良い人間の連鎖



私の両親は第二次世界大戦前に生まれ、幼少期を戦時中として過ごした。

戦時中の話を聞くと、それはそれはヒモジイ想いをしていたことを感じる。


たくさん兄弟がいる父親の母、つまり私の祖母は

炊いたお米を子供たちに食べさせ、自分はその米びつにお湯を入れて

残った米を削ぎ落として、夕飯として飲んでいたと聞いた。


たまにご飯が自分の分があっても、

乞食が家にきたら、そのお米を与えて自分はまた米びつに残った米をお湯で飲んだという。


父は生後8ヶ月まで首が座っていなかったという。

とうもろこしの削ぎ汁をおっぱいがわりに飲んでいて栄養失調だったからだと。


そんな父も優秀に育ったが、進学校にいける頭脳を持ちながら

中学の先生にお前は貧乏だから家族が大変になるから進学校にはいくなと言われたのだと。


祖母は学校の先生様がいうのであればと、近くの商業高校に通わせることにした。


それでも、彼は、自分を信じることをやめずに大学まで出て

彼らが大人になる頃には高度経済成長の中で一生懸命に日本という国を建て直してくれた。


今の70代80代の方々を見て思う。

なんて「自分」があるのだろうかと。


私が小学生の時に、ハマコーが流行った。

いっぱい爆弾発言を言いながら世間を賑わせていたのを覚えている。

何を言っていたかは覚えていない。

でも赤ら顔の威勢のいいおじさんだった。

そして、街にはそんなおじさんが一杯いた。


逞しい、自分勝手でありながら、国のことをおもい、自分を信じるなんて概念もなく

自信満々に頑張る人が多かった。


そんな親に育てられた私よりも上の世代、もしくは私の世代、もしくは私より下の世代は

なぜか自分に自信がないという人が多い。


もれなく私もその一人であった。


バブルも経験していて、ジュリアナ東京も経験してお金も潤沢に回っている世の中で育ちながら

自分に自信がない。


親にいっぱい面倒を見てもらって、誕生日には美味しいご飯を食べ、

大学までいかせてもらっても

自分に自信がない。


良い娘であり、良い生徒でありだったと思う。


自分勝手ではなく、爆弾発言もしない、赤ら顔でもなく、礼儀正しい「良い人間」だと思う。


でも、自分を信じる力がすぐに揺らいでしまう。


こういう人間が母親・会社員になると、次に『良い母親』『良い会社員』がゴールになる。

でも自信がない。


ここでは、良い母親に焦点を当ててみようかと思う。(カッコ内は会社員バージョン)



でも、いい母親になるべきだ!と知らないうちに

小さい頃から染み付いた癖が抜けずにずっと良い母親になる(・である)ために努力を惜しまない。


子供がご飯を食べないーおいしいご飯を作れないダメな母親

(相手側がこちらの要求に承諾しないー承諾させられないダメな私)


子供が泣き止まないー子供の気持ちがわからないダメな母親

(相手のクレームが止まらないー対処できないダメな私)


子供が怪我をしたー子供を守れなかったダメな母親

(仕事でミスをして相手に迷惑をかけたー想定内ができないダメな私)


子供が楽しそうじゃないー子供を笑顔にさせられないダメな母親

(相手側が納得しないー相手を笑顔にできないダメな私)


子供がいうことを聞かないー尊厳がないダメな母親

(相手側が自分を無視するーこんな私なんて。)


子供が寝る時間に寝ないーコントロールできないダメな母親

(部下がやるべきことをやってこないー部下をねじ伏せられないダメな私。)


子供が他の子をぶってしまうー子供に愛情が十分に注げていないからこんなことになるダメな母親

(相手が他の競合社に行ってしまったー十分に相手にしてあげれないダメな私。)


子供が雨に濡れたー予測して行動できなかったダメな母親

(相手側に何かがあったーそれを予測して食い止めれないダメな私。)



そんな風に自分を追い詰めていく。

でも、そのダメな母親っていう自分への言葉は、流れ星のように一瞬だけ去っていく。

そして、また目の前のやるべきことに意識が持っていかれる。


ただ、流れ星のように一瞬だけど、その自分への言葉は流星群のように降り注ぐ。


流れ星かと思っていたら、自分へピュンピュンと落ちてくる隕石だったとある日気づく。

そして、ある日、その隕石を避けれずに、逃げきれずに、

立ち止まり、どんどんとその隕石が体に当たり怪我をしていく。


心の怪我。


これからの子供達に、この良い母親・良い会社員が見せる大人の姿は


「自分を失って、自分を無くして、人のために翻弄する姿」


なのかもしれない。



そしたら、「本来の自分を取り戻そう」と声を上げる人が増えてきた。