愛の不時着

こんな壮大なタイトルをつけていいのだろうか?

と思いつつ、私にとってはこのデートは、自分が目的地以外の予想だにしないところに着陸したので

あえてこのタイトルにさせてもらいたい。

(愛の不時着ファンの方、すんません)


前回のブログ (こちら)


緊張をしながら、私たちは子供を信頼できる友人に預けて

泊まりがけのデートをすることにした。


子供を預けてデートをするとは、


私の印象では

「お金持ちのマダムが、他の人に頼んで、自分だけ楽しいことをしにいく自分勝手な行為」

と思っていた。


夫婦でデートなんて、アメリカに住んでいればそこら中で聞く。


ハイハイ。子供を置き去りにするなんてさ。

そんな風に言葉通り思わないにしても、そういう斜めで見る節はあった気がする。


そういうことは、アメリカ人がすることであり

責任感強い素晴らしい日本人はすることではない


ぐらいの感じだったかも。

っていうか、そういう文化は、だらしないというか、不埒な感じがしていた。


そんな楽しい時間、子供も一緒に連れて行けばいいじゃん。

家族みんなで楽しめばいいじゃん。


そう思っていた。


それが、この不時着(←結構この言葉を気に入っている)デート。


自分がそんなジャッジメントを持っていたことがどれだけ自分を苦しめていたかを知るほど

自分が予想もしない展開が待っていた。




まずはハイキングへ。

歩きながら、いろんな話をした。

これからの未来、どんな風に考えているのかと。


私は、カリフォルニアで5歳の幼児に未だ実験段階であるコロナのワクチンをする法案が通ったことで

日本に帰国をしたいとすら考えていること。


まだまだこれから脳が発達していく子供の体に何かを入れることを

私は、なんとなく直感だが良しとは思わないこと。


いろんな人のいろんな考えがあっていいと思う。

ただ、私は気持ち良くない。


そんなことを話をしているうちに

彼の魂が楽しいことをもっと人生で取り入れていきたいとも思った。


そこから、二人でいろんな話が盛り上がった。


っていうか、

こんな風に私たちは、自分の思いを最後まで話したことはあっただろうか?


いつも子供たちの声にかき消されて、

最後までセンテンスを言ったことがなかった気がする。


短い時間の中で、伝えようとすると

どうしても語調がキツくなる。


その一方で

どうしても少ない言葉で私の思いをわかって欲しいという期待を見事に裏切られて

相手にイラつく。


それが一切ない。


ビバ、フル・カンバセーション。


お互いのことを話していくうちに、

そうだった、私はこの人のこんな考え方をするところが好きだったんだ。

そんな風に思い出して行った。





いや、実は、このデートはその前から思い出すことが始まっていた。


デートがある数日前、

私の右目が何か虫に喰われたようで、腫れ始めた。


その腫れは右の顔に広がっていく。

そして、デートの土曜日まで治らなかった。


私はアンドリューに土曜日のあさに伝えた。

「せっかくのデートなのに、顔が腫れてる。ブサイクだ。悔しい。」


するとアンドリューは言った。

「It is OK . I want to connect your heart. Not your face 」と。

(大丈夫。僕はきみのハートと繋がりたいんだ。顔じゃないよ)


そうだった。

いつもこの人は、大事なことをとっても嬉しい言葉で紡いでくれる人だった。


この3年間、

私がなんとか母親をやれてきたのも、彼のこういう言葉だった。


そして、彼のこういう言葉は、私が私であっていいという自信をくれた。


でも、彼はずっと母親として奔走している私だけしかこの3年半みていなかったんだろう。

つまらなかっただろうな。


顔をフルのサングラスで隠して

私たちは夕陽の見えるレストランでご飯を食べた。