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自己愛=わがまま?


沢山のYouTubeを見ていて、誰が言ってくれたか忘れてしまった。

遡って探すのだけど、誰の言葉だか見つからない。

トニーロビンズだったか、日本のキネシオロジーの人だったか、

でも、誰か有名な人が言っていた言葉に、ハッとした。

もしも、私が書く内容が誰かのYouTubeで見つけた人は教えて欲しい。

是非とも紹介したい内容だった。

あーだれだっけ。

とにかく、何にハッとしたかと言うと

そのYouTubeの中で

いい子、悪い子、普通の子と三種類の子供がいる。

いい子になろうとしている子は、どうにかして、『世のため、人のため』になるように自分を犠牲にして、人に尽くす事をする。

でも、自分を犠牲にしても、限界がどこかで来る。

そうすると、いい子だった私はいい子が出来なくなり、それが転じて悪い子になる。

悪い子というのは、『手がかかる子』という意味だ。

つまり、ヤンキーになるか、病気がちになるか、、、、という事だ

私の場合は、いい子の限界が来て、病気を持つ手のかかる子になった。

『手のかからないいい子』を大人は求める。社会も求める。

なぜならば、戦争中に手のかかる子である余裕が無かった時代を過ごしている親世代や祖父母世代の子供だから。

いい子は、いつでも手がかかる悪い子に転じる可能性を持っている。

私が旅行先で手がかからない、旦那の為を演じれば演じる程

私のカラダは手のかかる皮膚の状態を露骨に出してきやがる。

本当は、普通の子で良かったのだ。

一人遊びをして、一人で自分の世界に没頭している普通の子。

親の目や、社会の目や、こうあるべきという思念などに一切興味をもたない一人遊びをしている子。

私はここの土地が見たい。

私はここのレストランに入りたい。

私はここの美術館に行きたい。

私はここで時間をゆっくり過ごしたい。

一人遊びを大切にしながら、他の人の一人遊びと交わりながら、

ちょうど二つのシャボン玉がくっついたようにアンドリューと過ごしてる事ではなく

アンドリューはどこに行きたいかな?どこで食べたいカナ?どこをみたいかな?

そんな風に、ずっと頭が回っていた。

自分が楽しむ事を二の次にして。もうアルファの特徴鼻息ぶうぶうの全開だ。

ずっとこんな頭の中では、疲れるのも当たり前だ。

彼がいつも後ろから見守って私が楽しむのを見ていたいのに。

自己愛とワガママとの境が分からなくなるのが『いい子』の特徴だ。

私がそう。

自己愛って周りの人に配慮に欠けるひとの悪い子の事を言う気がしてた。

病気になって結局、迷惑をかけている悪い子(手にかかる子)になっているくせに。

今日からこう考える事にした。

自己愛は一人遊びの子。

一人遊びほど、

自立して、自分の行動に責任を取っている(自分の幸せに忠実である)って

なんか、とってもニュートラル。

そう、自己愛は一人遊びの状態である。

砂山を創る事に没頭して、でも、お友達が来たら、その砂山を創るフォーカスは変えずに一緒にトンネルを造れば良い。

友達が帰ると言えば、バイバーイと言って、また砂山作りに集中すれば良い。

それのどこがワガママだろうか?

ワガママとはかけ離れた、一人遊び出来る「普通の子」なのである。

モノクロから虹色へ

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