泥臭くて良いピラティス

不定期だが、ピラティスのリフォーマーを使ってグループレッスンを行っている。
全員がサンディエゴに来て私のプライベートレッスンを取っているので私が言わんとする事、
そして私が教えたいピラティスは理解している。
個人的にもプライベートレッスンをオンラインで行っているので
私のキューイングにカラダが素直に反応を示してきている。
そして、びっくりするぐらいこのインストラクターたちは素直で心が美しい。
彼女たちにレッスンを受けている生徒さんは本当に幸せだろうって思う。
今回のグループレッスンをするにあたって、私は始める前に一つ考えている事があった。
それは、ジョセフピラティス氏が行った基本中の基本である
『とにかく動け』という概念だ。
とにかく動け、そしたら、ピラティスというエクササイズが君のカラダを最善の状態にしてくれる。
ボディ・マインドコネクションというが、
確かに、頭で身体のどこをどう動かしたら良いかということのメッセージを発しつなぐことはとても大事だ。
ただし、それが故に、
自分が
『美しく動きたい』という気持ちだったり
『正しい動き方をしよう』という強迫観念(*と私は呼ぶことにしている)で
1時間でたくさんの動きがある中の3分の1だけしかできなかったりする。
それでも、レッスンが終わったあとカラダが整っている感覚があれば良いのだが
頭で考えすぎて、身体の反応を後回しにしているピラティスのインストラクターも多い。
かくいう私もその一人だった。
でも、今の私が行っているピラティスに出会ってから、
美しくなくても良い。
マシンの上で、変な顔になっても、変な声が出ても良い。
とにかく、エクササイズが君のカラダを変化させるのだ。
ただただ、それについていけ!
という概念をこのインストラクターたちに感じて欲しくて
どんどんとカラダを次から次へと考える余裕もないままに動かさせた。
ティーザーというエクササイズに至っては4種類全部させた。
このレッスンを受けているインストラクターの全員が全くもってパーフェクトから遠い。
こんなのインストラクターがやっていますなんてYouTubeに出したら
お客さんがこないだろう。
すごい表情だし、
形も無様だし、
足と手がバラバラになっているところもあり
あーとかヒャーとか言ってるし、
最後の一種類に至っては、もうあなたは何を動かしているんじゃ?!っていう感じ。
でも、エクササイズの安全が確保された状態で自分があともう少し頑張ればできるって言うところに
連れていくと、とにかく訳もわからずにやった!と言う感覚になる。
無我夢中というやつだ。
なぜ私がそこまで彼女たちを今回プッシュしたか。。。
それは現代という時代が、
とても便利になって、コントロールしやすい環境に私たちは身を置くことになった。
暑い夏、リモコン一つで快適な温度に身を置ける。
でも子供時代は、汗だくで下敷きで生温い風を顔に仰ぎながら一生懸命に受験勉強をしたものだった。
テレビだって、わざわざテレビの近くに行ってなんか丸いやつを回さないとチャンネルが回らなかった。でも今は、声ひとつで見たい番組が出る。親指ひとつで早送りも一時停止もできる。
コマーシャルがいつ終わるのかと、おしっこを我慢する必要もない。
トイレで耳をそば立てながら用を足している最中に、コマーシャルが終わったのを知り、
おしっこを途中で止めてテレビの画面に走る無我夢中さもない。
兄弟に『今、志村けん、なんて言ったの?』って見逃した初めの15秒を聞く必要もない。
つまり、昨今では、無我夢中になる瞬間って結構なかったりする。
でも、私たちの本来の力を発揮するときは無我夢中の時だ。
そして、自分を好きになる時も、無我夢中の時だ。
だから、私は、今回インストラクターがチキショーって思うであろうところまで
安全に、それでいてチャレンジングに彼女たちをプッシュした。
終わったあとの爽快な表情を見て、私は美しいと思った。
あんなに出来ていなかったのにもかかわらず
終わったあとカラダが引き上がったり
カラダが軽かったり
カラダが自由自在に感じたり
そんな感触をシェアしてくれるインストラクターの顔を見ながら、心が踊った。
無我夢中になった後の感覚ってそういうことだ。
そして、もちろん、ピラティスのエクササイズは本来そういうところに持っていくことだ。
途中経過を完璧にやることではない。
エクササイズが終わったあとに、自分という人間がすごいって感じる事が目標。
そういうことを繰り返していくと
自分は完璧である必要がないと気づく。
たとえぶざまであっても、たとえうまく出来なかったとしても