お金から乖離した自分
自分のことは、わかっているつもりでいる。
過去の傷も、苦手なことも、なぜ今の現実が起きているのかも、言葉にできる。
頭では筋が通っている。説明もできる。けれど、なぜか現実が変わらない。
Integrated Healing、いわゆるIHのセッションをしていると、この「自己理解」と「自己一致」のあいだにあるズレをよく見る。
自己理解は、とても大切だ。
自分に何が起きたのかを知ることは、回復の大きな一歩になる。
でも、自己理解だけでは届かない場所がある。
本人が「これが原因です」と思っていることと、体や無意識が「本当はここです」と示してくるものが違うことがある。そのズレに触れたとき、人はふっと静かになる。
言葉ではなく、内側の深いところが反応する。
今回は、経済的不安をテーマにセッションを受けに来てくれた方の話を書きたい。
個人が特定されないよう、細部は調整しています。
お金に縁がないという相談から始まった
その方は、東海岸からセッションを受けに来てくれた。
テーマは経済的不安だった。
「自分はお金に縁がないんです」
そう話してくれた。けれど、話を聞いていくと、彼はもともとイギリスのとても裕福な家庭の出身だった。世間的に見れば、決して「お金に縁がない」環境ではない。
では、なぜそう感じているのか。
彼は、自分なりにその理由をよく理解していた。
幼少期、お金持ちであることで周囲からいじめられた。
だから、自分は「裕福な人間」ではなく、「貧しい側」に入ろうとしてきたのだという。
それを聞いたとき、私は彼の自己理解の深さに感心した。
子どもの頃に、自分の家や背景を理由に攻撃される。
それは、子どもにとってどれほど恐ろしいことだっただろう。
仲間に入りたい。
安全でいたい。
目立ちたくない。
そう思うのは自然なことだ。
彼の説明には、とても筋が通っていた。
「お金を持っていると危ない」
「お金持ちだと思われると嫌われる」
「だから、お金から距離を置いたほうがいい」
そう理解するのは、無理もない。
けれど、セッションが進むと、体の反応は別の場所を示してきた。
頭では正しい理由でも、体は別の真実を知っている
IHのセッションでは、本人が語るストーリーを大切にしながら、体や無意識の反応も見ていく。
頭で理解していることが間違っている、という話ではない。
むしろ、その理解はとても正しいことが多い。
今回もそうだった。
彼が「お金持ちだったからいじめられた」と考えたことには、十分な理由があった。
実際に傷ついた経験があった。
そこに痛みがあることは確かだった。
けれど、無意識が強く反応した根本原因は、いじめそのものではなかった。
出てきたのは、彼が9歳のときの記憶だった。
裕福な家庭で育った彼は、ある日、湖でひとりボートを漕いでいた。
すると、地元の男の子たちが石を投げてきたという。
水の上にいる。逃げ場がない。
石が飛んでくる。
助けを呼べる距離でもない。
彼は、命の危険のようなものと、どうしようもない絶望感を感じたと話してくれた。
それだけでも胸が痛む話だった。
でも、体はそこにいちばん強く反応しなかった。
彼は続けた。
ようやく家に帰った。
怖かった。
傷ついていた。
助けてほしかった。な
のに、家族はその姿を見て笑ったという。
その瞬間、無意識の反応が強く出た。
ここだった。
彼が本当に傷ついたのは、外で石を投げられたことだけではなかった。
怖い思いをして帰ったとき、守ってくれるはずの家族に受け止めてもらえなかったことだった。
欲しかったのは、お金を捨てる理由ではなく、愛された感覚だった
私は彼に、こう質問した。
「もしそのとき、ご家族から本当に必要だった対応やケアを受け取れていたら、お金との関係はどうなっていたと思いますか?」
彼は目を丸くした。
そして少し天井を見上げてから、こう言った。
「興味深い質問だね。多分だけど、今もお金を好きだったかもしれない。
お金を蔑ろにしようなんて、考えなかったかもしれない」
その言葉が出た瞬間、場の空気が変わった。
彼はずっと、「お金持ちだったから傷ついた」と理解していた。
でも、無意識が握っていた痛みは、そこからもう一段深い場所にあった。
もし家族が、あのとき彼を抱きしめていたら。
「怖かったね」と言ってくれていたら。
「あなたは悪くない」と伝えてくれていたら。
彼は、お金そのものを敵にしなかったかもしれない。
つまり、お金は本当の加害者ではなかった。
お金は、その家族や過去の痛みと一緒に、丸ごと嫌われてしまった存在だった。
こういうことは、心の世界ではよく起きる。
本当は親への怒りなのに、豊かさを拒む。
本当は孤独の痛みなのに、成功を避ける。
本当は愛されなかった悲しみなのに、お金を遠ざける。
本人の頭は、「これはお金の問題だ」と理解している。
でも体は、「本当は愛の問題だ」と知っている。
「お金を愛する」がゴールになった瞬間
私は彼に、今の家族との関係を尋ねた。
彼は「無縁になっている。関わりたくない」と答えた。
50代の男性だった。その声には長い時間をかけて固まった距離があった。
そこで、もう一つ質問した。
「そのご家族に対して、いちばんしたくないことは何ですか?」
彼はいくつか挙げた。
抱きしめること。
関わること。
話をすること。
そして最後に、こう言った。
「愛すること」
私は、それを聞いてこう伝えた。
「では、ゴールはお金を愛することですね」
彼は驚いた顔をした。
そして、その言葉がどれだけ自分には言えなかったことか、と言った。
お金を愛する。
この言葉は、人によっては少し抵抗があるかもしれない。
お金に執着することや、お金だけを追いかけることと混同されやすいからだ。
でも、ここで言う「お金を愛する」は、欲望に振り回されることではない。
自分の人生に入ってくるものを、敵にしないこと。
豊かさを、罰のように扱わないこと。
過去の痛みと、お金を切り離すこと。
私は彼に伝えた。
「ご家族との関係をどうするかは、あなたが決めることです。でも、お金を一緒に嫌い続ける必要はないのではないでしょうか。お金は、ある意味では巻き込まれた存在だったのかもしれません」
彼は涙を流した。
そして、「本当にそうだな」と言った。

自己一致は、表情や声まで変えることがある
セッションが終わった後、彼の表情は驚くほど変わっていた。
私自身も、少し驚いたほどだった。
顔つきがやわらかくなっていた。
目の奥が落ち着いていた。
そして、声が1トーン低くなっていた。
最初は少し甲高く、どこか浮いているような話し方だった。
セッション後は、声が体の下のほうから出ているように感じた。
グラウンディングしている、という表現が近い。
もちろん、1回のセッションで人生のすべてが変わると言いたいわけではない。
経済的不安には、現実的な収入、支出、仕事、生活環境など、さまざまな要素が関わる。
この話は金融アドバイスではなく、心の内側で起きる反応についての記録だ。
それでも、自己一致が起きた瞬間に、人の内側から力が戻ることはある。
それは、ポジティブな言葉を上書きする感じではない。
無理に「私は豊かです」と唱える感じでもない。
もっと静かで、もっと深い。
「ああ、本当はここだったんだ」と体が知る。
そのとき、長く握りしめていた誤解がゆるむ。
自己理解があるからこそ、自己一致へ進める
ここで伝えたいことは、自己理解を否定しないことだ。
自己理解は、必要だ。
自分の過去を言葉にすること。
なぜそう感じるのかを考えること。
人生のパターンに気づくこと。
それらはすべて、深い癒やしの土台になる。
今回の彼も、自己理解が進んでいたからこそ、自己一致までが速かったのだと思う。
もし彼が、自分のお金への抵抗にまったく気づいていなかったら。
幼少期のいじめと経済的不安の関係を何も見ていなかったら。
セッションは、もっと手前から始める必要があったかもしれない。
彼はすでに、自分を見つめていた。
だからこそ、体が示した「もう一段奥」に入ることができた。
自己理解と自己一致は、対立するものではない。
自己理解は、地図のようなもの。
自己一致は、実際にその場所に立つこと。
地図を持っていても、目的地に着いたことにはならない。
けれど、地図があるからこそ、到着しやすくなる。
自己一致は、真実に戻る静かな感覚
自己一致とは、何か大きな悟りのようなものではないと思っている。
むしろ、とても静かな感覚だ。
自分の内側でバラバラになっていたものが、少しずつ同じ方向を向く。
頭で理解していたことと、体が知っていたことがつながる。
すると、頑張って前に進もうとしなくても、自然に呼吸が深くなる。
今回のセッションで彼が見つけたのは、「お金を嫌っていた理由」ではなかった。
もっと正確に言えば、お金を嫌うことで守ろうとしていた痛みだった。
家族を愛したくない。
家族に関わりたくない。
その気持ちは、彼にとって切実だった。
でも、お金まで一緒に遠ざけなくてもよかった。
お金を愛することは、過去を肯定することではない。
家族との関係を無理に修復することでもない。
傷ついた自分を裏切ることでもない。
それは、過去の痛みに巻き込まれたものを、ひとつずつ自由にしていくことだ。
自己理解だけでは変われないことがある。
でも、自己理解は無駄ではない。
その理解の先で、体が「本当はここだよ」と示す場所に触れたとき、自己一致が起きる。
そしてその瞬間、人は思っていたよりもずっと静かに、深く変わることがある。
自分を内省すること、コーチング、瞑想、心理セミナーなどが広まった今、
自己理解は、昔よりも馴染みやすいものになってきた。
AIを使えば、自己分析はすぐにしてくれる。
その先にある、自己一致。
それは私はインテリジェンスの中にあるのではなく、自分の中にあるのだと思う。
つまり頭の中ではなく、体の中に。
マインドとボディが一致した時、私たちは初めて「自分らしさ」と共に生きられるのだろうなと彼を見てて改めて思ったセッション。
彼が置いていった小切手に、私が驚く数字が書かれていてびっくりした。
でもきっと、彼は自分がそういう立ち位置で生きていくって感じたんだろうとありがたく受け取らせていただきました。
自分が一致する。
これがインテグレイティッドヒーリングが提唱している在り方。
私自身、自分が想像している自分と大きく乖離して、それを埋めようと必死で生きていた時は
本当にしんどかったから。
モノクロから虹色へ







































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