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私は誰かを愛する準備があるのだろうか?


昔、男性恐怖症だと言われた時、にわかに信じがたかった。


でも、ある日、ピラティスのレッスンを教えているスタジオで

クリスマスパーティーがあり

一人の男性が

「君って、男性の目をしっかり見ないんだね。なぜ?」

と聞かれた。


この人は何を言ってるんだろうと思いながら、

芯をつかれた気がして、泣きながらサンタモニカのスタジオを後にしたのを覚えている。


仕事を一生懸命にすることで

自分にいっぱいのキャリアを積ませることで

自分は価値がある人間だと思うこと、証明することに必死だった時があった。


その当時、私はすぐにヒーリングを始めていて


「光の存在になりたい」


とか


「無条件の愛を知りたい」


とか


「神のエネルギーを感じたい」


とか


思っていた気がする。


神とか光とか愛とか

そういうものに繋がれば、私は価値があることと信じれて

安心できるのだと思い込んでいた。


そんなことばかりを頭で追っている私は、現実、仏頂面をして生きていた気がする。


10年以上も昔のことで定かではないけど、

でも確実に私は、”波動”を上げたいと切に願い

”神に選ばれる何か素晴らしい私になりたい”と希望を抱いて努力をしていた。


そんな時に、私は人は愛について6つのステージのどこかにいるというのを学んだ。


私は、ステージ1にいたかったけど、

そのステージが、足元から崩れるような経験をしたとき

奈落の底まで落ちた。


それがステージ6だった。


そして、頭でいっぱい考えた。



なんで人を好きになる必要があるんだろう


なんで人を好きになり続けれないのだろう


なんで人を嫌いになってしまうこともあるのに人は恋愛をするんだろう


そんな面倒くさいこと、私、いらない。


そんな感じ。


でも、私は女性というものをグループセラピーに通っていく中で学び、

少しずつ女性として生きたいと願い、

インテグレイティッド・ヒーリングを続けていく中で

アンドリューとであい、


結婚と妊娠と出産と子育てをした。


そして、今、私はステージ1にいる。


アンドリューがいるから、ステージ1にいるのではなく、

アンドリューがいても、ステージ3をウロウロした時期があった。


今、理解できるのは、

ステージ1にいることは、私の選択なのだということ。


私が自分を幸せにする責任を取ろうとするかということ。


責任という言葉は重たいかもしれない。



でも、私が幸せにいることは、私の選択。だから、選択をする責任が私にある。


あの頃、神と繋がりたい。

あの頃、光と一体化したい。

あの頃、無条件の愛を体験したい。


そう思っていた。


でも、今は「ここだ」という体感がある。


私にとってスピリチュアルとは、


頭で考えた神や光や愛ではなく


人生をどれだけ楽しみ、笑うか


が、私にとっての本当のスピリチュアルなのだと。


あの頃は、頭での神とのつながりが必要だった。

神と繋がれば、安心だと、それだけを望みに生きてきたからこそ

生き延びてきたと思う。


でも、

今は、そこらじゅうに

笑いの中に光を感じ、

子供たちの声に喜びを感じ、

旦那さんの言葉に愛と神を感じる。

(*だからと言って彼にイラついたりしないわけではない)


私が辿り着きたいスピリチュアルな毎日。


モノクロから虹色へ


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