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ワークショップを終えて3

ワークショップを終えて一週間がたつのに、

私はずっと疲労感を覚えていた。

カラダだけでは無い。

心も疲弊していた。

それでも、心の内側の平穏さはそのままずっと残ったままだった。

ただ、とにかくカラダとココロがかったるいのだ。

けだるさの中、ずっと私は『フローズン2』が見たいと思っていた。

ワークショップに行く前ぐらいから、ずっと見たくて仕方がなかった。

あまり映画を見ることに私自身、実は興味がないのだが、とにかく頭からフローズン2が離れない。

かったるい、、、そう言いながら、

娘を預けて、私はキッチンもグチャグチャのまま、

フローズン2をDVDプレイヤーに入れて、ソファにゴロンと横たわった。

フローズン2の綺麗な映像が流れ始めた。

森に入って行く必要がある。

森が霧に覆われている。

その霧を晴らす必要がある。

アアーアアー♪

という声がエルサの頭にこだまし、何かに呼ばれているのを感じる。

その映像を見て、

私は、ガバッと起き上がり、(信じられない。。。。。)とDVDを一旦止めた。

今回の私が受けてきたワークショップは、

まさしく、このエルサの旅と同じだったから。

ワークショップは、私たちの意識を森に運んで行くところから始まる。

ワークショップの始まりはこんな感じだった。

私たち女性は全員、心の中に神聖な森がある。

この森は神聖である。

ただ、成長していく段階で、その森が侵されることがある。

そして、誰か人間の恐怖で

その女性が持つ森が神聖さを発揮するどころか、

神聖さを外に発揮させないようにしてしまった。

その恐怖で傷ついた場所に戻って、解除する必要がある。

この森の傷を無視して生きていると、自分が自分と繋がれなくなるのだ。

外と遮断をし始める。

誰も、その心に入ることができなくなる。

だから、自分のパワーを取り戻し、自分という人間に戻るために

この森を再び訪れる必要がある。

ここの傷の解除に、自分の女性性を発揮する鍵がある。

そう始まったワークショップ。

このワークショップは、私の理解だが

下降

カーペットワーク

上昇

という3つの段階を踏む。

私たちは、自分を見つけるために、心の奥に深く沈んで行く(下降)

そして、一番下まで到達した時、

そこに私たちが見ることを避けてきたものがある。

そこでそれに直視し、そこから未来の自分を選択して行く。(カーペットワーク)

そして、未来の自分になるために、私たちはワークをし、変容を遂げる。(上昇)

その3段階が含まれる。

このカーペットワークがまた辛い。

カーペットにうっぷして泣くことから、カーペットワークと呼ばれるようだった。

ワークショップ中、

その下降の段階、そして、カーペットワークに行くまでに

私の心の中では、たくさんの声が聞こえてきた。

どんどんと自分の神聖なる森に入って行く。

もうそのスピードは止まらない。怖いけど、どんどんと進むしかない感覚だった。

フローズン2のエルサも、どんどんとその森に入って行くスピードが止まらない。

私は、ワークショップ中、

たくさんの内側の声が聞こえる中で、いろんなことを思い出して行った。

そして、カーペットワークの順番が来た時に、

足がガタガタと震えた。

終わったことだと処理してきた、

見ないようにして来た、なんとか生き延びて来た自分の過去にもう一度直面し、

同じことを体験することは

私にとっては、同じことを経験したら、

今度は再び生き延びれるのだろうか?という気持ちだった。

もう2度とあんな思いはしたくないと思って、命からがら逃げて来たのに。。。。

もう2度とあんな思いはしないように、生きていたのに。

それでも、私の力を、私がまっすぐに生きることを歪めたのは、

幼少期のあの出来事が発端だったことは、確かだった。

私はその状況を回避するために、生きて来た感じすらする。

そんな生き方であれば、私の本来の力に繋がるなんて無理なことだ。

カーペットワークの順番が来た。

もちろん、あの出来事に直面するように流れはできていた。

誰かが意図したわけではなく、自然とその出来事が出てきたのだ。

もう済んだこと、もう今更言っても仕方がないこと、あの時はそれで良かったんだ

そんな風にして忘れたふりをしていたけど、引き出しにしっかりとしまってあるように。

そして、私は、自分でも聞いたことがないほど泣き叫んだ。

後から後から出てくる、

あの時

本当は、泣いて誰かに助けを呼びたかった。

本当は、一人ぼっちで怖かった。

本当は、歯を食いしばって耐えたくもなかった。

本当は、とっても嫌だった。

本当は、居心地が悪くて針のむしろの気持ちだった。

そんな記憶が噴き出して来て、身体中を覆った。

腹の底から、ドカドカと象が何先頭も走り口から出てくるかのような感覚だった。

そんなことは、私だけが起きていることだから、

今更、泣き喚いたって誰もわかってくれるわけがない。

自分で処理するしかない。

忘れるしかない。

でも、そんな風に扱われる存在でしかないのかもしれない、私って。

そんな風に、自分の生き延びる方法と、自分を蔑む見方を行ったり来たりしていた。

そんな私に、ファシリテーターが言った。

『会場にいる女性たちに聞きます。

 いず美と同じ状況を体験したことがある人は、彼女の後ろに移動してください』

うつむき、カーペットに頭をうっぷして泣く私の遠くで何足もの足音が聞こえた。

『顔を上げて、見回してごらんなさい』

そうファシリテーターがいい、顔をあげると私の周りにはほぼ全員の女性がいた。

私だけがこの体験をしているのだと思っていた。

私だけが一人ぼっちでこの苦しみを生き延びないといけないのだと思っていた。

私だけがこんな仕打ちを受けるのだと、何か私がおかしいに違いないと。

たった3歳の私が、心にあの時強く言ったこと。

一人じゃなかったんだ。。。。

私は、安堵とともに、

あの時に泣かずにいた分を全てを吐き出すかのようにまた泣いた。

ファシリテーターが言った。

『あなたは、単純に愛を知らない人に囲まれていただけよ。』

彼女の言わんとすることは、わかった。

私が成長する過程で、

愛を知らない行動は、日常茶飯事起きていた。

誰かを妬むこと、

誰かを蔑むこと、

誰かと上下関係を作ること、

誰かがマウンティングをすること、

誰かを崇めること、

そして、君の問題だろ、一人でどうにかしろよ。

そんなことは至る所で起きていた。

人と関わる上で、学んだことは、

あの時の惨めな経験を2度としないようにすることだった。

愛を広げることではない。

惨めにならないようにどう自分を守るか、それだけな気がした。

今いる私のコミュニティは愛で溢れているのに、

私の中にまだまだこの時の感覚が残っていて、

それが豊かなエネルギーを受け取らない形で残っているんだ。。。。

今の愛の溢れるコミュニティにいる私と、昔の私がごっちゃになって

エネルギーがちゃんと受け取れないところにいたのか。

そう気付いた時、

ファシリテーターが私に質問した。

「さあ、あなたは、自分に何をこれから誓う?」と。

その瞬間、

私は自分の内側にいる神聖な森のクイーンの存在とようやく対面した感覚があった。

ずっとずっと出会いたかった私の内側のクイーンに。

誰かの真似をするクイーンではなく、私のクイーンに。

あなたの心のうちにある神聖な森を、

クイーンとして、どう安住の地にこれからして行く?と。

『誰もが自分らしくあっていい。

 そう安心してできる世界を他の女性とともに創って生きます。

 それを私に誓い約束します。』

とても力強い紫色のエネルギーがハートから溢れるのを感じた。

高貴なエネルギーが自分の内側から出るのを感じた。

何かのチャンネルがガチャンと心の中で変わったのを感じた。

初めてインテグレイティッド・ヒーリングのセッションを受けた時と感覚が似ていた。

外の世界は変わっていないのに、

私の中の何かが変わった感覚。

自分の人格を変えていくことになるであろう。

もちろん、持っている質が変わるわけではない。

でも、自分や誰かを蔑むことで、自分があの体験をしないという恐怖のところにいる私ではなく、もっともっと、愛で繋がれる人間になるために

私は、もっといろんな意味で人間関係の勉強をしていくことになるだろう。

頭で理解するのではなく、心で感じていくことを。

さて、

フローズン2では、クイーンが二つの土地で即位するところで映画が終わる。

このフローズン2のクイーンたちと私と違うのは、

この二人は、あんなに沢山の試練を乗り越えたのに、ちゃっかりと元気でいることだ。

一方で私は、とにかく疲弊していた。

これって、もしかしたらヒーリングクライシスなのかもしれない。

そんな風に感じながら、映画を終えて、娘を迎えに行った。

続く

モノクロから虹色へ

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