大事なのは、親が常に正解を選ぶことではないのだと思う。
親が楽しそうであること。
安心してそばにいること。
失敗しても、そのあと戻ってこられること。
旅先で笑っている子どもを見ながら、私はふと、今まで何をそんなに怖がっていたのだろうと思った。
家から離れると、日常のルールも一度ゆるむ
家にいると、自分の中のルールが強くなる。
朝はこの時間までに起きる。
洗濯はこのタイミングで回す。
食器はためない。
子どもにはこの順番で支度をさせる。
夕飯までにこれを終わらせる。
そのルールは、生活を回すために必要なものでもある。だから悪いわけではない。
ただ、ずっと同じ場所で同じリズムを続けていると、そのルールが正しさに見えてくる。
そして、守れなかった日は自分を静かーに責める。
それは小さなササクレみたいなもので小さいけど痛くてまあまあのダメージがある笑
旅は、その正しさを一度壊してくれた。
洗濯は毎日できない。
ごはんはその場で決める。
子どもが疲れたら休む。
大人も疲れたら予定を変える。
最初は少し不安だった。
でも不思議なことに、何とかなる。
むしろ、何とかする力が家族の中にあることに気づく。
予定通りにいかなくても、誰かが笑えば救われる。
疲れたら座ればいい。
お腹が空いたら、近くのお店に入ればいい。
日常の中では見えにくかった柔らかさが、旅の中で戻ってきた。
そして私は、家でももう少しこの柔らかさを持っていたいと思った。
子育ての悩みは、休むことでしか見えない形がある
子育ての悩みは、子どもの問題だけでできているわけではない。
親である私自身の疲れ、睡眠不足、孤独感、家事の量、仕事のプレッシャー、将来への不安。
そういうものが混ざって、ある日「子育てがつらい」という形で現れる。
だから、子どもへの対応だけを変えようとしても、なかなか楽にならないことがある。
私の場合もそうだった。
もっと優しく言いたい。
子どもの気持ちを受け止めよう。
そう思っても、疲れている日はできない日もある。
で、できない自分にまた静かに心に影を落とす形で落ち込む。
でも長く休んでみて分かった。
私に足りなかったのは
ちゃんと休んで、楽しんで、自分が満たされる時間だった。

長期の夏休みで気づいた 子育ての悩みがどうでもよくなる心の余裕は、
何かを諦めたから生まれたものではない。
むしろ逆。
自分の人生を楽しむ時間を取り戻したら、子どもにも前より自然に向き合えるようになった。
親である前に、当たり前なんだけど、自分もひとりの人間なのだと体で思い出した。
子どものために我慢することもある。
予定を変えることもある。
自分のペースを差し出すこともある。
でも、自分を空っぽにしたままでは、優しさは続かない。
帰ってからも、旅の感覚を少しだけ残したい
長い休みは、誰でも簡単に取れるものではない。
学校や仕事、家計、家族の事情もある。
私自身も、今回のような時間がいつでも持てるとは思っていない。
それでも、旅で得た感覚は日常に少し持ち帰れる気がしている。
たとえば、予定を詰めすぎない日を作る。
夕飯を簡単にする日を堂々と作る。
子どもと出かける目的を、学びや経験だけにしない。
ただ遊ぶ。
ただ歩く。
ただ一緒に甘いものを食べる。
そういう時間は、立派なイベントではない。でも心の余白を作る。
私がこれから大事にしたいのは、次のような小さなことだ。
子どものための外出だけでなく、自分も楽しい場所を選ぶ
疲れている日は、家事の基準を下げる
ちゃんとできたかより、今日笑った場面を思い出す
家族全員が休むことを、後回しにしない
こうして書くと当たり前のことばかりだ。
けれど、日常の中ではその当たり前を忘れてしまう。
帰ってくれば、また現実はある。
洗濯物もたまるし、予定もあるし、イライラする日もある。
それでも、一度「どうでもよくなる」感覚を知ったことは大きい。
あんなに深刻に見えていた悩みも、自分が満たされると見え方が変わる。
子どもを変える前に、環境を変えるだけで楽になることがある。
答えを探す前に、休むほうが先のこともある。

いい親になるより、元気な自分でいたい
旅をする前の私は、もっといい親を無意識に意識してたのかもしれない。
もっと穏やかで、もっと計画的で、もっと子どもの成長に良いことを選べる親。
間違えず、焦らず、いつも余裕のある親。
でも今は少し違う。
いい親を目指す前に、元気な自分でいたい。
よく寝て、おいしいものを食べて、面白いものを見て、家族と笑える自分で。
そのほうが、結果的に子どもにも優しくできる。
子育ては、一生懸命になるほど視野が狭くなることがある。
だからこそ、時々大きく離れてみる時間が必要なのだと痛感。
家からでも、いつもの役割からでも、頭の中の「こうあるべき」からでも。
長い夏休みは、私にとってただの旅行ではなかった。
自分の心が満たされると、世界の見え方が変わる。
子どもへのまなざしも変わる。
悩みはまだあるけど、前ほど怖くなくなる。
次にまた日常に飲み込まれそうになったら、私はきっと思い出そうと思う。
あの1ヶ月、家族で遊び続けた時間を。
そして、ちゃんとしすぎなくても大丈夫だった自分たちのことを。
モノクロから虹色へ







































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