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社会貢献とは

社会貢献について思うことがある。


何かの偉業を達成することは、目に見える社会貢献だと思う。


野球選手が車椅子を無償で提供したり

被災地へ炊き出しに行ったり

募金をすることも、ボランティアをすることも。


それはとても大事なことであり、素晴らしい行動であり、

それが出来るほどになるまでにどれだけの重圧と戦ってきただろうかと思うと、

讃えられるに値するものだと思う。

そして、愛という目に見えないものを、行動することで見える状態にするのは

男性的なエネルギーだと思う。


ただ、それがあまりにも大々的に捉えられすぎて、そこを重要視しすぎるあまりに

人間というものを形成する上で一番大切な基礎がスカスカになってしまうことがある。


とても恥ずかしい話だが

長女が2歳で、次女が生まれたばかりの時


私の同業者が、ワークショップを開いた。

コロナの真っ最中で、オンラインでワークショップを開いた。


その方のワークショップの参加者が、150名を超えたと聞いた。


私の中で、こうしちゃいられないっていう気持ちになった。


私も、貢献しなくちゃと。

私も、外の世界で何かできるはずと。


でも、目の前の乳飲み子とイヤイヤ期が出てきた長女を残して

ワークショップをする気持ちの余裕も体力も当時の私にはなかった。


時期ではないのに、それでもやらない自分は役立たずの気がした。


私はメソメソしながら、アンドリューに話した。


「彼女が出来ているのに、私は出来ていない」

と。


するとアンドリューが

「じゃあ、いずみに出来ていて、彼女に出来ていないことがなに?」


と質問した。


私が出来ていることなんてあるだろうか?

すぐにオンラインで150名の人に施したあの人に比べて

私は、、、、



そう思ったとき、


「その人は、その人のやり方で社会貢献をしている。


 君の場合は、目の前にいる2人の小さな子供たちを生かすという社会貢献をしているじゃないか。


 もしかしたら、そのワークショップで来ている大人は、

 今きみが大切にしてあげるべき子供時代の時間を失った人たちかもしれない。

 

 であれば、その大切にしてあげる「時」を今、十分に与えることが社会貢献だと 

 僕は思うよ。」


目に見える社会貢献に取り憑かれて

スッカスカの我が家になるところだった私をしっかりと地面に根ざしてくれた彼の言葉に

なるほどなと、目でおっぱいを飲んでいる我が子を見たのを覚えている。






毎日の生活で、女性がニコニコ笑顔でいることは

一見、社会貢献という大それたものには感じないかもしれない。



でも、


「全ての犯罪には女性の影あり」


という言葉の通り、


私は、女性が幸せでないことが、目に見える社会貢献という大きなことが出来てしまう男性を

社会破壊という方向にも導くのではないかと思う。


このインタビューの中で

さとこちゃんが「小さなスタート地点の第一歩にようやくこれた」って言ってたけど


彼女がご機嫌でいることで

旦那さんだけではなく、それに関わる女性も男性も全て影響を受けていると思う。



パワーという言葉は

ほとんどの人がコントロールするという意味で使っている。


だから、家庭内の子供との間にしても、世界での冷戦にしても

パワーストラっグルと言って、どちらが力を持つかというところでいざこざが起きる。



でも、私は本当のパワーというのは、

コントロールではなく、インフルエンスであると思う。


自分の在り方が、他人の在り方のエネルギーを変えること。


ご機嫌でいる女性が発する言葉は、真理的だ。

芯をついている。

その周りにいる人は、自分の真理を大切にして生きようと思う。


その女性の近くでいるときには、ベストバージョンになりやすい。

その連鎖反応たるや、それは人の目見えるほどの

大きな社会貢献には見えないけど、木炭のようにずっと温かい火を灯し続ける。



でも不機嫌でいる女性が発する言葉は、犠牲的だ。

ネチネチしている。

その周りにいる人は、自分の罪を感じながら生きる。


こういう風になったのは誰かのせいだと思う。それがあいつのせいであれ、自分のせいであれ。

そして、この不機嫌でいる女性は、本当は、頑張り屋さんで、人のために尽くすという男性的はエネルギーを携えるパワフルな女性だ。


さとこちゃんがその2人の自分でせめぎ合うのは、当たり前のことだと思う。

だって、私たちは、男性性と女性性の両方を携え、

男性よりもその二つを切り替えるスイッチがゆるいから。


つまり、パワフルに愛を物理的に表現できる自分だけじゃなくていい。

もう1人の女性的なあなたの顔にも、出番を与えてあげましょうよ。


そんな女性って素敵じゃない?


昔の人の言葉で

「ハウス(家)は男性が作り、それをホーム(家庭・我が家)にするのは女性だ」


というのを読んだとき、

両方があって、素晴らしいなあと感じた。


ハウスだけをどれだけ建てても、

ホームにできなければ、ただの寒々しい空き家だ。


自分を大切にすることは、そのホームの部分だと思う。

ホームがあって、ハウスという男性的な部分が生きてくる。

ハウスがあって、ホームが成り立つ。


それが、私が今回マザーテレサを紹介した理由です。

彼女ほど、社会貢献も多大にしながら、自分の望みを知っているという

男性性と女性性の両方を携えている方だなあって感じます。



そして、それに続く冷戦が終わったお話は

ロナルド・レーガンが男性性だけじゃなくて、

女性性の愛に踏み切ったときのこと。


両方を携え、そのスイッチをあるべきときに切り替えられるって私はパワフルだと思います。




そんなご提案の動画です。







モノクロから虹色へ







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