出産に幕を閉じる
1週間が経った時のある晩、アンドリューが言いました。
『赤ちゃんとのコネクションがない様に見えるけど』
ギクリとしましたね。
それまで、赤ちゃんの事を心配して彼女の事を逐一チェックして、
赤ちゃんに何かがあったら、きっと全力で彼女を守ると思っていましたが
コネクションとなると、そこは自分でも感じれるほど希薄だった感じがします。
自然分娩で
おっぱいすぐにあげて
カンガルーケアして
赤ちゃんといつも皮膚をくっつけてたら
「オキシトシン」というホルモンが出て、
赤ちゃんが可愛くて可愛くて仕方が無くなるって
聞いていましたけど。。。。?!
みたいな。
実際には、私は、責任感から動いていて、
「可愛くて仕方がなくて。。。」という所とは疎遠な感じ。
何かおかしい、何かが変だ、なんかつながれない。。。
そう違和感を感じながらも、
おむつ一枚で動かない身体をベッドの上で横たえて過ごした一週間。
そんな中でアンドリューに指摘されて、ぎくり。
『わかる?なんでか自分でも分からないのよ。
’自分の子では思えないけど、孫は可愛い’って良く聞くけど、
責任感で一杯なのかな』
そんな風に理路整然に言うけど、なんか言っている自分もそれがしっくりこない。
だから多分これはウソだ。
その頃、熱波がカリフォルニアを襲っていた。
毎日40°近い暑さの中
南西に向いてる2階のベッドルームに寝ていた私を
あまりの暑さにアンドリューが一階のソファで休む様に手配をしてくれた。
1週間ぶりに階段を下りる。
まだまだ脚の筋肉がもとに戻らず、フラフラする。
ずっとベッドに寝ていたから、筋肉がなくなって
お姫様みたいな棒状の足になってしまった。
そういえばポーラに『あなた、だいぶ痩せたわね。食べてる?』と聞かれたんだった。
そんなことを思い出しながら
アンドリューに抱きかかえられて、一階に降りていく。
そして、リビングルームに足を入れて
出産後、初めて自分が赤ちゃんを産んだ場所をみた。
その瞬間、私の中で出産の時の事がフラッシュバックしてきた。
こんな瞬間や
こんな瞬間
長いようで短かったようで、やっぱり長かったのかなあ。
あの日のじっとりした暑さと湿り気
あの日の暗闇の中で唸る私の声
あの日のべっとりとした血がそこら中に点在したビニールシートの擦れる音
あの日の胃が圧迫されて止まらないゲップの味
あの日の人生で感じたことがない緊張と緩和の3分間の連続
あの日のカラダの全てで感じた感覚
それらが一瞬にして、バババババっと脳内を駆け巡り
心がショートを起こした感じの状態になって、私の涙は溢れ出した。
私、本当にがんばった。
私、本当によくやった。
ねえ、赤ちゃん、
私達、本当によくやったよね、一緒に。
私達、本当によく頑張ったよね、一緒に。
そんな言葉がボロボロと心から出て来て、
言葉にならないその言葉が涙として溢れ出した。
アンドリューが赤ちゃんを抱きながら、
うぇんうぇんと泣くそんな私を静かに見守っていた。
私は両腕を伸ばし、アンドリューから赤ちゃんをもらい
胸に抱きかかえて、ぎゅっと彼女を優しく、
それでいて強く抱きしめた。
私達、本当に一緒によくやったね。
恋愛でも、物事が始まったら終止符を打たないと
なんとなく終わった様な、終わっていない様なという浮遊をして
ズルズルと引きずってしまう事ってある。
きっと、長い妊娠期間を終え、長い陣痛を終えて、出産をしたかとおもったら、
そのまま、なだれ込むように育児に突入して
自分の出産を振り返ったり、自分の妊娠や出産と言う赤ちゃんが来る前の体験に
終止符を打たずに
次の育児という怒濤の渦にスタートしていくお母さんは多いのではないだろうか?
なんだか訳も分からず、とにかく突っ走れ!みたいな。
私は出産にピリオドを打ち
一緒に乗り越えた赤ちゃんと一緒に今度は生活をしていこうという
気持ちに切り替わった瞬間だった。
やっぱり、自宅出産をして良かった。
私にとって、自分が赤ちゃんを産んだ場所をもう一度みるということは、
10ヶ月の妊娠と22時間の出産にピリオドを打った卒業式のようなものだったから。
それと同時に、母になる入学式を迎えた気持ちにもなった。
そして、初めて赤ちゃんに向かって言ってみた。
『私、ユーのママです。ママになっていいかな。ママだよ。』
今まで言ったこともない言葉が自分の口から初めて出て来て
ママだと自分を呼ぶことに、なんだか赤ちゃんに宣言をした感じで、
私は心が震えた瞬間だった。
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