何をしても変わらない時こそ、信じて待つべき理由
- 14 時間前
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人が目の前で苦しんでいると、すぐに何かを言いたくなる。
「こうしたらいいんじゃない」
「もう少し考え方を変えてみたら」
「それはやめたほうがいいよ」
「早く動かないと、もっとしんどくなるよ」
言っている側に悪気はない。むしろ心配している。力になりたい。状況を少しでも良くしてあげたい。
けれど、人生には本当に、何をしても変わらないように見える時期がある。
本人も十分わかっている。
動いていないわけではない。
考えていないわけでもない。
むしろ、誰にも見えない場所で何度も試して、何度も折れている。
私は長い間、アドバイスを押し付けられる側にいた。前に進みたいのに進めない。
学んでも、試しても、時間とお金ばかりが過ぎていく。
自分でも嫌になるほど、同じ場所をぐるぐる回っていた。
それなのに今度は、私が誰かにアドバイスをしたくなる側になった瞬間がやってきた。
「もっと睡眠取らなきゃダメだよ!」と。
友人の表情が一気に消えた。怒っている無の表情だった。
「怒っているねえ。どうした?」
そう質問すると、
「わかっているけどできない。だからこの状況になっているのに、その上でもっと睡眠とったほうがいいって言われたって」
そう話してくれた時、口の中にいっぱいの苦味が広がった。
一番したくないことを私は自分の無力さから相手にしてしまった、と。
私が友達として本当したいのは、正しいことを言うことではない。
相手が変わるタイミングを、こちらの焦りで奪わないことなのだと思う。
助けたい気持ちは、時に相手を追い詰める
苦しんでいる人を見ていると、周りは不安になる。
このままで大丈夫なのか。
もっと良い方法があるのではないか。
自分が何か言えば、少しは変わるのではないか。
その不安は自然なものだ。大切な友達なら、なおさら放っておけない。
けれど、アドバイスは受け取る側にとって、思っている以上に重い。
とくに本人がすでに疲れ切っている時は、どんなに善意の言葉でも「まだ足りない」「まだ間違っている」「もっと頑張れ」と聞こえてしまうことがある。
たとえば、仕事がうまくいかない人に「転職したら」と言う。
人間関係で悩んでいる人に「距離を置けば」と言う。
お金に困っている人に「計画を立てれば」と言う。
どれも間違いではない。
けれど、それができないから苦しんでいる時もある。
正しい提案ほど、できない自分を責める材料になる。
優しい助言ほど、受け取れない自分を情けなくさせる。
私自身もそうだった。
コーチングを受けた。
心理学も学んだ。
本も読んだ。 ノートも書いた。
行動もした。
ワークショップだって驚くほどの数を受けてた。
どこかでいい先生がいるというのなら、飛行機で飛んでその人たちに会いに行った。
人から見れば「そこまでやっているなら変わるはず」と思われるようなことを、いくつも試した。
それでも、好転しない時期は全く好転しなかった。
頭ではわかっている。
理屈も理解している。
けれど、体が動かない。
心がついてこない。
選択肢が見えてるようで、何も変われない。
そういう時に必要なのは、新しい正論ではなかった。
必要だった一つは、今の自分を急かさずに見てくれる人だった。
人には変わるタイミングがある
人は、言われた瞬間に変われるわけではない。
変化には、その人の中で準備が整う時間がいる。
頭で理解する時間。
感情が追いつく時間。
失敗を認める時間。
過去の自分を手放す時間。
小さな違和感が積み重なって、ある日ようやく「もう変わろう」と思える瞬間が来る。
その瞬間は、外からは読めない。
周りから見ると、同じことを繰り返しているだけに見える。
何度も失敗して、何度も落ち込んで、また同じ場所に戻っているように見える。
けれど本人の中では、少しずつ変わっていることがある。
前は気づかなかった痛みに気づく。
前は言えなかった本音を、心の中で認める。
前は他人のせいにしていたことを、少しだけ自分の課題として見る。
前は何もできなかった日に、今日はご飯を食べられたと思える。
外から見る変化は小さすぎるかもしれない。
それでも、その人にとっては大きな一歩だ。
私は10年もの時間を、動けない自分と向き合うことに費やした。
正直に言えば、もっと早く抜け出したかった。
もっと早く結果を出したかった。
あの時間もお金も無駄だったのではないかと、何度も思った。
でも今振り返ると、その10年があったから今の私がいる。
すぐにうまくいかなかったから、人の痛みに少しだけ慎重になれた。
簡単に変われなかったから、簡単に「変わればいい」と言えなくなった。
時間がかかったから、時間がかかっている人を見ても、すぐに見捨てなくていいと思えるようになった。
つまずいた年月は、表面だけ見れば停滞に見える。
でも、その中で育つものもある。
(2007年ボロボロだった時の検査入院の私。この状態でも検査結果は異常なしと言われてた)

信じて待つことは、何もしないことではない
「信じて待つ」と聞くと、何もせずに放っておくことのように感じるかもしれない。
でも、そうではない。
信じて待つとは、相手の力を低く見積もらないことだ。
今は崩れて見えても、この人には立ち上がる力があると決めて接することだ。
信じることは、相手をひとりぼっちにすることではない。
そばにいる。気にかける。必要な時に手を伸ばす。
ただし、その人の人生を代わりに動かそうとはしない。
ここがとても難しい。
友達だからこそ、踏み込みたくなる。
助けたいからこそ、「こっちに来たほうがいい」と手を引っ張りたくなる。
でも、本人がまだ歩けない時に強く引っ張ると、助けではなく負担になる。
本人のペースを無視した善意は、相手から自分の感覚を奪ってしまう。
人は、自分で気づいた時にしか本当には変われない。誰かに言われたから形だけ変えることはできても、深いところで納得していなければ、また元に戻る。
だから友達にできることは、変化を急がせることではない。
その人が自分のタイミングで立ち上がるまで、この人は大丈夫だと信じて接することなのだと思う。
実は、この友人と話す数日前、
長女が「親友が欲しい」と私に告げてきた。
真っ暗な部屋の中で布団で手を握りながら
8歳になった長女はそう言ってきた。
そして今日、お弁当を届けたら、一人で休憩時間にベンチに座ってスナックを食べていた。
周りの子たちはみんな遊具で遊んでいる。
きっとつるむ友達が欲しいのだろう。
でも私は何も出来ないまま、ランチを渡して車で去った。
「娘は大丈夫。この経験が彼女の人生で生きてくるから、この経験を奪わない」
そう車の中で呟きながら帰路についた。
相手を信じるためには、自分の不安も見る必要がある
友達にしても子供にしても見守るのが苦しいのは、相手だけの問題ではない。
こちらの中にも不安がある。
傷ついてほしくない。
取り返しがつかなくなってほしくない。
自分が何もしなかったせいで、悪い方向に行ったらどうしよう。
力になれない自分は、友達として親として足りないのではないか。
その不安が強いと、アドバイスをしないことが怖くなる。
黙っていると、自分が冷たい人間になったように感じる。
でも、本当の優しさは、いつも言葉の量で決まるわけではない。
時には、言わないことのほうが深い優しさになる。
人は、責められている時よりも、受け止められている時のほうが自分を見つめやすい。
守られている感覚があるから、怖い本音にも近づける。
もちろん、見守ることにも限界はある。
命の危険がある時、暴力や深刻な依存が関わる時、本人や周囲の安全が脅かされている時は、
本人だけで抱え込む必要はない。
専門機関や信頼できる第三者につなぐことが必要な場面もある。
けれど、そうした緊急性がないなら、急いで結論を出さなくてもいい。
こちらの不安を相手にぶつける前に、一度立ち止まってみる。
今、私は相手のために言おうとしているのか。
それとも、自分の不安を早く消したくて言おうとしているのか。
この問いだけでも、言葉の温度は変わる。
(10年後の2017年の私)

ボロボロに見える時ほど、その人を小さく扱わない
何もかもうまくいっていない人を見ると、つい「この人は弱っている」とだけ見てしまう。
たしかに弱っている。
疲れている。
傷ついている。
自分でも自分を信じられなくなっているかもしれない。
でも、その人は「問題そのもの」ではない。
その人には、これまで生きてきた時間がある。
乗り越えてきたことがある。
誰にも見せていない強さがある。
今は表に出ていないだけで、まだ消えていない力がある。
大切なのは、相手をかわいそうな人にしないことだと思う。
心配するあまり、相手を無意識に下に見てしまうことになる。
「私が助けなきゃ」「私が導かなきゃ」と思いすぎると、相手の力を信じる余地がなくなる。
私が言葉を発した時、この感覚が広がって自分の中で違和感が半端なかった。
うまく話せなくても。
何度も同じことで悩んでいても。
お金や時間を失っていても。
周りから見れば遠回りばかりしていても。
今この瞬間だけで、その人の未来を決めつけなくていい。
私が10年を無駄だと思っていた時、
もし誰かに「もう遅い」「まだそんなことをしているの」と言われ続けていたら、
もっと自分を諦めていたかもしれない。
逆に、何も解決してくれなくても、ただ普通に接してくれる人がいるだけで救われたことがある。
変わらない自分を責めず、いつも通りに笑ってくれる人がいる。
それだけで、少しだけ人間に戻れる気がした。
だから
この人はきっと大丈夫。
今はまだ、その途中にいるだけ。
そう思ってそばにいることは、甘やかしではない。
相手の未来を先に信じる、静かな応援だ。
友達にできる一番大きなこと
友達を助けたいと思う気持ちは、尊い。
でも、その気持ちが強いほど、相手のタイミングを信じることも必要になる。
人には、変わる時がある。
まだ変われない時もある。
外からは何も進んでいないように見えても、内側で大切な準備が進んでいることがある。
だから、何をしても変わらない時こそ友達は信じて待つべき理由がある。
必要なのは、完璧な助言ではない。
相手を変える力を持った言葉でもない。
「今はそういう時期なんだね」と受け止めること。
「それでもあなたは大丈夫だと思っているよ」と態度で伝えること。
助けを求められた時に、できる手助けをすること。
そして、こちらの焦りで相手の歩幅を壊さないこと。
人生には、遠回りにしか見えない時間がある。
でも、その遠回りがなければ出会えない自分もいる。
一番大きなことは、相手の苦しみをすぐに取り除くことではなく、
その人が自分の力を取り戻す日まで、未来の姿を先に信じて待つことなのだと思う。
友人にも子供にも旦那にも家族にも、そして自分にも。
モノクロから虹色へ







































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