誰でもミステイクはする。
- 2017年9月16日
- 読了時間: 3分

『なんでこんなことを言っちゃったんだろう?!』
と自分を責めることがある。
私は調子乗りなので、友人間でこんなことはしょっちゅうである。
気まずくなることもしょっちゅうである。
ヤッチマッターと嘆く。
そして、ポカポカ頭を殴り、自分を責める。
チッキショー、なんで私は学ばないんだ!!と。
あるクライアントさんが言ったことがある。
『私がいうことで人を傷つけちゃうから、私は喋らないほうがいいんです』と。
確かに、ツッコミがあまりにも的を当てすぎていて、周りがギクリとすることってある。
そんな中、あるワークショップで言っていた先生の言葉がとても魅力的だったのを思い出した。
『私は、孫がいるの。
明日は、孫は試験だというのに全然勉強をする素振りがなかったから
私は、彼女に言ったのよ。勉強をしなさい!って。
彼女は抵抗をしたけど、それでも、
私は色々な手法を使って彼女に勉強をさせることに成功をしたわ。
私が元々、’こうあるべき!’と思ったことは達成された。
つまり私が求めていたものは手に入ったわ。彼女を勉強させるということはね。
でも、そのプロセスって、私らしくないわって思ったの。
欲しいものが手に入ったのに、なんだか後味が悪くてね。
多分、私らしくなかったのよ。彼女に無理やり勉強をさせた方法が。
どこかの独裁者みたいな方法だったから。
それで、私は後から孫に言ったの。
ごめんなさい。
私は、なんだか私らしくない方法であなたに勉強をするように仕向けたわ。
勉強をするのが大事だと私の中で信念があって、
それをあなたに押し付けた感じになったのよね。
そう孫に私は伝えたの。自分のあるがままの状態からね
そしたら、孫は私に言ったわ。
おばあちゃんと一緒に時間を過ごしたかったから、勉強よりも一緒にいたかったの。
だから、勉強をしなさいって言われて、おばあちゃんは私と一緒にいたくないのかなってとても悲しくなったわ。って。
自分らしいやり方ではなく、ものを手に入れることって、
一瞬は達成感で満たされるけど、何かを失うのね。
これだけ、心理学のトレーニングを積んでいる私だってミステイクはする。
誰だって、自分のエゴに流されることってあるのよ。
だけど、大切なのは、それをした自分を認めて、
そのあとに修正する行動ができるかってことじゃないかしら?』
なんでこんなことを言っちゃったんだろう
なんでこんなことをしちゃったんだろう
そんな風に自分を責めることはある。
そして自分を責めた結果自分から自由を奪うことをする。
私は話さないほうがいい
とか
私は何もしないほうがいい
とか
私は相手の望むことだけをしていたほうがいい
とか
私は余計なことをしないほうがいい
とか。
本来、表現の自由があるということは、ぶつかることもある。
人間は、ミステイクする生き物だから。
ただ、その後の行動が鍵なのだと思う。
自分をひたすら責めて自分を罰して、自分から自由を奪って終わるか、
自分の行動に責任をとって相手にアプローチをして自分の非を認めて
相手との愛を再構築するように務めるか。
たぶん、後者ができるようになったら、人間関係はそんなに怖くないのだと思う。
モノクロから虹色へ







































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