自分との対話

昔、神との対話という本を15年ぐらい前に読んだ。


とても興味深くて、その頃の勉強熱心だった私は付箋をいっぱい引いて

毎日どこにいくにも持ち歩いて読み耽った。


神様と対話できるなら、どんなに良いことだろうかとあの頃の自分は切望していた。

それぐらい自分の未来を知りたくて、今の自分が正しいのかを知りたくて、

確実な答えを求めていた。


神様とお話をするという本で

主人公が色々と神様に聞いていくのだ。

なぜ戦争は起きるのか?

とか

なぜ自分はこんなにも不幸の連続なのか?

とか。


その中で、とても覚えている文章がある。


私は大きく波線を引いた文章だ。


あなたはもちろん、不安に支えられた行動を選択する。そう教えられてきたからだ。

だが、教えてあげよう。愛に支えられた行動をとれば、生き延びるだけではなく、勝利するだけでなく、成功するだけでなく、それ以上のことができる。その時、自分は本当は何者か、そして何者になり得るのかという、栄光に包まれた経験ができるだあろう。そのためには、善意ではあるが間違った教師たちの教えを退け、別の種類の智恵を持つ人たちの教えに耳を傾けなければいけない。


これを読んだ時、よく分からなかった。


何が愛に支えられた行動なのか。


私の知っている勝利や成功以外の勝利や成功があるのか?


自分が何者かを教えて欲しい。私の天職は何?私って何が楽しいの?


そう、自分が悶々と自問自答していた時だった。


いろんな種類の占いにもハマった。

いろんな超能力を持った人の言葉を一心に聞いた時もあった。

私よりも凄いと思う人の真似をして、彼らの教えを守ってみた。

私よりも地位や名誉がある人を目の前に、彼らのようになりたいと目指して躍起になった時期もあった。


でも、私の体は崩壊してく一途を辿った。


神との対話をその時も読んだ。

その中で、私がしがみついた一つの文章があった。


宇宙には良い状況も悪い状況もないことを第一に理解しておくべきだ。全てはあるがままに過ぎない。だから価値判断はやめなさい。全ての状況は一時的だ。どんなこともいつまでも同じままではいないし、静止してはいない。どちらの方向へ変わるかはあなた次第だ。


学校教育で何度も何度も間違えないことの練習をしてきた私。

間違えないことが正しいのだと、叩き込んできたテストの連続。


その染み付いた習慣に対して、それをやめろとい言うこと自体が

その頃の価値判断のみで生きてきた私に動揺をもたらした。



良いこと、悪いことが無くなったら、どうなるのだろうか??

何をもとに、人生を進んでいけばいいのか?


社会に出たり、いろいろな人に会うたびに

その人それぞれが一つの物事に良いと言ったり悪いと言う。


アーユルベーダの先生に、体を治してくれとお願いしたら

ドクターごとに処方する薬が全く違っていた。


玄米がいいと言う人もいれば、玄米は消化が悪いから食べないほうがいいと言う人もいた。

玄米にごま塩を振りかければ、栄養素がパーフェクトですと言う人もいれば、

そんな事をしていると栄養失調になるぞと言う人もいた。



話を聞く限り、理論的には正しくても、私の身体的には正解ではなかった。



そんな時に出会ったのが、キネシオロジーだった。

筋肉反射テストと言ってもいいかもしれない。


「自分の体に全ての答えがある」

と言う理論だった。


これを知った時は衝撃的だった。


初めてのセッションで、私の体には「塩」が合わないと言うことがキネシオロジーでわかった。

それであれば、何を食べても、体が反応を起こすはずだ。。。


そして、誰の理論でもなく、誰の経験値でもなく

私の体にこの塩への反応をなくすにはどうしたらいいのか?と言うことを聞いていく。


そして24時間後には、私は食べ物を食べた時に身体が今までのような反応を示さなくなっていることに驚いたものだった。


2008年にこの本に出会って、キネシオロジーに出会ったのはその2年後だった。


そして、今の生活で、キネシオロジーを使わない日がほとんどない。

言ってみれば、キネシオロジーを使って毎日自分と対話をしている。


自分にあう食べ物はどれか。

今、とるべきサプリはどれか。

どの玉葱を自分は美味しいと思うかを調べるに至るまで。


迷った時には、キネシオロジーを使って自分に問う。

どうしたらいい?ガイダンスを教えて。と。


つまりあの時に読んでいた


善意ではあるけど、間違った教師たちの教えを退け、別の種類の智恵を持つ人たちの教えに耳を傾けなければいけない。


これはまさしく、別の種類の智恵をもつ人=私だったと今は理解する。

そして、

私の内側の声に教えに耳を傾けていくことをしていくうちに、

それを理解する人、

つま