自分軸のクラス第三回を終えて


終わった後、私は自分にびっくりしていた。

と言うのも、私はクラス中に話すカンペのようなメモ帳を用意している。

今回の内容は、どう伝えるか、5回ぐらい台本を書き直した。


(*これはクラス前の準備中の様子。骨盤をチェックしている)



私のクラスは全て起承転結があるように、構成している。


導入があり、

参加している人をウォームアップさせ

そこからもっと引き込みクライマックスに持っていって

最後に緩やかに終わる。


なんとなく自分がその流れが好きだから、

毎回台本を何度も何度も書き直して

そこに自分を練習する。


今回も30分と言う中で、起承転結を考えていた。


ギリギリまで、台本をたたきこんで

いちばん伝えたいことを わかりやすく、伝わりやすく、どの部分を削って、どの部分に重点を置くかを考えて。


でも、今回のクラスはいざ始まってみると

全く台本通りに話せなかった。


画面の前にいる参加者たちの顔を見たら、なんだか違う話をし始めていた。


骨盤底筋群がどう言う機能を持っているか。

なぜその骨盤底筋群を鍛えないといけないのか?

そもそも鍛えることって意味があるのか?

本来の骨盤底筋群の働きは何か。


そんなことを自分の例え話を持ってして話す予定だったのに、

私はなぜか自分と母親の話をし始めていた。


この自然界に存在するものは、全て生きている限り成長を遂げている。

成長がストップした時が、「死」である。

草花にしても、花が咲いて成長が終わったら、死が待っている。


だから、母が望む生き方をしようとした過去の私は、成長なんて何もなく

自分の感覚すらなくして行ったことを話していた。


母が好きなダンスの舞台に立ち、

母が好きだと言う絵を美術館に観にいき

母が誇りに思う仕事につき

母がいいと思う男性との結婚


これらをやろうとしていたら、自分の「好き」が分からなくなっていった。

そして、そこでの失敗は、私に何の学びももたらさなかった。

「人が望むことをやらなければよかった」

と言う学び以外は。


でも、

自分の感覚で選んだ男性は、私の心に痛みをもたらした。

でも、そこから学んだことやギフトは数え切れないほどあり、今の私の仕事につながっている。


自分の感覚でダンスをしている時は、私は至福だった。

母にとっては、だらしないダンスだったが、私にとっては美しく気持ちが絶好調になるダンスだった。


フランスに旅行に行った時、モネの家というところに行った。

やっぱり私はモネの絵って、辛気臭くて好きじゃないと思った。

でも、母が大好きだから、私は我慢して行った。そこで素敵なところを探そうとしたけど

興味がないから何も見つからず、カビ臭えと思っていた。

その一方で、ピカソの作品をスペインで見た時はゾクゾクした。なんて面白い人なのだろうと。



母が「子宮なんて子供を産んでもいない女が話すものじゃない」と

顔をしかめた内容は、私にとっては、とても興味があることだった。

彼女の正しいと思うことよりも、自分が興味があることは私にたくさんの知る喜びをもたらした。


例えば、女性として生きるってどう言うことだろうか?なんて言うことは

ずっと私の興味があることだった。

そして、女性という生き物はって言うことを学んだ時

子供が生まれた後のいわゆる”産後クライシス”と呼ばれる

私の結婚生活での喧嘩はグンと減った。


そして、もっとお互いを尊重し合い理解し合うようになった。


気がついたらそんな話を盛り込んでいた。

実際に、用意していたパワーポイントは後からザッと流す程度の時間しか残らなかった。


今の生活で、母のことを思うことなど何もない。

感謝こそあれ、母のことをこんな風に悪い風に思うことなんて普段の生活でないのに。


でも、骨盤のワークという

妊娠出産を取り扱う部分で

私の母親としての経験がもっと出てくるかと思ったら

私の娘としての経験を話すことになった。


なぜならば、私たちが自分軸を作る時、


「私の感覚」を開花させることが「私の軸」の根幹となるからだ。


私の好きが自分の軸の中心となるから。


この骨盤底筋が存在しないと体は真っ直ぐに立つことができない。

出産をして、身を以て知った。

そしてこの骨盤底筋は、私の好きと直結している。