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『なぜ?』という言葉の凶器

みなさんは『なぜ?』という言葉を

会話の冒頭に使う事はありますか?

このなぜという言葉には二つの捉え方があるかなーと思います。

『なぜ空は青いの?』

というパターンと

『なぜ、言った事をやってくれないの?』

前者のなぜ?は、『探究心』ですが、

後者のなぜ?は、『暗に責める』です。

前者のなぜは、向上心ですが

後者のなぜは、向下心です。(そんな言葉はないけど)

この間のIHセッションでは、

『性格』というお題でセッションが始まりました。

私、いつも人と比較をしているかな〜。

凄くないと私はイケナイ。

自分が凄いって思われる様な事をしていないと、

こんなちっぽけな私を誰も相手にしてくれないって思うかも。

自分に満足をしていないんだよね。

 まず先に批判が出て来るよ。

 なんでこの人はこうかね?とか、

 なんでこの人は仕事ができないんだろう?とか。

 なんでお父さんはこうなんだろう?とか。

この間、実家に帰った時に色々なシャンプーのボトルがあったの。

うちのお父さんはいろんなシャンプーをチョコチョコ使うのが好きなのね。で、何年か前のシャンプーがまだ残っていて、化学物質だし、もう!!って思って、全部捨てるの。

 お父さんの後をついていってね、

 なんでこの家はこんなゴミ屋敷かね?ってずっと言ったの!

 父は、うちの子がおかしくなったって言っていたけどさ〜

会社で言うとね、、、、

 会社で、私は凄く長いメイルを書く部下がいるの。

 私は、もっと短く書けば良いのにって言うけど変えれないの。

 彼女が一通のメイルを書いている間に私は10個も仕事をして、 

 すごくアンフェアに感じる!

 だから、なんで早く用件だけ短いメイルを書かないの?って。』

その彼女のゴールは

『appreciate しながらも、違う物の見方で生きていく』

というものでした。

違う物の見方ってなんだろう。。。。

そこでカラダがappreciateとの言葉に反応。

Googleで調べると

これは、感謝するという言葉もあるけど、

認めるという意味もあることに。

『なんでと言う批判ではなく、認めるという事かな』

カラダがイェスの反応を示します。

すると、彼女は

『でもね、自分のこんな状態を認めたら、

そのままのちっぽけな自分で終わってしまうかもしれない。

認めたくない。こんな所にとどまりたくない。』

カラダに認めるという言葉の他の意味を聞いていくと

『認知する』『認識する』という所に反応。

批判の代わりに認識したら、

きっとそこから次にどう進むかが見えてくるんじゃないかな?

そっか、

認める=屈する=それに従う

つまり、

自分をダメだと認める

ーそれに屈するー

私はそう、だめな人間にとどまる。

っていう方程式だったから、認めたくなくて

その代わり

自分を鼓舞しようと思って批判していたんだね。

『なんで?』って。

さあ、ここからカラダがどういう風に修正を聞いて来るかと

思っていると

『ネガティブなエネルギーコードの切断』

が修正として上がって来ました。

『ネガティブなエネルギーコード?』

(上記の絵はウェブサイトからお借りしました)

すると彼女が

『私ね、中学生の時にぜんそくをもっていたけど、バスケ部に入りたかったの。でも、外を何㌔も走るとか、カラダが全然ついていかなくて、倒れちゃって。

で、仕方なく吹奏楽部に入ったの。

イケテいる子達はバスケ部とかバレーボール部とかで、

吹奏楽部に入った自分をすごく責めたし批判したよ。

なんで、吹奏楽部なの?って。

なんで、私こんな所にいるの?って。

だから部活にもいかなかったし、吹奏楽部の子なんて誰がいたのかすら覚えてない』

彼女の話に

筋肉は激しく反応を示します。

ネガティブなエネルギーコードは、

その時の中学時代の彼女自身とつながっていました。

中学生時代は『イケテいるグループに入っているか』どうかを

えらく気にしていた時期でした。

ぜんそくもちでイケてるグループに入っていない私はダメ。

なんで?本当の私はこんな所にいる私ではない!

おとなしい吹奏楽部に入る様な人間じゃない。

もっとイケテいるグループに属しているイケテル私なんだ!

なんて心の中で、もがいたのかもしれません。

そこで

『その時の自分を批判するではなく、

 認めていたらどうだっただろう???』

と問いかけると

『うーん、、、、

 自分がぜんそくだっていうカラダを認めて、

 バスケ部ではなく吹奏楽部にいても、

 私は私って感じでクール(かっこいい)な生徒には

 なれたと思う。

 イケテル子達と同じ部活ではなくても、

 吹奏楽部でクールにいる方が、よりかっこ良かったかも』

なるほど。

『本当の私はこうじゃない!なんでこんな所にいるの?』

そうやって

批判をする事で鼓舞されて成長されていく様な気がする。

だから

『お父さん、なんでこんなにシャンプー持ってんの!家の中がゴミ屋敷じゃない!』って訴えて、本当はお父さんが危機感をもって安全に暮らしてくれる事を願っている。

『なんでこんな風にメイルを書くの?』って部下に伝えて、

もっと沢山こなさなくちゃいけない事があるんだよって事を

もしかしたら分かって欲しいのかもしれない。

その彼女のココロが『なんで』という言葉で集約されてる。

でも、その『なんで?』は、愛の音よりも批判めいた音に

変わってそれが自分をも責めてしまう。

本当は、それをしてると自分のエネルギーが批判の方に注がれて

本当の自分が何を感じているのか見えなくなっちゃたり、

本当に伝えたい事が伝わらなくなっちゃったり。

彼女が

『認めたら、もっと自分のしたい事にエネルギーがむく気がする』

そう言ったひと言で私も、なるほどなーと。

子供時代

『なんでこれがまだ出来ていないの?』

大人になってからも

『なんでズーミーはそんな事も知らないの?』

と何度も人からの指摘を受けたし、

私も

『なんで○○ちゃんは、こんな事を言うの?』

って言っていました。

なんで?と批判することで、本当の自分のココロの痛みを隠す忍術

忍法『人になすり付けの術』みたいな。

考えてみれば、

なんで?は、自分を否定されている様で

想像以上にキツイ言葉です。

いつでも自分が何か悪い事をしている気がして

自分のしていること、感じている事に自信が持てなくなって来ます。

自分を大切にするというのは、

そう言う言葉遣いを止める事なのかもしれません。

この『なんで?』という言語が与える神経経路への影響は

”大”だと感じます。

そして、人に言うってことは、

自分にも、そう言う口調で語りかけている。

『なんで私はこうなのかしら?』と

無意識のうちに責めている事もしばしば。

その後、彼女が

『多分、その1通のメイルの部下を認めたら、

私が用件だけ書くがさつなメイルよりも、その長い丁寧なメイルの方がもらった側は嬉しいのかもしれない』

『お父さんだって、きっとシャンプーちょこちょこ使って楽しいんだろうなー』

と言いました。

『なんで私が10仕事をしているのに

 彼女は1つしか出来ないんだろう?』

そう言っていたときとは、エネルギー感が全く異なりました。

そんな風に素直に『認める』行程に入った彼女を見て

美しいなと感じました。

いつでも変化する瞬間は美しいです。

自分を批判する所にエネルギーを使う事が止まり

これからは、彼女の全エネルギーが注がれて、

彼女が生きたい道へと進めるんだろうなと、希望で一杯です。

モノクロから虹色へ

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