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人の感情に振り回され

10 分前
読了時間: 8分

人の感情ほど、当てにならないものはない。


そう言い切ると冷たく聞こえるかもしれない。


けれど、これは人を信じないという話ではない。


むしろ反対で、人の感情を必要以上に背負わないための、やさしい線引きの話だ。


若い頃の私は、周りの反応にすぐ火がつく人間だった。

自分が言ったひと言で、誰かを傷つけたのではないか。

あのときの表情はどういう意味だったのか。

あの人にあんな言い方をされたけれど、私にどうしろというのか。

なぜ私にだけ、あんな口調だったのか。


考え出すと止まらない。


相手の表情や声のトーンが、まるで自分の手持ち花火に着火するみたいに、ボーボーと燃え広がる。

そして最後は、ひとりで燃え尽きて疲れて終わる。


「周りの反応に振り回されたくない」

「人の目を気にする自分をやめたい」


そう思っても、スイッチのようにシャットダウンできるものではない。

人間は社会の中で生きている。

相手の顔色が気になるのは、ある意味では自然なことだ。

ホルモンの揺らぎや体調、過去の経験も、感じ方に影響する。


それでも今は思う。


人の感情は、想像以上にその人自身の事情で動いている。


こちらが思いもしない理由で怒り、こちらが思いもしない受け取り方をする。


そこに毎回巻き込まれていたら、心がいくつあっても足りない。



人の感情はその人の人生から出てくる


誰かが不機嫌だったとき、私たちはつい「私が何かしたのかな」と考える。


もちろん、本当にこちらの言動が関係している場合もある。

謝るべきときは謝ればいい。


けれど実際には、相手の反応にはその人の体調、睡眠不足、家族との問題、仕事の焦り、過去の傷、思い込みが混ざっている。


たまたまその瞬間、こちらが目の前にいただけということも多い。


たとえば、同じ言葉を言っても、ある人は笑い、ある人は傷つく。

昨日なら流せた言葉が、今日は刺さることもある。

受け取り方は、言葉そのものだけで決まらない。


だから、人の反応をすべて「私への評価」として受け取ると苦しくなる。


相手の眉間のしわ。

短い返事。

冷たく聞こえる声。

既読がついたまま返らないメッセージ。


それらを全部、自分の価値と結びつける必要はない。

相手の感情は、相手の内側で起きている出来事でもある。


ここを分けて考えられるようになると、心の火事は少しずつ小さくなる。


Don't Take It Personalという救い


20代の頃、『四つの約束』という本をいただいたことがある。

ドン・ミゲル・ルイスの本で、英語では The Four Agreements として知られている。

その中に、`Don't take anything personally` という教えがある。

日本語にすると、「何事も個人的に受け取らない」という意味に近い。


この言葉に触れたとき、胸の奥が少し軽くなった。

私が長い間していたことは、まさに何でも個人的に受け取りすぎることだったからだ。


あの人が機嫌悪そうだった。

きっと私のせいだ。


あの人がそっけなかった。

私は嫌われたのかもしれない。


あの人が強い言い方をした。

私が軽く見られているのかもしれない。


でも、相手の言葉や態度は、必ずしも私そのものを表しているわけではない。

相手の世界観、恐れ、焦り、習慣、未消化の怒りが、たまたまその形で出てきただけかもしれない。


Don't Take it Persoal は、無神経になる教えではない。


私は相手が何を感じてもいいという権利をちゃんと渡すものだと思う。




振り回されないことは感じないことではない


ここで勘違いしたくないのは、振り回されない生き方は、何も感じない人になることではないということだ。


傷つくことはある。

腹が立つこともある。

悲しくなる日もある。

相手の反応が気になって眠れない夜もある。


それでいい。心が動いたことまで否定しなくていい。


ただ、その感情をそのまま真実にしない。ここが大事だ。


「嫌われたに違いない」

「私が悪いに決まっている」

「私は大切にされていない」


そう決めつける前に、一度だけ立ち止まる。


今、私が見ているのは事実なのか。

それとも、私の不安が作った物語なのか。


事実は「相手の返事が短かった」だけかもしれない。

そこに「私は嫌われた」という意味をつけたのは、自分の心かもしれない。


感情は大切なサインだ。

でも、感情はいつも正確な地図ではない。

疲れているとき、不安なとき、過去の傷が刺激されたとき、地図は簡単にゆがむ。


だからこそ、感情を感じながらも、少し距離を置く練習が必要になる。


心の火花が散ったときにできること


誰かの言葉や態度に反応して、心の中で火花が散ったとき。

いきなり冷静になるのは難しい。

だから、まずは小さな動作から始める。


すぐに意味づけしない


相手の表情や言葉に、すぐ意味をつけない。


「怒っている」

「嫌っている」

「見下している」


そう決める前に、心の中でこう言う。


まだわからない。


このひと言だけで、反応の速度が少し落ちる。

感情に飲み込まれる前に、ほんの少しの隙間ができる。


自分に関係ある部分だけを見る


相手が強い口調で何かを言ってきたとき、全部を受け取らなくていい。

言い方の刺々しさと、内容を分けて見る。


内容に学ぶべき点があるなら受け取る。

言い方の荒さは、相手の課題として置いておく。


これだけでも、かなり楽になる。

全部を丸ごと胸に入れるから苦しくなる。

必要な部分だけ手に取り、いらない部分は床に置いていい。


返事を急がない


心が燃えているときに返事をすると、たいてい火に油を注ぐ。

怒りで返してしまうか、必要以上に謝ってしまうか、どちらかになりやすい。


その場で答えなくていいなら、少し時間を置く。


「少し考えてから返事します」

「今はうまく言葉にできないので、あとで話したいです」


そう言えるだけで、自分の心を守れる。


アイレベルで見た小さな手持ち花火の火花

相手の感情まで引き受けなくていい


やさしい人ほど、相手の感情を自分の責任にしやすい。


相手が不機嫌なら、自分が何とかしなければと思う。

相手が傷ついたように見えたら、自分が悪かったのではないかと考える。

相手が怒っていたら、どうにか機嫌を直させなければと焦る。


けれど、相手の感情は相手のものだ。


もちろん、人を傷つけていいわけではない。

葉を選ぶこと、必要なら謝ること、誠実に向き合うことは大切だ。

でも、それをした後まで、相手がどう感じるかを完全に管理することはできない。


人は、自分の経験を通して世界を見る。

同じ出来事でも、受け取り方は人によって違う。

こちらがどれだけ丁寧に言っても、相手の中にある痛みに触れてしまうことはある。


そのたびに自分を責めていたら、言葉を発することさえ怖くなる。


人間関係には、こちらの責任と相手の責任がある。

境界線を引くとは、冷たく突き放すことではない。

お互いを別々の人間として尊重することだ。


自分の感情もまた当てにならない


人の感情が当てにならないなら、自分の感情も同じだ。


これに気づくと、少し笑えてくる。

あれほど「私は正しい」と思っていた怒りも、寝不足だったから強く出ただけかもしれない。

あれほど深く落ち込んだ出来事も、数日後には見え方が変わっているかもしれない。


自分の感情を疑うというより、自分の感情を絶対視しない。


「今、私はこう感じている」

「でも、それがすべてではない」


この距離感があると、自分にも他人にも少し寛容になれる。


若い頃の私は、感情が湧いたら、それが真実だと思っていた。


傷ついたら、相手が悪い。

怖くなったら、危険がある。

嫌われた気がしたら、嫌われている。


今は少し違う。


感情は天気に似ていると思う。

雨の日もある。

風が強い日もある。

急に晴れる日もある。

空模様を変えようと必死になるより、傘を持つほうが現実的だ。


振り回されない人は冷たい人ではない


人の感情に振り回されない生き方は、冷たい人になることではない。

むしろ、必要以上に反応しないからこそ、落ち着いて相手を見られるようになる。


相手が怒っていても、すぐに自分を責めない。

相手が悲しんでいても、全部を背負わない。

相手が不機嫌でも、自分の一日を丸ごと差し出さない。


そのうえで、必要な言葉をかける。

必要なら謝る。

距離を取るべき相手からは離れる。


振り回されないとは、心を閉じることではなく、心のハンドルを自分の手に戻すことだ。


俯瞰で見たノートに短い言葉を書く手
自分の心に戻るための言葉を書き留めておく。

最後に残るのは自分の静けさ


誰かの感情に触れるたびに燃え上がっていた頃、私はずっと外側を見ていた。


相手の顔、声、返事、態度。


その全部を読み取ろうとして、疲れ果てていた。


でも、すべてを読むことはできない。

相手の心の中を正確に知ることもできない。


できるのは、自分の言葉に責任を持つこと。

自分の態度を整えること。

必要なときに謝ること。

そして、相手の感情を相手の場所へ返すこと。


人の感情は揺れる。

自分の感情も揺れる。だ

からこそ、揺れそのものに人生の舵を渡さない。


「個人的に受け取らない」


この言葉は、誰かを遠ざけるための壁ではない。

不要な炎から自分を守るための、静かな知恵だ。

周りの反応に火がつきそうになったら、まずは一歩引く。

まだわからない、と心の中でつぶやく。


それだけで、自分の静けさへ戻る道が少し見えてくるし 逆にそれができないと話し合いにならない。


自分の感情を相手のせいにして相手に自分の感情を良くしてもらおうと叱責する。

もしそういう人がいたら、要注意だ。

私はもう距離を置くことにしている。


でも、感情的になっても、

「あの時あんな反応をしたんだけど、

 自分を振り返ってみて、●●ということに気づいたんだ」


と話し合えるのでれば、相手を理解できる。


そういう会話ができることが大人な会話な気がする。


必要に責められてもどこにも進まないから。


まあ、言うは易しですけどね笑笑


でもその世界の方が私たちは自分を表現しやすく平和な気がします。


モノクロから虹色へ




 
 
 

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