自分を愛すること・向き合うこと

前回のブログで、子宮を摘出した女性の子宮の写真を掲載しました。
そして、そのブログを読んだ感想をいただきました。
私はこの感想を読んで涙が止まりませんでした。
その涙は、悲しい涙ではなくて、感動の涙なんです。
何度かこのブログでも書いているのですが、
昔は『なんて酷いことがあるんだろう』と言って人の話を聞きながら泣いていました。
この世の中には、自分の想像を超えたチャレンジがあるからです。
でも、セッションをしたりいろいろな人に出会い、自分もいろんな経験をしていくうちに
今は、
「なんて美しいんだろう」と
そのチャレンジを愛に変えた姿の美しさに涙するようになりました。
この世の中に悲しいことは沢山ある。
不条理なことだって沢山ある。
それに可哀想だと心を震わせるよりも、
それを乗り越えてすごいと感動して心を震わせることができるそんなパワフルな仕事であり
そんなパワフルな人間関係に身を置けていることを本当に幸せに思います。
彼女からのメイルもその一つでした。
いつもと同じく許可をいただいての掲載です。
彼女の自分を愛おしく思う本当の強さを是非皆さんにも感じていただきたく思います。
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最新のブログ 子宮と向き合う時間 読みました。その時何を感じたかをシェアさせて下さい。
まず写真。実物の子宮の写真を見たのは初めてでした。「こんな綺麗な形なんだ」と思ったのと「私の子宮に会えた」と思ったのは殆ど同時で、その瞬間ワッと泣いていました。
私の子宮摘出手術をしてくださった先生が後で手術中の話をしてくれてまだ覚えているのは、
筋腫が大きくて一度に摘出出来ななったので、小さく切らなければならなかった事。
そして、手術中出血が酷かった事。
先生の話から、私の子宮は刻まれて形を留める事も出来る状態ではなかったのだろうと認識していました。
ですから、ブログの子宮の写真を見た時「綺麗」と思ったのです。
そして「形を留める事も出来なかった」自分の子宮への想いが、
私を20年前にタイムスリップさせ何故か2つの出来事を思い出させました。
1つ目は、息子がまだ乳児の時、知り合いの日本人女性のお宅を訪れ(旦那様はスウェーデン人)彼女の前で息子に母乳をあげた時、彼女から「母乳があまり出ないのね」と言われた事。
母乳があまり出ないのは事実で、彼女の言った事はその通りなのです。
が、一瞬首元を掴まれた様に呼吸が止まりました。
私は、自分の子供に基本である母乳も与えることができないのかと。
もう一つは、何年か後、子供が保育園に通うようになった頃。
仕事の会議が長引いて、子供を保育園に迎えに行く時間に遅れてしまった時がありました。
「遅れた。どうしよう」保育園に着くまで何百回も思いました。
保育園に着くと、保育士の方と息子が園の外で待っていました。
保育士の方は私を見つけると
「私にも自分の時間があるのよ。貴方が遅れた事で貴方は私の時間を潰したのよ」
と言い(彼女の言う事は全くその通りなのです)
私はただ「ごめんなさい。ごめんなさい」と謝るだけでしたた。
息子と手をつないで家に帰る間中(歩いて5分程なのですが)ずっと涙が止まりませんでした。
何故かこの2つの出来事が、その時の感情が、イズミさんのブログの子宮の写真を見た時に吹き出し、しばらくの間私はオンオンと泣いていました。
それは、その時感じた「悔しさ」が溢れ出した様でした。
もう20年以上経っているのに。全く今日一日中、思い出しては泣いていました。
でもね、今日が終わる頃、
亡くなった子宮が私に伝えてくれたのは「あなたは良くやったよ」
「息子君は今22歳。いい青年に成長したじゃない。20年以上も前の悔しかった思いから自分を解き放してもいいよ」と。
でね、私は子宮に言ったのです。
「あの頃は独りぼっちだった。子育てなんてどうしていいか分からなくて、でも誰も相談できる人がいなかった。不安も苛立ちもどう扱っていいか分からなかった」と。
子宮からの返事は「全部分かっている。だから全部引き受けた」と。
そう。
子宮筋腫という形で受け入れて、
結果、その形を残すことも出来ない状態で摘出手術。それも10年以上前。
私の子宮は私に優しい。ありがとうね。
イズミさん、子宮の写真をシェアしてくださって有難う。
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子宮からの返事。
「全部わかっている。全部引き受けた。」
この強さと優しさって私たち女性はみんな持ち合わせていると私は信じています。
愛する人のために。
皆さんはこのメッセージから何を感じていますか?
モノクロから虹色へ
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