裸になるという事


(*写真のクリスタルボトルはこちらから)

この週末、旦那さんが裸のワークショップへ行きました。

北カリフォルニアにあるキャンプ地へ一人で旅立っていきました。

私はというと、ロサンゼルスで朝からお仕事です。

今日から三連休ですが仕事をしている私にスタジオのクライアントさんが

『この三連休は旦那さんとどこかに出かけないの?』と聞かれたので

『彼は裸のワークショップに行っているの。

 だから、私はこっちで仕事をして友達と遊ぶわ』

そんな風に伝えると目をまん丸くした彼女が

『それって、あなた的に大丈夫なの?』と。

確かに裸のワークショップですから、彼も裸、参加している女性もみんな裸です。

これを聞くとたいていの人が誤解をすると思います。

それは私たちが、intimacy とsexualityの境界線を知らないからじゃないかと。

かつての私は裸になったらすぐにカラダの関係が始まると思っていました。

裸になったら、そう言う事でしょと暗黙の了解があり、

どうなっても抵抗出来ないと思っていました。

でも、今は別の認識が出来ました。

裸になったから、Hが始まる以外の素晴らしい事があるかも知れない可能性を。

『裸になる必要がないんじゃないの?

 裸にならなくても、親密な付き合いは感じるんじゃないの?』

そう食い入るクライアントさん。

確かに。

ただ、友達と一緒に温泉に入った方が、どこかもっと近くなった気がするのも

真実で、と言うと

『それは女同士だからよ』

確かに。

ただ、この国には沢山の男性と女性が”自分自身”のカラダを憎んで来た人が沢山います。

レイプの犯罪率も、幼児虐待も、性的な虐待も、

そして、学校時代に自分のカラダをバカにされた人も、

太っている事で自分を愛せない人も

一生ダイエットに命をかけている人も。

自分のカラダに対して嫌悪感を感じている人が沢山いる。

自分のカラダを傷つける人も沢山いる。カラダ中に傷が一杯ある人も見て来た。

裸のワークショップは、そんな自分の羞恥心を隠さずに全て人にさらけ出し、

それでもあなたは愛される価値があるのだと言う事を感じるプログラムになっています。

だから、裸になったらHが始まると言う平和な感じとは、少し違う気がするんです。

ある時、一人の男性に会う機会がありました。

ユダヤ教を深く信仰している男性に特有の長いひげをしていて。

彼は、『病気になったせいで家族を全部失った』そう言って頭を抱えていたんです。

自暴自棄になっている様にも見えました。

病気で医療費が払えなくなったのか、病気で頭がおかしくなってしまったのか。

私が考えうるのはそれ位でした。

ただ、彼の内容は私の想像を遥かに絶するもので。

彼は言いました。

『このヒゲが見えるだろう。これはね、イミテーションなんだ』

そう言って、彼のヒゲの下を見た時に、息が止まるかと。

『僕は、脳卒中になって病院に運ばれたんだ。

 ユダヤ人の妻がいてね、医者は彼女に衛生上の為にヒゲを剃りますといった。

 もちろん、妻はそれに同意をしたよ。

 僕たちは結婚して35年が経っていた。

 二人の娘にも恵まれたんだ。』

遠い目をする彼を横に、

私はまだ先ほどの彼のヒゲの下にある映像を信じられずに聞いていました。

『僕は絶対にヒゲを誰にも剃らせなかったんだ。

 でも、意識がなくなっている最中だ。 

 看護師が僕のヒゲを剃り手術の準備をしたんだ。』

 目が覚めたら僕が35年間はやしていたヒゲは無くなっていた。

 現実を受け止めれずに、鏡を見て、僕は絶叫をしたよ。

 その声を聞いて妻が病室に入って来ていったんだ。

 ”あなたは誰?”

 と。

 そこには、僕が見た事も無い知らない表情の女性が立っていたよ。

 だ